四話
部屋を飛び出したまでは良かったが、すでに魔王の姿などは見えなくなっていた。
当てがあったわけではないが、家を去ってからまだ数分しかたっていないし、探していればすぐに見つかると思ったんだが……。
「やっぱり見つからない……」
アパート付近を手当たり次第に探したが、結局見つからなかった。
予想が正しければ、絶対に悲鳴が聞こえ始める。まだいつもと同じ光景だが、いつ阿鼻叫喚の地獄絵図になるか分かったもんじゃない。
とりあえず辺りを探し回ってみると、あることを思い出した。
「そういえば魔王がこっちの世界に来るには、専用の移動空間があるって授業で聞いた気がするぞ。たしか――」
この世界には二つの空間が共存している。俺が住んでいるのは人間界、もう一つは魔界だ。
人間界は名前の通り人間が住んでいるから人間界で、魔界は魔人が住んでいるから魔界。いかにも適当かつ簡単に決めた感じだ。もう少し違う言葉は浮かばなかったのかとも思う。
まぁ基本的には俺たち人間と変わらないが、中には化物染みた奴もいる。
戦闘力が以上に高い。例えるなら、ゲームとかで出てくるドラゴンが普通の人と見た目がまったく同じで、ラスボス並みに強い。
まぁこっちに来ることなんて今まで一度もない。理由はこっちの世界と魔界の間にある境界線を、どうやっても通過しなければならないからだ。二つの世界がぶつからないのは、この境界線のおかげだって授業で聞いた気がする。
まぁ実際はよく分かっていないらしいが、とりあえずは検問所の役割がある。
当然その境界線を通過するには、パスポートみたいな許可証が必要になってくる。犯罪者や危険人物などには許可は下りないが、俺みたいな一般人は自由に行き来できるし、移動するだけならお金もかからない。
そして魔王や勇者、そして政治家などが専用に使える通路みたいなものがあり、そこは俺みたいな一般人は通ることができないし、外部からの侵入ができないような仕組みらしい。
場所はその国の主要都市、つまり俺が住んでいるここ「東京」だ。
「だとし――」
そこまで言った瞬間、ある方向の空が赤く染まっていることに気がついた。それも俺の住んでいるアパートの方向。
俺は来た道を全力疾走で戻っていると、消防車や警察のサイレンの音が近づくと、俺の横を通過して空が赤く染まっている場所に次々と向かっていく。
だが、それだけで終わらなかった。
消防車と救急車、そして見慣れた輸送トッラクに乗った特殊部隊の皆様方。
もう嫌な予感しかしない……。
大急ぎで向かうと、消防車などが止まっている場所は、俺の住んでいるアパートの前だった。必死の消火活動も虚しく、先ほどまで健在だった古いアパートは、燃え盛る炎のせいで見るも無残な姿に変わってしまっていた。
空が赤く染まるほどの炎に、止まることのない黒煙。
「あ……、アパートがあぁぁぁぁぁ――」
住み始めて一週間、そんなに思い出もないアパート。それでも忘れることのできない思い出だってたくさん――あれ、そんなにないぞ……。
なんでダイレクトにこんな不幸が続くんだ?
なんか恨みでもあんのか神様!
「あ、兄さま!」
「!」
今「兄さま!」って聞こえた……。幻聴かな?
背後から聞こえた声に、俺は心の底から驚いた。嬉しさに満ち溢れている声は、離れ離れになっていた兄弟が久しぶりに再会したかのような感じだ。
後ろを振り向くと、こちらに急いで駆け寄ってきている一人の少女。腰まで伸びた黒髪に、日本の大和撫子を代表するようなスタイルと表情、周りにいる女性の存在など完全に忘れてしまうぐらいの美少女。
神様が間違えて、可愛さゲージのゼロを三つほど多く設定してしまったとしか思えないほど美しい美少女は、俺の目の前まで走って急いでやってくる。
そのまま俺の腕に抱きつき、離れないように腕を組んできた。
「兄さま!」
「お……おかえり……雫」
「びっくりしましたよ兄さま。私が魔界で仕事をしている間に、魔王に誘拐されそうになったそうです
ね。でも大丈夫ですよ兄さま! 私が兄さまを全力で守りますから!」
穢れなど全く感じさせない雫の笑顔に、俺は自然とこう思ってしまう。
守りたい、この笑顔!
