第15章 光の島へ(5)
吉野さんのボックスカーで、島内を見て歩いた。
前の日に来た平良港のすぐ近くに、人頭税石というのがある。
「この石はね、1メートル43センチの高さだ」
吉野さんが言う。ヒロがそばに立つと、なるほどちょうど胸の高さである。
「これで、身長を測った」
「身長を?」
「そう、背丈がこれを越えた15歳以上の男女すべてに税を課するという、まれに見る悪政・人頭税制度だ」
吉野さんが解説してくれた。
「薩摩藩の琉球侵略後におこなわれたこの制度は、明治の中頃まで島の人々を苦しめた」
「へえ」
あらためて石を見ると、ほんとうに小さな背丈だ。
その人頭税石から少し南へ行ったところに、久松五勇士の顕彰碑がある。
「日露戦争のさなか、宮古近海を北上していくロシアのバルチック艦隊を漁師が発見した」
ここでも吉野さんが解説してくれる。
「この知らせを一刻も早く石垣島の無線局に伝えようと、宮古の5人の若い漁師が小舟を漕いで、なんと130キロもの距離を渡ったのだ。不眠不休でね」
小舟をかたどったその碑を、南国の太陽が照らしている。
あっという間に、宮古島での予定の日が過ぎた。
はじめの夜に行った郷土料理の店で、ささやかな「ヒロ送別会」を吉野さんたちが開いてくれた。
「短い滞在だったねえ、こんどはもっとたっぷり来なさい」
サンシンを弾いてくれた長老が言った。
「ありがとうございます。かならず来ます」
とヒロは答える。
ヒロはすっかり日焼けしている。来たばかりのときは、UVクリームをたっぷり塗って、深々と帽子をかぶっていたのだが、そのうち、どうでもよくなった。
というより、宮古島の陽をきちんと受けないのは損をした気分になった。思えば、こんなに陽射しをじかに浴びたのはいつ以来のことだろう。
なんだか、自分の身体がリセットされたような、そんな気分をヒロは感じていた。
「ヒロくん」
と吉野さんがヒロの横に立って言う。
「先生、ほんとうにありがとうございました。とってもとっても楽しかったです」
ヒロは深くおじぎをした。
「それはよかった。元気になったかい?」
吉野さんはおだやかに言う。
「あら、先生、それじゃあたし、まるで元気じゃなかったみたい。それともずっと、しなびてました?」
「ははは。そんなことはないさ。ただ、きみを見てるとね、どこかで無理をして、糸がぴんと張ってしまっているような、そんな危なっかしさがあるんでね」
「そうですか。あたし、のほほんと暮らしてますけど」
「ま、いいさ、のほほんと、また宮古においで」
「ぜひ!」
「この島のことばにね、『あららがま』というのがあるんだ」
「あららがま?」
「なんのこれしき、まけてたまるか。とか、今に見てろよ、とか、そういう意味だ」
「へえ」
「水の確保に苦しみ、長い悪政と闘いながらも、けっして博愛の精神を忘れなかった、わが祖先の精神がよくあらわれていることばだ」
「あららがま……」
ヒロの胸に何かが共鳴するようだった。
泡盛を運んできたのは、あの長野からの彼女だった。
「あした、帰るんだってね。なんだか、名残り惜しい」
そう言って、ふっと右手を差し出した。握手だ。小麦色の彼女の手は、びっくりするほどやわらかかった。
――あたしが、銀座のめくるめくような店の中で過している、その同じ時刻に、南の島には毎晩、こんな時間が流れているんだなあ。
吉野さんにはのほほんと暮らしていると言ったけれど、やっぱり自分は無理をし続けていたんだと思う。自ら選択の幅を狭めていた。時には逃げてもいいんだ、というくらいのおおらかな気持ちで生きれば、自ら命を絶つなんて考えを持つこともなくなるに違いない――。
ヒロはしみじみ思った。
「また、会えるといいね」
長野の彼女が言った。
ヒロはこっくりと強くうなずいてから、
「あららがま」
とはっきり言ってみた。
「おやっ……」
長野の彼女は一瞬おどろき、それからにこやかな顔になって、こぶしを軽く突き上げるポーズをした。
翌朝の一番の飛行機が離陸した。
またたく間に高度を上げる。
訪れたときと同じように、エメラルドの鉱石のような海が眼下に広がっている。
「さようなら宮古、ありがとう」
ヒロはつぶやく。
自分の中に何か新しいものが生まれているのをはっきりと感じていた。