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深呼吸を、一回、二回。
目の前には王城内の、こぢんまりとした客室のドアがあるわけです。
ノックをすればメイドが顔を出し、私たちの姿を認めて丁寧にお辞儀をしてくれて中に入れてくれました。
そして室内に入るとそこには見慣れた以上に渋面を作っている統括侍女さまのお姿と、美しいドレス姿のミュリエッタさんと、壮年の男性がオロオロとしている姿があって……あらいやだ、何かすごく嫌なタイミングな気がしてなりません!!
とはいえ、きちんとパーティ前にご挨拶に伺うという事は約束事でしたし、アルダールの方で今から行くという事は召使を通じて報せてあったはずです。
一体全体、なんでこんなに空気が悪いんでしょう。
いえ。なんとなく予想はついてますけど。
多分、私たちの来訪を聞いて令嬢らしからぬ態度をとったミュリエッタさんに、事前の注意事項を伝えるべくいらしていた統括侍女さまがお説教をしたのでしょう。
そしてミュリエッタさんがちょっと不満そうにして、また叱られて、どうして良いかわからないウィナーさまがオロオロしている……当たらずとも遠からずではないでしょうか。
「アルダ……じゃなかったバウムさま! ユリアさまも、来てくださったんですね!」
ぱあっと花のような笑みで歓迎してくれたけどやっぱりアルダールが一番ですね。まあ普通に考えたら身分的には当然なんですけど。でも彼女の今までを考えるとどうしても勘繰ってしまうというか……偶然でも何でもない気がしてしまいますよね!
というか、身分が下なんだから自分から話しかけにいかないようにって前にも教えなかったっけ……多分教育係も教えてると思うんだけど。統括侍女さまの目つきが恐ろしいことになってますよ! 見えないふり見えないふり……とできるわけがないし。
「統括侍女さま、失礼いたします」
「……思っていたよりも早く来てくれて助かりました」
(それって自分の精神安定的な問題の為とかそんな理由の“助かりました”って聞こえるんだけど、一体全体どんな会話をしていたのやら……)
若いお嬢さんの相手に老齢の統括侍女さまも疲れてしまったのかもしれない。
当たり障りない挨拶をしたけど、疲れたような溜息と一緒にそんなこと言われちゃねえ。
いや、揶揄するとかではなくて常識の違いというかなんというか……要するにジェネレーションギャップってやつで。でもそれだけじゃないだろうけどね。うん、まあ。
「統括侍女殿、ごきげんよう。お手間は取らせません、貴重なお時間を頂きまして感謝いたします」
「バウム殿もごきげんよう。ファンディッド子爵令嬢の事、よろしくお願いいたします」
ミュリエッタさんに飛びつかれる勢いで詰め寄られたアルダールが彼女から距離をとって私と同じように統括侍女さまにご挨拶をすれば、統括侍女さまも表情を和らげて応じてくださいました。
私が今はプライベートなのでファンディッド子爵令嬢と呼んでくださいましたが、なんでしょう……普段呼ばれ慣れてなさ過ぎて違和感しかない。大丈夫か私。
この場でアルダールにとって挨拶すべきは普段から陛下のお傍にいる統括侍女さまであって、迷惑をかけてきたウィナー父娘はオマケくらいの露骨扱いなのが私どうしていいかわかんないわぁ、これわざとなのかな。わざとだろうな。ちょっと私の方がどう対処すべきか困るんだよねこういうの。
もう少し私たちが砕けた関係で、親しい間柄ならばそういうのは非公式の場だからと和やかだったんでしょうが今回はどう足掻いても違うわけですからどうにも空気が重たいです。
流石に場の空気がひんやりしたことにはミュリエッタさんも気付いたのでしょう、ちょっと納得いかない様子でしたが、父親が頭を下げたのを見てそれに倣いました。
なかなか綺麗にお辞儀出来ていたので教育係さんはとても頑張ったのでしょうね!!
