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私、ユリア・フォン・ファンディッド。成人して一人暮らし、なんと王女様付きの侍女なの!
突然王太子殿下に呼び出され、お父様がとんでもないことに巻き込まれていると聞いてびっくり!
急いで帰ることにしたら、軍務省長官を務めてらっしゃるアルベルト・アガレス王弟殿下が一緒に行ってくださることになって……私と実家はどうなっちゃうの~?!
とまあ、80年代くらいの少女漫画的なノリになった理由は。
正直騎竜に酔った。でも私は悪くないと思う。
いいですか。現役の軍人で単騎駆けだってしちゃうような脳筋と、一応貴族の子女の嗜みとして移動手段程度に乗れる私が同列なはずがないのです!
しかも今回乗ったのは、王室所有の超有能な調教師によって鍛え上げられた、軍用の、超一流の騎竜です。
スピードがそこいらのものと全っ然違いました。
死ぬかと思ったんです。いやマジで。
本当どうなることかと思いました。実家よりもまず私が。
「いやぁ~、初見であそこまで乗りこなせりゃぁ大したもんだ!」
高らかに笑いながら私の背を叩くアルベルト・アガレスさまをちょっと睨みつつ、吐き気を堪えつつと忙しい私は、それでも夕方に王城を出発して夜半過ぎには実家に到着しました。
これは驚きの記録ですね……もう絶対やらないけど。
今までの経験から考えると、一般の馬車で乗り継ぎ込みで1日半かかるところが、本当にアルベルト・アガレスさまが仰ったとおりの半日ですよ。軍専用の騎竜パネぇっす。
ところでこの騎竜、貴重な上に気性が荒く、乗り手を選ぶことでも有名なのです。
私が今回乗ったのは、軍用の中でもなんとアルベルト・アガレスさまが育てている騎竜の一頭です。
頭も良いのですが、何故に一般に出回らないかというと気性の荒さ・乗り手を選ぶところ、それ以外になんともネックなのが【餌代】。
よく動く代わりなのか、とても食べるのだそうですよ。
ちなみにプリメラさまにも一頭おりまして、シャイナというメスの騎竜がいるんですが私も何度か餌やりをしたことがございます。
プリメラさまと私が幼竜の頃から世話に関わっているためか、調教師のテイルさんと私たち以外に懐きません。
でもこんなに騎竜というのが恐ろしくスピードのあるものなら、プリメラさまについていくためにも私用の騎竜を用意すべきでしょうか……遠乗りにシャイナを使うと言われたら、普通の馬で付いていける気がしません!
さてそれはさておき、先ぶれもなく帰ってきてしまいましたからきっと継母……お義母さまはお怒りになることでしょうね。
お父様がこぼした愚痴を総合するに、私が出て行ったあとは社交界に溶け込むためにずいぶん浪費もなさったようですが、貧乏子爵家で財産がそういくらもあるわけじゃないからお父様に厳しく当たられていた模様。
お父様はお父様で、私の母と恋愛結婚で娘が生まれたら不美人で、挙句に愛妻は病死。周囲に再婚を勧められてしてみたら気の強い好みと真逆の女性。
でも仕事上の付き合いのある上に地位も上の人の娘だから邪険にもできず、かといって愛するには負担が……ということだったらしいけれど、そんな家庭環境で弟は大丈夫なのかしら。
私がいた頃は、義母が私を敵視(というほどではなかったけれど)していたし、弟が生まれたばかりということもあってそこまで険悪な空気はなかったというのに……。
「お、お嬢様?!」
「急に帰って悪いけれど、お父様とお義母様はどこかしら?」
「旦那様と奥様は今サロンにおられますが……そ、そちらの方は」
「何事ですか!!」
「こ、これは奥様、お嬢様がお戻りに――」
「そのような娘は知りません。何ゆえにこのファンディッド子爵家に足を踏み入れる権利があって来たのです、そのような薄汚い恰好をして!」
「よ、よさないかフラン!!」
「前触れもなく来たことにはお詫び申し上げますが、お父様。私が何故ここに来たのかおわかりですか」
「……フ、フランに詫びるためだろう?」
「違いますわね。カイエン、申し訳ないけれど人数分のお茶を用意して人払いをしてちょうだい」
「っ、不器量な上に外に出て言った挙句突然戻ってきて家主かのような振る舞い、あなた、何故許すのです!!」
「よ、良いからフラン! 少し控えなさい、あそこにおられるのは……」
「あなた!!!!!」
あんなに義母はヒステリックに叫ぶ人だっただろうか。
当主の妻の座に収まり、跡継ぎまで生んで。
目障りな長女も出て行ったのに、何が不満なのだろう。
そう思った私のことを理解している執事のカイエンが丁寧に私に礼をして、こっそりと教えてくれた。
「奥様は先ほどまたドレスを新調したいと旦那様に仰い、却下されたばかりでご機嫌がようございません。ところでお嬢様、そちらの方はお嬢様の良いお方なのでしょうか?」
「いいえ違うわ、こちらの方はアルベルト・アガレス王弟殿下です。失礼のない様に。さあ急いでちょうだい」
「おっ、……これは大変失礼いたしました。ファンディッド子爵家執事、カイエンと申します。ただいま客間にご案内させていただきます。どうぞこちらへ」
「うむ。ユリア、あれがお前の両親とやらか。なかなかに面白いなあ!」
「殿下、褒めてはいないでしょう」
「勿論」
にやりと笑ったその男くさい笑顔に私は呆れながらも否定はできそうになかった。
だって私が高らかに王弟殿下がおこしだと告げても、継母は言うことを聞いてくれない夫に掴みかかるのが忙しそうだったし、その夫で当主たる父は妻を宥めるのに必死な挙句失敗して引っかかれているとんでもない姿を晒している状態なのだから。
こっそりどころか堂々とため息をついたって誰も怒らない。
「あ、姉上……?」
「メレク!」
メレク・ラヴィ・フォン・ファンディッド。私の可愛い弟だ。
15歳でもう社交界デビューも済ませている弟は、突然の私の来訪と両親の夫婦喧嘩を見比べて、それからアルベルト・アガレスさまを見て、目を丸くしてから慌てて二階の部屋から転がるように降りてきた。
そしてすぐさま膝をついて、「王弟殿下におかれましてはお初におめもじつかまつりつりる」と大事なところで噛んだ。
もう一度言おう。
大事な挨拶の冒頭から噛んだ。
しかも結構がっつりと。
「……殿下、弟のメレク・ラヴィですわ。今年社交界デビューいたしました」
「お、おう……」
肩を震わせて一生懸命笑わないように堪えるくらいには、王弟殿下の良心はあったらしい。
はあ……ファンディッド子爵家は面白い家だ、なんて後でこの方吹聴したりしないわよね……?
