二話
バイト先のコンビニに到着した俺は弁当を買い、わずかな時間を使って休憩室で弁当を食べ終える。
わがままな腹の虫を黙らせてから、俺は何事もなかったように棚の商品を整頓する。
ここは一日を通して客の人数が比較的に多い気がする。とくに弁当を買っていく客は、朝の次に夕方のこの時間帯が一番多い。
出勤時の次に忙しいはずなのに、なぜかバイトは俺一人だけなのだ。もう猫の手どころの話ではない。完全に人手不足だぞここ。
「あれ? 店員誰もいないの?」
「すいません!」
会計をしようとお客の声が聞こえたため、慌ててレジに入って商品の値段を計算していく。
お客から札を一枚もらうと同時に素早くお釣りを返し、商品を袋に入れて客に渡す。
たった一週間で特技の一部となりつつあるレジ打ちだが、恐ろしい速さで会計を済ませていってもレジに並ぶ人の数は、減るどころか恐ろしいほど増えていく。
「ありがとうございました!」
会計を終えた客が商品を持って店の外に出るたびに、感謝の気持ちを込めてお礼の声を響かせる。
このコンビニでバイトを始めてから一週間ほど経ち、レジ打ちから品出しまで一人で出来るようになった。そうでなければこのコンビニで生きていけなかった。俺がここで採用された理由、それはここのアルバイトの人数が圧倒的に少ないからだ。
書類を持って行った日にはまだ若い男性が一人働いていたが、俺が働きたいと知った瞬間にバイトをやめてしまった。
そして今は亡きアルバイトの男性が俺の肩を叩きながら、何かを悟った顔でこう言った。
「三日続くと良いな……」
「なんでそんな不吉なことを!」
「いやさぁ、ここの自給が破格だから選んだんだろ君?」
「はい」
「俺も数々のバイトをこなしてきた。だけどここは別だ! いいか店長も問題児だが、副店長はもっとやばい。地獄を見たくないなら今すぐ別のところを探すんだ」
そのまま二度とここに戻ってくることがない後ろ姿を、俺は初めて見た。
夕方から訪れる客の猛攻をどうにか一人で防ぎ切る頃には、時刻はバイト終了時刻の九時を過ぎようとしていた。
五時から九時までが俺のバイト時間だが、その間は誰一人バイトに来ることはない。このコンビニは、夕方は俺。深夜は店長。朝から副店長が頑張っている。
つまりこのコンビニは三人で動かしていることになるのだ。
なぜかここでバイトする人は一月も続かない。
そりゃ三人でやってればそうなるけど、てっきり忙しいものだと思っていた俺にとっては、それほど問題では無かった。
俺は、だけどな。
なんとか一人でラッシュ時の猛攻を耐えた俺は、店内の壁に掛けてある時計の時間を確認する。
「そろそろ交代の時間か」
バイトの終了時間が過ぎようとしていた俺は、店内からお客が居なくなったときを見計らってコンビニの休憩室に戻る。
空のダンボール箱やビニール袋が散乱している通路を抜け、休憩室と書かれている部屋の扉を開ける。
そこにはイスに腰掛けてタバコを吸っているおっさん――二十代後半の若者がいた。
「え? もう終わりの時間なのか?」
休憩室に入ってきた俺の姿を見るなり、残念そうに休憩室のイスから立つと、オッサンがふらふらと左右に揺れながら近づいてくる。
めんどくさそうに頭を掻いている人が、このコンビニの店長で、佐藤さん。店長だけど本当に残念な人。
残念というか、かわいそうな人の方が正しいかも知れない。
「交代の時間です。今度は店長が働いてください」
「えー若いんだから働こうよ。こんなオッサンに働かせるとか若者としてどうなの?」
「お疲れ様でしたー」
店長の佐藤さんは、基本的に働かない人だ。
本当に忙しいときでさえ、俺一人で仕事をしないといけない。副店長が居れば手伝ってくれるときもあるが、ほとんど出張などでどこかに行っており、手伝ってくれたのは一度だけだった。
それでもバイト三人分の働きを一人でこなしている姿に、素人ながら憧れを抱いていた自分がいた。
「そういえば店長、午前中の仕事してませんよね? 副店長が今日は居ないから代わりに仕事に出てくれって」
「ハハハッ! モチロンシゴトハシタヨ」