今日のミュリエッタさんは、薄紅色の髪を高く結い上げて白い花をたくさん編み込み、ふわふわとしたオーガンジーみたいな素材を使ってアレンジされた黄色のドレスを着ていました。可愛らしさと美しさが両立する、流石ヒロイン……これは見惚れますわぁ。
対する私は大人だからとネイビーカラーでも十分と思ってましたが、やっぱり……地味、ですよね。
ちょっとだけ胸が痛みます。だってやっぱり見比べたら若く美しく才覚も愛嬌もあるであろう美少女と、大人なのに恋愛経験が皆無で引っ込み思案の地味女、どっちがいいかなんて……いやいやだから! 私が決めつけてどうするんでしょう!!
まったくもってこの意気地なし!! 自分の事ですけど。なにか!?
勿論、余計なことは顔に出しません。今日のメインはアルダールがウィナー殿の謝罪を受け取って挨拶とするってことなので、私のことなど些末な問題です。いいんです、この後出かけるのは私だもんね!
「ウィナー殿ですね、アルダール・サウル・フォン・バウムと申します。お見知りおきを。我が父、バウム伯爵より話は伺っております。本日は叙爵、誠にめでたい事と存じます」
「は、は……次期剣聖と名高く、若くして近衛となられたアルダール・サウル殿にそのようにお言葉をいただけたこと誠にありがたく、過日は娘がご迷惑をおかけしたと聞きこうして直接お詫び申し上げる機会をいただいた次第でして……」
「あたしは、ただ……!」
「ミュリエッタ!」
流石に迷惑をかけたと言われて黙っていられなかったのか、抗議しようとしたミュリエッタさんをウィナー殿は叱りました。父親の声にやっぱり納得しきれてはいないのでしょうが、口を閉ざした彼女はしゅんとした様子でアルダールの方を上目遣いに見ています。
ああ、うん。女の私から見ても萎れた花のようでついつい励ましてあげたくなってしまいますよね! しないですけど。
逆にアルダールがそれにクラクラッと来ないかが心配になるレベルなんですよ本当。
信じてないのかとかそういうんじゃなくて、ミュリエッタさんの魅力値がステータスとか見えたら上限突破してないかってくらい凄いんですって。
「お詫びの言葉はこれ以上必要としておりません。どうぞ、これから新たな生活を送られるにあたって守るべきマナーを知り、守り、クーラウム王国の貴族としての矜持を持ち暮らしていただければと思います」
「……心に、刻みます」
殊勝な面持ちで頷いて見せてるけどウィナー殿は理解してるのかしらとちょっと心配になりますね。
簡単に要約すると“クーラウム王国の貴族の一員になったんだから恥ずかしいことしでかさないようにね”って言われているんですけど……それを守ることがとても難しいってこともひっくるめて理解してくれていると良いのですが。
その二人の会話で謝罪が終わったんだととったんでしょう、ミュリエッタさんが顔を上げて「良かったね、お父さん!」と無邪気に笑っています。
ウィナー殿も疲れたような笑みを見せましたが、娘に対して頷いて見せている辺り……わかってんのかなあ、わかってないのかなあ!
「ウィナー殿」
「は、はい!」
「こちらはファンディッド子爵令嬢ユリア殿です。私の恋人で、本日はご挨拶を共にと思いまして」
「ご紹介にあずかりましたユリア・フォン・ファンディッドと申します。王宮内にて王女宮の筆頭侍女を務めさせていただいております。あまり顔を合わせることもないかとは思いますが、どうぞお見知りおきくださいませ」
「これは、その……ご挨拶が遅れまして申し訳ございません! どうぞよろしくお願いいたします!!」
「もうお父さんったら! ユリアさまはお優しい方だから大丈夫だって前に言ったじゃない!」
「こ、この方にお前がご迷惑をおかけしたんだろう?」
「もう……そりゃ、勝手がわからなくてご迷惑をかけちゃったのかもしれないけど!」
ぷっと頬を膨らませて父親に食って掛かるミュリエッタさんは年相応に見えて可愛らしいけど。
でもほら、そういう所作に統括侍女さまが角生やしそうな勢いで見てるんだけど、そういう所気をつけてくれないかなあってちょっと内心ハラハラするんですけどね?