「ですが兄さま? 私が留守の間になぜ勝手なことをしたのですか?」
「――――」
「もしかして私に何か隠しごとしてないですか? くんくん」
そういって俺の服をお構いなしに匂うと、先ほどまでの天使のような笑顔と眼の光が消え失せていく。
笑顔なのに笑っていない表情で、にっこりとしながら首をかしげる雫。
「私以外の女の匂いがしますけど、いったいこの臭いは誰なんですか兄さん?」
「ちょっと!? キャラが変わってるから落ち着こうね」
「やっぱりあの魔王の娘が原因だったんですね。私の兄さんに手を出して、おまけに私たちの生活を邪魔するなんて許せませんね」
どんどん向かってはならない方向に向かっている雫を、俺は何としても止めなければならない。でなければ、本気で戦争でも何でも仕掛けてしまうだろう。
「それにしても……兄さまの借りてたアパート、残念でしたね。でもこれでまた私と一緒に暮らせますよね?」
「ハハハ……ソウダネェ」
放火だ放火、このアパート雫が放火したに違いない。雫が犯人だ、絶対に間違いない。断言してもいい。
「それにしても、ここの家主は良いお方でした」
「なんで知ってるんだ……」
「さきほど大家さんに『このアパートを売ってください』と頼んだら、快く承諾してもらえました」
面倒にならないように、ちゃんと買い取ったんだな、えらいぞ雫。
雫は勇者であるがゆえに、大抵のことは法律に触れない。もちろん人を傷つけたりするのは関係なく法律で罰せられる。
それにしても買い取るかー、魔族退治にいくらもらってるんだ?
誰にでも出来ない仕事だから、報酬は凄いんだろうな。それに雫って有名人だし。
雫は天才だった。小さい時から何でも出来て、将来も有望視されて、勇者としての適性も完璧だったし。
もう完璧としか思えない雫だが、俺に対しての反応は他の人とは全く違う。
どっから見ても完璧で、駄目なところなんてまったくないように見せている雫だが、俺と一緒に居るときは、俺に甘えたり相談したりしてくる。それはもう別人としか思えないほど、可愛くて愛おしかった。
だが、まれに性格がおかしくなることがあったえいもする。
俺が怪我をしたとき、しつこく原因を聞いて来たり、怪我をしたときに借りたハンカチを木端微塵に切り刻んで燃やしたり、女の子の話題を出しただけで凄く機嫌が悪くなったりした。
だから俺は雫のことを、ヤンデレ勇者と呼んでいるのだった。
昔はメンヘラ勇者だったが……。
「兄さま、先に家に帰ってもらっても良いですか。少し急用を思い出してしまったので、色々と片付けてこようと思いまして」
にっこりと笑顔で俺を帰らそうとしているが、いったい何をを片付ける気だ?
片付けるって部屋の掃除って意味じゃないだろ、明らかに誰かを消しに行く気だろ。だがそうはさせない。雫を扱うのは誰よりも自信があるぞ俺は。
「でも今日は久しぶりに帰ってきたんだし、雫と一緒に楽しい食事をしたいと思ってたんだけどな~用事があるなら残念だなぁ」
「え……本当ですか!」
さきほどの純粋な笑顔に戻った雫は、目をキラキラさせて俺の目を見つめていた。
一気に優先事項を変更させることに成功した俺は、燃え盛る炎のアパートを見つめる。
「どうかしましたか兄さま? さっきからアパートの方ばかり見つめていますが」
「いや……俺の生活道具が燃えていると思うと、なんか心境的に辛いものがあるんだよ。昔からの宝物とか書物とか……」
「そうでしたか……兄さんに辛い思いをさせてしまいました……」
少し暗い表情をした雫だったが、すぐにいつもの明るい表情に戻った。
そう思ってくれるだけ、まだ進歩したもんだ。
「とりあえず早く家に戻りましょう。兄さまとの大切な時間が失われてしまいます」
「あ、あぁ……」
アパートが燃やされただけで助かったと思うべきか、それともやり過ぎだと叱るべきなのか。
叱ると俺の人生が終わる可能性が大だし、叱らないとエスカレートしていきそうだし、寿命が縮むか多少伸びるかの違いなのか……。
まぁ死者と行方不明者が出なかっただけマシだと思うべきか……。
「さあ早く行きましょう兄さん!」
俺の手を掴んで引っ張っていく雫の嬉しそうな表情は、俺の気持ちなんて分かってないように思えた。
自宅までの数十分の時間、俺は雫の楽しげに話す会話を聞いていたのだった……。
そう、自宅までは――