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王弟殿下に連れられて、私たち二人は豪華な執務室に招き入れられた。まあ、当然王弟殿下の執務室だよね! 元々軍務省という省庁のトップであるお方ですからね、執務室だってそりゃもう立派なもので当然ですよ。
軍務省というのは軍の全体を統括している省です。歴代大将軍が軍務省長を兼ねるのが多いのですが現在は軍務省長を王弟殿下、大将軍をバウム伯爵さまが務めておいでです。まあその体制になったのは国王陛下が命じられたからですが、その方が文官武官の衝突が減って上手く回っているのできっと陛下も思うところが色々あった人事だったんでしょうね。あくまでそれは周囲の噂ですけどね!!
とはいえ、軍部に勤める予算や物資を扱う文官と現場で作業に当たる武官とでは意見のすり合わせ一つでも大変なんだという噂は私も聞いてましたからそれぞれの意見を統括するトップ同士がすり合わせるというのは良い考えな気がします。
まあそれはここでは関係のない話でしたね。
豪華な執務室にはなんと! その武官たちのトップである大将軍閣下、つまりアルダールのお父さまもいらっしゃったんですよ。
直立不動の姿勢で立ってらっしゃるバウム伯爵さまの前をさっさと通り過ぎて、王弟殿下は自分の椅子にどっかりと座ると顎の下に手を置いて空いている手で机の上にある書類を邪魔だと言わんばかりにどけていく。……どけていいのか、あれ。
「……殿下、何も本人を連れてくる必要はなかったのでは? 当人には自分が身内として確認をとると申し上げたはずです。それと書類は隅にやらぬようお願い申し上げます」
「いやいや、さっき気分転換に外へ行ったら丁度いたもんだからな。こういうのは本人がいてくれた方が不都合もなかろうよ。勿論近衛隊長とプリメラにはオレの方から連絡して時間を貰ってるから大丈夫だ。書類は後でな」
王弟殿下のその物言い、やったためしがないんじゃないかなって言う言い訳にしか聞こえないのが残念ですね!
同じように思っておられるのか、バウム伯が深くため息を吐き出されましたが王弟殿下は笑っただけでした。がっしりした体躯に重そうな鎧、厳めしい表情。まさに『ザ! 軍人!!』という雰囲気の男性ですがアルダールの方を見てなんとも複雑そうな顔をしています。そして続けて私の方へ視線を向けて、とても困ったような表情を見せてすぐさま視線をそらされました。え。嫌われてます? これ嫌われてますかね?
「で、アルダール。どこで誰の目があるかもわからなかったから来てもらったんだが、お前とあの英雄の娘……なんつったっけか?」
「ミュリエッタ・ウィナー嬢です、王弟殿下」
低い声でバウム伯爵さまがお答えになるけど、どうにも空気が重苦しい。
さっき王弟殿下と一緒に居た秘書官とはまた別の秘書官は無言でひたすら書類してるし、この部屋付きの侍女は能面張りの無表情で端っこにいたからまるで置物かと思いましたよ。あんなとこが定位置とかなの? ちょっと怖いんですけど!
いえ、勿論そんなの顔に出しませんでしたし、彼女に向けて目礼はいたしましたしあちらも返してくれましたけども。
……ほんと、軍部の侍女に配属されなくて良かった。
いやですよこんな殺伐とした感じの所に配属とか!
「おう、それだ。そのウィナー嬢と出会ったのは最近か?」
「はい、つい先日彼女と共にいた所を同僚のレムレッド近衛騎士を訪ねたウィナー嬢を紹介されました」
「確かに、私もその場におりました」
「レムレッドっていうとレムレッド侯爵家の血縁か」
「は、自分の記憶が正しければレムレッド侯爵の三男坊であったと」
すごいな大将軍、近衛隊の人間まで把握してるのか!