勿論、表情には出しませんし余計な口は出しませんよ! 私だって飛び火で統括侍女さまにお説教喰らうのはイヤですからね。
「それにしてもユリアさま、そのお召し物ちょっと地味じゃありません? 折角ドレス姿なんですからもっと明るいものになされば良かったのに」
「……ミュリエッタさん、私は本日ダンスパーティに参加するわけではありません。観劇のような夜会ではさほど華やいだものを選ばずとも良いのです」
「ええ!? やっぱりダンスパーティには出てくださらないんですか!?」
「それは前もってお伝えしてあったと思いますが……ああ、遅くなりましたがミュリエッタさんもそちらのドレス、とてもお似合いです。きっと多くの貴公子が見惚れることでしょう」
大袈裟に驚いて見せるミュリエッタさんに、私の方が首を傾げてしまうところでしたよ。
話を変えるように彼女の姿を褒めてはみたものの、一体全体どういうつもりだろう?
いやいや、いくら魅力的なミュリエッタさんからおねだりしたからって公式行事に対して直前に「やっぱり出ます!!」とかできると思ってるのかな? だとしたら参加する方も、おねだりした方も相当頭がオメデタイって話になっちゃうんだけど、そういうのやっぱり理解してないのかな?
逆にめでたい行事のパーティなんだから公式行事だろうと皆が寛容だと思ってるのかな。だとしたら大間違いっていうか、そんなこと大きな声で言うから統括侍女さまの目がより吊り上がった気がするんだけど……。
「ウィナー殿、本日のパーティでは決してご息女から目を離さぬように」
「は、はいぃ!?」
「そのように能天気な発言、そこかしこで仕出かしては国外からいらした来賓の方々にクーラウムの威信が問われてしまいます。黙って微笑んでいるようしっかりと何度も言っておりますが、決して、決して口を開かぬように注意しておきなさい! 今日はバウム殿とファンディッド子爵令嬢だからこそこの場は聞かなかった事にもしてくれるでしょうが、公式の場ではそうはいかないのですよ!?」
「みゅ、ミュリエッタあぁ……頼むよ……」
あぁーなんでしょう。
いつぞやのスカーレットに言ったような気がしますね、とりあえず黙ってようかって。
あれを思い出しましたが、あれとこれは大分違いますけどね? それにミュリエッタさんの場合、スカーレットと違ってあんまり向上心的なものが見えないっていうか……“なんで?”って言わんばかりのその顔、可愛いですけど……パーティで一波乱とか、ないといいなぁ……。
後でメレクに聞いてみようかなあ。
というかメレクに飛び火とかしたらどうしよう。そっちの方が心配になってきたかもしれない。
「と、統括侍女さま! あのっ……」
そんな私たちの所に顔色を変えたメイドが慌ててやってきて、統括侍女さまに何事か耳打ちをしました。
すると統括侍女さまが珍しく慌てたような顔をして、私を見たのです。
(え、なんで私?)
そう思った私から、目を離すことなく統括侍女さまが口を開きました。
「王弟殿下ならびに王女殿下がウィナー父娘と面会したいと、非公式においでです。お待たせすることは非礼になりますのでお入りいただきますが、皆失礼のないように。わかりましたね、ウィナー殿、ミュリエッタ嬢」
え、え。
プリメラさまと王弟殿下!?
どうして。そんな予定は入ってなかったよ!? そりゃ統括侍女さまも知ってたのかって私を見るよね!
いや知りませんでしたよ。知りませんでしたとも!!