「なら何でレジの中のお金がまったく増えてないんですか! 業者が運んできた商品が、裏で山積みなってましたよ!」
「今日ぐらいしなくてもばれないって! 久しぶりに優香から解放されたんだから、サボれるときぐらいサボりたいんだよ!」
なんで逆切れされないといけないんだよ……。
優香さんとは、この店の副店長だ。
とても美人で優しくて誰もが認める人なのだが、店長に対しては性格が一変する。
店長に尽くし、立派な社会人にして、優香さんのお婿さんにするのが昔からの目標らしい。
だが、店長が客の女子と喋っていたりした場面を見てしまった日には、二度とその客は
店に訪れることはない。
店長のことしか考えていないし、逆を言えば店長の事以外は考えない。
ある意味、俺と店長は同じ境遇なのだ。
「できるだけ早く帰るって言ってましたよ、副店長」
「…………」
楽しそうだった表情はどこへいったやら……
一気に人生のどん底のような表情を浮かべ、吸っていたタバコを灰皿に擦りつけて火を消した。
ズボンから箱を取り出し、新しいタバコを口元まで運ぶ。
遠くを眺めるように目を細め、何かを悟っていた。
「短い人生だったな」
「諦めるの早すぎでしょ!」
「君も知っているんだろ、ヤンデレの本当の恐ろしさを」
「えぇまぁ……」
「今日だけで何度電話があったことか……。メールなんて限界まで『愛してる』でいっぱいだし、無視したら『さようなら』って送ってくるし……」
「お腹を思いっきり刺されそうな展開ですね……」
「まったくだ……」
「「ハハハハハ!」」
少しだけ無言の時間が過ぎると、二人して高らかに笑いあっていた。
お互いの苦労を知っていなければ、こんな清々しい笑い声など出るわけがない。
二人して笑っていると、佐藤さんは何かを思い出したような顔をした。
「そういえばテレビで面白いニュースやってたよ」
「店長が面白いと思えるニュースなんかあったんですか……」
店長がテレビの電源をつけると、速報と題した緊急ニュースを放送していた。
そこには一人の女の子の画像が堂々と映されており、行方不明という文字が大きく表示されていた。
「いやぁ~まさか魔王の娘が行方不明なるとはね。しかもこの辺りで目撃されてるらしいじゃん?」
「…………」
あれぇ? どこかで見た気がする女の子だ。
数時間前に俺の部屋のベットで寝ていた女の子にそっくりだよ。
テレビの向こうで、司会者は緊迫する状況を必死に伝えている。どうやら行方不明になったらしいが、魔王の娘が抜け出そうと俺には関係ない。
「なお発見者には謝礼として、十億円が支払われるとのことです」
「マジで!?」
真っ先に反応した店長が、我先にと賞金を手にするために部屋から出て行こうとするが、俺は扉を閉めて休憩室から逃がさないようにする。
「一億だぞ!? 働かずにして暮らせる大金がこの辺りに転がってるんだぞ!」
「働いて稼ぐことを覚えてください! そんな簡単に見つかったら誰だって苦労なんかしません!」
「頼む! 行かせてくれぇぇぇぇ!」
「うるさいわ!」
大人げなく足にしがみついていた佐藤さんを蹴散らすと、俺はテレビに注目していた。
何か嫌な予感がする。こんな奇妙な感覚のときは、だいたい良くないことが起こる。
「ただいま速報が入ってまいりました! この男性に誘拐の容疑がかけられております。発見された方は、至急警察までご連絡ください!」
テレビに堂々と映されているのは、俺と非常によく似た人物だった。
いやもう別人じゃなくて俺だ。
「おまわりさんこっちです!」
「黙らっしゃい! とりあえず店長は仕事しててください。すぐに警察がこっちに来ると思うんで!」
「えー……いや冗談だよ? そんな怖い顔で睨まないでくれよ、ハハハ……」
ふざけてる場合じゃないんだけどこっちは!
急いで家に戻って、あの魔王の娘を警察署に送ってやらなきゃいけない!
でなけりゃ、明日から俺は刑務所暮らしになってしまう。
脱いだバイト着をロッカーの中に戻すと、コンビニの裏口からこっそりと外に出る。
店内はテレビを見た人たちが、俺を探しに押し寄せてきてしまっているからだ。
あーどうなるんだ俺……。