111 とある離宮の茶会風景
「……例のお嬢さん、いきなりエスコートの申し入れを第三者にお願いするなんて思い切った女の子なのねえ」
ふんわりと微笑んだ王太后に、笑みだけで返したのはビアンカだ。
今や公爵夫人として社交界の大輪の花として君臨するビアンカだが、夫である宰相もその友人である王弟も含め、よくよく王太后には世話になった覚えがある。
「どんな人たちなのかしら?」
「あら、王太后さまのことですからわたくしが何か申し上げなくともご存知ではございませんの?」
「ふふ、そんなに遠くのことまではわからないものよ」
「王太后さまですもの、なんでもご存知だとばかり思っておりましたわ」
「あらありがとう、でもわたくし、ただのおばあちゃんですよ」
「まだまだお若くていらっしゃるじゃありませんか」
くすくす笑い合う女たちは仲良く茶を口に含んで菓子を摘む。
それだけ見れば、なんとも優雅な、まさに貴族の茶会だろう。豪奢な建物の中で美しい陶磁器や調度品に囲まれ、手入れがきちんと施された庭園を眺めながらの茶会だ。
「近衛騎士にエスコートを願い出たことを、父娘ともども非礼であるとは知らなかった、とのことですわ。教育係が一般的には、初の社交パーティではエスコート役に異性の家族を伴うこと、だけれども身内が場慣れしていないこともあるので――」
「代理をお願いして社交界に馴染めるようにするという特例もあり得る……を良いように曲解したということかしら?」
「はい。教育係は一般的な話で、今回の父娘に関しては社交界デビューとは異なるのだから知識として知っておいてもらおうと軽く触れたのだそうですわ。ところが礼儀作法で及第点も出ないうちからそのことに触れるとは予想していなかったようで。当家の手落ちと言われればそれまでですが……」
今回のように一代貴族になった者とその家族が社交界を訪れるのに、経験も人脈も当然ない。
その場合は彼らの後見人的な立場を得た貴族が面倒を見るのが一般的で、それを教育係は改めて社交界デビューとなる日を待ってそのようになるであろうと教えたのだという。
今のところ、ウィナー家に対して後見人扱いの貴族は定められていないのだ、あくまで生誕祭のパーティは叙爵祝いで参加を許されているという特例に過ぎない。
それを彼らは説明されても理解していないのだろうとビアンカは言う。
「宰相とその妻を表立ってどうこう言えるほど胆力のある者はいないでしょう。その状況であるのならばそれを突っつこうものならば英雄父娘を美談として噂している貴族たちから白い目で見られるでしょうしねぇ」
公爵家の部下がきちんと教育をしていないから、と糾弾すれば英雄父娘が学ぶ機会を奪うのか、そのような恥をかいたことを広める必要がどこにある。そう逆に糾弾されるのは目に見えている。
内輪でそれは良くないことだと諭し終えているのだから、それを広めるにはあまりにも周囲に広がった英雄父娘の美談が邪魔をする。
それが誰の手によるものなのか、それを知る方法はない。
英雄父娘は美談によって少しばかり貴族社会からの見る目にハードルが上がっただろうが、その分友好的関係を築きたいと思っている者たちからの好意的な視線を得られる。
公爵家は多少のミスを彼らがしても周囲の協力を仰ぎやすくなる。
どちらにとってもあまり不利益の無い話なのだから、それを取り上げてどうこう言おうものならば言った側が悪役になることは目に見えているのだ。
それを遠目に見守る王太后は微笑むだけだ。
「この件を教育係から咎め、諭されたことから父親の方がバウム伯へ正式に謝罪申し上げたいと願い出ておりますの。一応夫がバウム伯に確認をとる、ということで落ち着いておりますが」
「あらあらまあまあ」
娘の失態を父親が詫びる。普通に考えて、当たり前の事だ。
だが叙爵されていない父親は身分的には平民のままであり、その娘も当然そうだ。
そんな彼らが「正式に謝罪したい」と伯爵に申し出たところで一体その謝罪にどのくらい価値があるのかという話になってしまうことも考えられたし、もしかすればバウム伯と面識を得るための計画だったのではないかという穿った見方もできるのだ。
