第17章 魂の行方(1)
すこし時間が飛ぶ。
ヒロが『華蘭』で偶然、韓国男優の李芝河と会った夜から、数ヶ月が経った、ある午後のことだ。
いま、ヒロは銀座のホテルのロビーで一人の男と向かい合っている。これから同伴としていっしょに店に入ろうとしている相手かといえば、どうもそういう気配ではない。
男はメモ帳を手にしている。
二人のテーブルの前にはICレコーダーが置かれている。話が録音されているらしい。
背を丸めてヒロに話しかけている彼は、映画雑誌の記者だ。
彼は、まもなくクランクインになる映画の取材をしている。脚本が銀座高級クラブで働く女性の手になる、ということで、クランクインの前に小さな話題になっている作品だ。
雑誌記者は、その当人である星野ヒロに、この脚本のふしぎな縁のことなどについてインタビューをしているのだ。
その映画のタイトルはすでに決まっている。
『君とつながっていた』
である。
インタビューを聞いてみよう。
記者「これは、星野さんが初めて書いた作品と聞きましたが……」
ヒロ「ええ、そうなんです」
記者「生まれて初めて?」
ヒロ「高校生のころ、遊びで、なんとなく物語らしいものを書いたような気がしますけれど、書き散らかしていただけで」
記者「まとまって、作品となるのは初めて、というわけ?」
ヒロ「はい」
記者「いきなり書いちゃったんですか、すごいな」
――ここで、ヒロはいちど「シナリオ教室」に通ったことを告げた。しばらく通ったけれども、結局途中でやめてしまったことも付け加えた。
記者「ずっと、あたためていたテーマだった?」
ヒロ「あたためていた、というのかなあ」
記者「いつかは書いてやろうと」
ヒロ「それほど、はっきり思っていたわけじゃないけど……。でもね、書き始めたら、すごかった」
記者「どういうふうに?」
ヒロ「魂が吸い込まれたみたい」
記者「たましいが?」
ヒロ「そう。ほら、よく、自分の中に溜まっていたものを吐き出すように書く、とか言いますよね」
記者「ええ」
ヒロ「わたしの場合はちがったの。何かわからないけれど、強烈な引力が外から働きかけてきて……」
――それが、自分の中の「魂」をぐいぐい吸引していくような感じをたしかにヒロは味わった。けれども、そのことは、人にはうまく伝えられないもどかしさがある。
記者「なるほど。熱い熱い一編というわけですね」
ヒロ「これでいいのかどうかも、まったくわかりませんでした。素人ですから。でも、二度と同じような思いで紙にペンを走らせることはできないだろうな、とは思いました。それは、いまも思っています」
――記者のメモ帳に、「一作入魂」と走り書かれている。
記者「ところで、その脚本がなんともふしぎな運命をたどったそうですが……」
ヒロ「そうなの、ミラクル」
記者「どんなミラクル?」
ヒロ「ある夜、私のお店に李芝河さんが来ました。あ、こういうことは言わないほうがいいのかな」
記者「だいじょうぶ、李さんにオーケーもらってから記事にしますから」
ヒロ「そうですか。でね……わたし、李芝河のファンなの。というよりも、急にファンになったの。……これは書いてくださってけっこうですよ。まあ、ファンになった理由は省くけれど」
記者「じゃあ、その夜はラッキー! てなもんだった」
ヒロ「そう。しっかりわたしが彼の席についてね」
記者「通訳付きで?」
ヒロ「ええ」
記者「口説いたんですか」
ヒロ「まさか」
記者「口説かれたとか」
ヒロ「それもありません。静かな人でした。それもまた気に入ったのよ」
記者「ま、それはいいとして、脚本の話を」
ヒロ「待ってて。ちゃんと脚本の話になるから」
記者「よろしく」
ヒロ「いまから思えば、その日は朝からなんとなく特別な日という予感はあったんです。そういうことってありません?」
記者「あるある。きょう馬券を買ったら必ず当たるぞって言うような気がする日」
ヒロ「へえ、あるんですか、そういうの」
記者「ありますが、たいていそういう日は馬券を買っても外れます」
ヒロ「あははは。まあともかく、そういう予感の日に起きたハプニングだったから、わたしには強烈なインパクト」
記者「なるほど」
ヒロ「わたしは、その晩と次の番で、それまで半分まで書いてあった脚本を、一から書きなおし、一気に最後まで書き上げてしまったんです」
記者「何かに取りつかれたように?」
ヒロ「ええ」