まだ私はいいけど弟のこれからが案じられるし……いや待て、そんな面白家庭だとかプリメラさまに思われたら私どうしたらいいんだっていう話ですよ!
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「で、お父さま。どういうことかわかってらっしゃいますよね? この期に及んでわかりませんごめんなさいとか言い出しませんわよね? そりゃ言いづらいこととは思いますけれども言わなきゃいけない時ってあると思うんですよ、そもそも私が仮の勘当をそのまま否定せず乗っかっちゃったところがいけないんだとは自覚しておりますけどお父様もお父様でファンディッド子爵家の当主として云々言いながらやらかしちゃったことがたくさんあり過ぎて困っちゃいますよね? でもそれがひとつひとつ別物じゃなくて全部繋がってるかもしれないなんて私思ってもみませんでしたの、どうして知ったのかって聞きたいんでしょうけれどまずはご自分から言い訳込みでお言葉にしていただきたいんです」
「……怒涛の娘の怒りってなぁ怖いもんだなあ。なあファンディッド子爵」
「はっ、はい、いえ、あの、妻の方が怖いというかいえ今娘も怖いなとか思ったりとかしましたが……」
「で?」
私がノンブレスで言い切ったことも怖かったらしいけれど、お父さまはアルベルト・アガレスさまの笑顔の一言の方が怖かったようだ。
うなだれて、来た目的が大公妃殿下のことではないか、と小さく言った。
その言葉に声を上げたのは当然お義母さまだ。
そしてなぜだかため息を吐き出したのは弟で、なんだか修羅場の予感がする。ってここが修羅場の現場でした!!
執事のカイエンは冷静な顔して立ってるけど、気を失ってるだろアレ。
いい加減お歳だからまさかと思うけどお迎え来てないよね? 大丈夫だよね?
「まあ恋愛自体は俺も否定はしないが、お前さんは既婚者な上に大公妃殿下はあまりにも身分が違うだろう? それと確認しておきたいが、――知っているのか?」
何を、とまでは言わなかったがきっと妊娠のことだろう。
噂に過ぎない事柄で、アルベルト・アガレスさまに言わせれば流石に年齢もあるし可能性は低すぎるだろうとのことだったけれど。
「大公妃殿下のご懐妊でございますか。いいえ、そのようなことはないと思います」
「へえ、どうして言い切れる?」
「あの方が私だけではなく、数多の男に求愛されていることは知っております。ですがあの方は地上に現れた女神なのです!」
「……は?」
ちょっと待って。
私の父親がいくらポンコツでも斜め上の回答過ぎて全員が固まるわ。
女神? 女神ってなんぞ。
しかも他にも男がいたよってはっきり言っちゃうってことはオープンだったの? なんなの?
「わかりませんか! あの方の美しさはもはや人ですらない!! シャグラン王家の由緒正しき姫君であることからその気品は勿論、あの方は地上に使わされた天使!」
おい、女神じゃなかったのかよ。
はっ……いけない、ついつい脳内でとはいえ口が悪くなってしまう。
いやでもおかしいでしょう。
斜め上過ぎるでしょう。
「私も他の者も、あの方にただ愛されたい。体の関係? そのようなもの必要ないのです。ただ優しく微笑みかけてくださる、それだけで愛が満たされるのです!!」
「わあ、何か宗教の人を見ているような気分です」
「父上……まさかこれほどまでとは……」
「あなた……」
お義母さまと弟が、お父さまを宇宙人を見るかのような目で見た。
勿論、私とアルベルト・アガレスさまもだったけど。
「悦に入ってるとこ悪いけど、あの人シャグラン王家の血筋ってわけじゃねーぞ?」
「……え?」
げんなりした顔で当たり前のように言ってきた王弟殿下に、今度こそ私たちはお父様も含めて絶句した。