いや流石に軍全体を把握してるってわけじゃないんだろうけど……記憶力いいんだろうなあ。
うん、いやそんなわけないか。普通に考えて息子の同僚で同室っていうので話を聞いたことがあるから覚えてたとかきっとそんなんだろう。
「うーん? どういう繋がりだ?」
「彼は前線に出た折、例の巨大モンスター退治に際し怪我を負った時に英雄父娘に救助されたのが出会いだったとのことですが」
「それで、貴族になるにあたり知り合いがいないことが不安とのことでしたのでハンス・エドワルドさまがアルダールさまをご紹介なさろうと……その際には私もご挨拶させていただきました」
「ああ、なるほどな」
巨大モンスター退治の際に近衛騎士で負傷者が出たことは記憶にあったらしく、それとハンス・エドワルドさまがようやく繋がったらしい王弟殿下は頷いてそれまでの表情とは一転、真面目な顔を見せた。
「それでどうする? バウム家に申し入れもないままにあの嬢ちゃん、なんと初めての礼儀評価の場で統括侍女のバアさんにさっきの話をしたらしいんだが」
「当然お断りします」
「バウム家当主としても息子の判断を支持します」
「まあそりゃそうだな」
まあそりゃそうでしょうね、アルダールとバウム伯爵さまの反応は当然だと思います。
まだ正式に叙勲もされていない男爵家の令嬢が宮廷伯のご子息にエスコートを承諾も得ずに別の方に願い出る、というのはちょっと……貴族令嬢としては相当はしたないことですからね。何がどうはしたないのかっていうと、身分差も考えないし誰かを通じてお願いする頭もありませんよって自分で言っているような感じですからね。女性らしく慎ましやかに、なんてものが一つも感じられないと言われてもちょっとこれは擁護できないっていうか。
先日貴族令嬢としての振る舞いってものがあるんだって伝えたつもりですが、不十分だったんでしょうか。
よりにもよってそういうことにものすごく厳しい統括侍女さまにお伝えするとは……豪の者と呼ぶのではなく無知って怖いというやつですよ。心証半端なく悪くなったでしょうねこれ。
統括侍女さまだけじゃなく、バウム伯爵家にも。
……というか、今更感半端ないですが気が付きました。隠しキャラの対象にアルダールがいたってなにもおかしくないスペックであることを。ええ、ええ、今更ながら。本当に今更なんですけどね!!
攻略対象者の兄、しかも複雑な家庭環境でありながら優秀、次期剣聖とまで呼ばれる才能、美形。ストーリーに名前付きで出てくるという大ヒント!!
何故に対象者だと思いつかなかった私! いえ、そうじゃないといいなという気持ちが私の目を盲目にしていたに違いありません。そうであって欲しい。じゃないととんだ間抜けだわァ私。
王弟殿下っていう可能性もあるんだろうけど、そう、大事なのは“隠しキャラが一人とは限らない”ってことじゃないかな。というか何故一人だと思った。下手したら王弟殿下とアルダールとその他にいるって思ってもいいじゃない。
いつから隠しキャラは一人だと錯覚していた……? とかネタ的な事思いつきましたが、それはきっと現実逃避ですね。
ゲームボリューム的に追加されてるなら三人が限界か? どうなんだろう、知り合いにプログラマーとかいなかったからな……わかってるのは、隠しキャラには裏エンディングみたいなものは無くてハッピーエンドかバッドエンドか、エンディングは二種類だってことくらいかな。
そもそもこの考えが外れていて、アルダールも王弟殿下も違うかもしれないという可能性もあるんだろうけど……。
「……、あの、私がここにいる理由はなんでしょうか」
「ん? ああ。アルダールの恋人なら聞く権利はあるだろ」
「それは、まあ、……そうなのですけど」
正直なところ、アルダールがもしあの美少女の誘いを受けたくても恋人が目の前にいたらイエスとは言いにくいんじゃないのかと思うんだけど……断らなくちゃいけない空気を私が作っているなんてことないよね……?
いや、疑ってるんじゃないよ! ただ、ほら、……自信がなくてですね。
思わず王弟殿下の答えにも上手く応えられなくて、俯いてしまった。ああ、どうして私は自分のことに関してはこう、ダメなんだろうなあ。余計に自信を無くしてしまいそう。
「アルダール、ウィナー嬢に指名された理由に心当たりは?」
「何もありません。……ユリアは何か、思い当たるかい」
「えっ」
何故私にそこで話題を振るかな!?
アルダールは空気が読めない人じゃないだろうに、私がなんとなく落ち込んだことを察して……あっ、察したからか。
いや違うのよアルダール、確かに私所在なさげだと思うけどそれは別にここの部屋の空気の問題じゃなくてね、美少女が恋敵とかあり得ないわー私が悪役令嬢側かよスペック的にも無理がある……って自信の無さからくる自己嫌悪の嵐に呑み込まれてただけなんだよね!