モノを知らぬ小娘の失態を理由に、バウム伯という軍閥に加えてもらおうという下心ではないのか。
或いは、急激な環境変化に戸惑って失態を犯した娘を庇う父親というよくあるお涙頂戴物語から家族思いで有名なバウム伯爵の好感度を得ようというのか。……こちらはあまり効果のほどが期待できないと思えば、前者の方が確実であろうけども。なにせ流石に大した面識もない小娘が自分の息子を名指ししたというだけでも十分印象は良くないからだ。
大貴族であればあるほど処断する時は厳しいが、同時に寛容さも求められがちだ。それを利用されたのではないのかという感じるものがいてもおかしくはなかった。
だが内情はともかく、『英雄と大将軍でもあるバウム伯が会った』という事実があればそこからまた噂は広まるに違いない。
逆に『英雄が面会を求めたが大将軍はそれを断った』となっても噂は噂を呼ぶに違いない。
どちらかを選ぶかならば、面会をする方が厄介ではないとビアンカは思うしおそらく王太后もそう思っていることだろう。
だがそれをどちらも口にすることはない。
彼女たちがする“社交界の外交”と男たちがする“政”は近くて遠い、似て非なるものなのだから。
「礼儀作法の方もまだまだと報告を受けておりますわ。父親の方はテーブルマナーをもう少し見れる程度にはしておかねば乾杯すら厳しいかもしれないとか」
「まあ、そんなに?」
「娘の方はカーテシーがお辞儀の一種であるということは知っていても芸人が貴人を真似るのとほとんど変わらぬ出来栄えだそうで。もう少し時間が必要かもしれませんわねえ」
「あらあら……それじゃあ父娘揃ってどちらも毎日くたくたでしょうね」
「まあ、生まれてこの方貴族社会と無縁の暮らしをしていた者たちが一朝一夕で貴族になれるとは誰も思っておりませんわ。ただ、見苦しくない程度に学んでもらえれば重畳と言ったところでございましょう」
「そうねえ」
なんとも厳しい発言をするビアンカだが、それを王太后も否定はしない。
彼女たちにとって、貴族としての礼儀作法は生まれたその時から傍にあるものだ。染み付いて当然という生活をしていた者からすれば、唐突に貴族になった者が慌てて学んだところで他者が十何年かけて身に付けた技能を容易く手にできるとは思っていない。いかに才能があるのだとしても。
「それに……父親の方はどうかわかりませんけれど」
「なぁに?」
「娘の方は、一人になったところで『早く冒険者に戻りたい』とこぼしたそうですわ」
「まあ」
ビアンカが受けたという報告のそれに、王太后も流石に目を丸くした。
貴族になった者が冒険者に戻るとは異例もいい所だろう。確かに娘の方は正確な貴族ではないし、父親が死亡すれば平民に戻るのだからいずれはそうなるのであろうけども。
自ら望むというのには、少々無理があるのではないのだろうかと誰もが思うところだ。
一人だからこそ溢した本音と思えるが、流石にそれを突きつけて問い詰めるほどの材料は何もない。
「貴族の一員になる、ということがわかっていないのでしょう」
「そう、ねえ……少しばかり困った父娘かもしれないわねえ。辛い思いばかりしなければ良いけれど」
「陛下が例の『美談』を耳にして大層お心を痛められたそうですから、きっと目を掛けてくださるに違いありませんわ」
「まあ」
それはそれで、国王が冒険者上がりの一代貴族に目を掛ける……ということがどれだけ当人たちのプレッシャーになるのかと思うと王太后としては同情を禁じ得ないが、ビアンカは違うようだ。
面白そうに笑って、また焼き菓子をひとつ摘んだ。
「貴族を甘く見ると良いことがないというのを、覚えてもらうにも良い機会ですわ」
「まったくこの子は。そんなに厳しくしてばかりでは馴染めるものも馴染めないかもしれなくてよ?」
「それはそれで構わないと思いますけれど」
諸手を挙げて歓迎されているわけではないのだ、と言外に告げるビアンカに王太后はただただ、困ったように微笑むだけだった。