でも話を振られて答えないわけにはいかない。
「……そう、ですね」
ミュリエッタさんの目的がアルダールなのは隠しキャラだからかも、なんて当然言えるはずもない。
もし隠しキャラ攻略が目的なら、まあ出会いから彼のストーリー踏破しててどう“口説き落とすのか”を知っているからなんだろうけど、だとしたらあのハンス・エドワルドさまに連れられて紹介される、がゲーム上スタートだったのかもしれない。
ただ、彼女の誤算はきっと私の存在だ。
私自身隠しキャラの存在が誰なのか知らなかったからアルダールと今みたいにお付き合いに至ったのが謎でしょうがないけど、彼女的には挨拶がスタート地点だったなら、あそこでまず出会いを果たして次に繋がるイベントだったに違いない。
でもアルダールに惚れたかも、なんて言うのも癪だし必要も感じない。
かといってじゃあ適当に答えるなんて訳にもいかない。
「身分というものを彼女が学ぶには時間があまりにも短いと私は思います。その未熟さゆえに貴族令嬢としてパーティはどなたかにエスコートをされるものという中途半端な知識を得て、急ぎお願いせねばならないと考えたのではないでしょうか」
「ふぅん?」
「ですので、彼女の知人でパーティに参加できる貴族位の男性……となると相当限られてしまいます。そう、ハンス・エドワルドさまとアルダールさまのお二方かと。ですがハンス・エドワルドさまは足を痛めておられると耳にしておりますので、アルダールさまのお名前があがったのではないかと推察いたします」
「……なるほど、筋は通っているようですな。確かにあの娘の周辺には妙な派閥争いを招かぬよう、他の貴族からの面会を今は断っている状態。ウィナー家の教育係に苦情を申し立てるだけで済ませるのが穏便でしょう」
「バウム家はそれでいいんだな?」
「……未熟な小娘ということであれば、赦しも必要と愚考いたしますれば」
「ユリアは?」
「わ、私ですか?」
王弟殿下、何故に振るかな!
十分答えたでしょうに!!
「おう、自分のオトコに粉ぁかけた女を許してやれるか?」
「……先ほども申し上げた通り、ミュリエッタさんは貴族令嬢としてまだ未熟。それを咎め立てるのは……」
うん……いや、不安にはなったけど。
私に対して遠慮して断った、ってわけじゃないってアルダールを信じているけど。
いや信じてるよ、アルダールから言葉をくれたんだからね。私のことを好きだって、言ってくれたんだからね……。
でもほら……私、ちゃんと、好きだって返せたけど、まだ名前も呼べないし。
ミュリエッタさんに比べたら胸も美貌もない。身分はちょっとだけ上だけど、男爵家と子爵家なんて貴族のヒエラルキーで言えば下っ端貴族。大きなカタチで見たら、どんぐりの背比べ。
自信のない私と、『ヒロイン』という強みを持つ彼女。平凡な人間と、優秀な人間。
どっちが優位かなんて考えちゃったら、元々自分に自信のない私がどんどん自信を無くしてしまうのはどうしようもなくて。
(ああ……、いや、だなあ)
それが、自分に自信を持てない自分について、なのか。
アルダールを奪われたくない、という気持ちについてなのか。
ちょっとわからないまま、私たちは王弟殿下の「じゃあ、一旦この件はオレが預かって伝えておく。解散!」って言葉に頭を下げてそれぞれの職場に戻る。
途中までやっぱりアルダールが送ってくれるって言うからそれに甘えさせてもらったけど、私は俯いたまま顔があげられなくて……本当に、申し訳ない気持ちになった。
疑うわけじゃないの。
信じてないわけじゃないの。
でも自分に自信がないの。貴方に好かれたっていうだけでびっくりするほど奇跡っぽいのに。
嬉しい。嬉しいの。でもだからこそ、奇跡みたいな恋だから、その分すごく臆病にだってなるワケで。
「ユリア?」
「も、……ここで、大丈夫、です」
「どうしたんだ?」
「いえ」
「……ウィナー嬢のこと、気になるのかい? 私は、別に彼女のことは何も――」
「大丈夫ですから!」
「……ユリア」
しまった。
思った以上に大きな声が出て、私の方がびっくりした。
いやあ驚きだよ、あまりの事に冷静にすらなった。
冷静になると、次に一気に血の気が引いたね!!
「い、いえ、あの! アルダールさま、あの……っ」
「……うん」
「じ、自分に自信が持てなくて、……ミュリエッタさんは、とてもお綺麗で」
「うん」
「だから、パーティ、私がいたから断ったんじゃないかって、いえ、違う、私……」
ああ、慌てて言い訳しようとして支離滅裂になった。
そんな私に、アルダールが眉を寄せる。
うわあああああドツボにはまるって、こういうことか!
背中を嫌な汗が伝うのを感じた。……冬なのに。冬なのに!!