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第14章 銀座の水(4)

 店の風格にちょっと気後れしていたヒロだったが、面接は意外なくらいすんなり通過した。

 その面接官にもヒロは面食らった。クラブの実権を握っている人と聞いていたから、どんな横柄な人間が出てくるかと恐れていたのだが、あらわれたのは大学教授のような紳士だった。物腰もおだやかでていねいだった。

 ミス・ジャパンという実績、そしてバーを経営していたという経験は思った以上に重視されていた。紹介してくれた人からその情報が入っていたと見えて、大学教授のような面接官はヒロの顔を見るなり、

「これはどうも、ご足労いただき。あなたが星野さんですか。想像した通りの方だ。着物で店に出てもらえたら華やかになりそうですね。では……」

 と、何も聞かずにもう、今後の段取りが説明される。

 アパートの両隣の騒動で、「東京のこわさ」の片鱗を見ていたヒロは、ふっと肩の力が抜ける思いだった。

 来週から高級クラブ『華蘭』で働くことになる。

 いきなり、銀座の女の誕生だ。

 しかし、面接のあっけなさに比べたら、ヒロのホステス稼業の出発は順風満帆とはいかなかった。

「ヒロちゃん、あそこは大奥だ。だからといって、べつにおびえる必要はないけれど、大奥だとわかっておいたほうがいい」

 この店に橋渡ししてくれた人がそう言っていた。

 そのたとえがぴったりとは言えないまでも、まったく特殊な「女の国」であることはまちがいなかった。

 しかし、ヒロはひるまなかった。

――あたしだって、場数を踏んできた女だ。これぐらいのところでビビるもんか。

 そういう意気はもっていた。

 たしかに、みんなきれいである。艶やかな人もいるけれど、おどろくほど清楚な人もいる。

――さすが、超一流といわれるだけはある。

 ヒロは感心した。だれもが銀座の水で磨きぬいてきたようすだ。格がちがう。

――よし、あたしも堂々とふるまおう。

 ヒロは思った。自信もあった。

 着物で出てほしいという要望に応えるため、早い時間に美容室へ行き、着付けと髪を入念にセットした。費用は当然自己負担だ。自分を着飾るための投資を惜しんではいけない。みすぼらしい格好で店に入ると逆にペナルティをとられるのだ。

 すべてのホステスに、からっと接しようと決めた。

「おはようございます」

 を大きくはっきり言う。

 あいさつが何より大事ということを、アトランティスで従業員たちと接してきた経験から身にしみて理解していたからだ。

 しかし、半分は予想どおりだったのだが、ヒロが放つあいさつは、ことごとく無視された。ヒロの存在そのものが目に入らないといった気色だった。

――ま、いいか。そのうち、小さな風穴が開く。開いてしまえば、もうだいじょうぶ。

 そう思って、無視されつづけてもヒロはさわやかなあいさつを欠かさなかった。

 だが、そのうちヒロは思い当たってくる。

 新参者のヒロが無視されているのは、世に言うイジメとは少しちがっていた。ここはレベルの高い超一流クラブである。みんなプライドが高い。イジメなどというけちなことをするのは、そのプライドが許さないのだ。

 ならば、無視はなぜ?

――そうか、システムの問題なんだ。

 ヒロは思った。

 ずっとバーに携わってきたヒロだが、それは経営者としての経験だった。

 そこでは、まず店があって、そこにひとつのチームが所属している。たいせつなのはチーム員の連帯意識だ。それは飲食業には欠かせないものだろう。

 だからヒロは、一日も早く溶け込もうと、

「おはようございます」

 の元気なあいさつを惜しまず繰り返していたのだ。

 ところが高級クラブは、チームワークの世界とはまったく異なっている。ホステスたちは、ひとつの店、たとえば『華蘭』なら『華蘭』の従業員という帰属意識などはないのだ。

 彼女たちは、ひとりひとりがフリーランスという独立した存在だ。もっと言うなら、ひとりひとりが社長という感覚すらある。

 つまり、自分が最初から最後まで責任をもって客を確保するシステム。店は、その場を提供している舞台に過ぎない。客が飲み代のツケを溜めた借金は、ホステス個人の借金バンスである。

 そうした関係だから、チーム一丸となって店の売上げに貢献するという考えなど生まれようもない。極端にいえば、ホステスどうしのコミュニケーションは不要なのだ。

――きびしい世界だなあ。

 田舎の店とは何もかもが、おおちがいだった。

 ヒロは、華やかな世界の土台を支えるそうした厳しさを思い知った。

 バーをやっていたころ、客はクチコミで向こうから集まってきた。そして、ひとたび訪れた客は、だれもがヒロのファンになり、固定客となった。その固定客がまた新しい客を連れてくる。

 そういうふうに、輪が広がっていった。だから、「客を確保する」という発想はなかった。

 アトランティスでは、従業員にも無理な営業をさせなかった。店の外でも簡単に電話番号を教えるようなことはしなかった。本当に来たいと思える客だけに来てもらいたいと思っていたからだ。

 しかし、それでは銀座システムは成り立たない。

 店でひたすら待ち受けていても、「ヒロの客」が自然に湧いてくることはないのだ。そうなると、ほかのホステスの客のテーブルにヘルプとして席に着くのみ。いつまでたっても自分の客はつかない。

――頭を切り替えなくちゃ。

 ヒロは営業を始めた。ここではそうしなければ生きていけないのだ。毎日、店から渡されたリストを頼りに電話やメールを使って客を店に誘う。当然ながら新米のヒロの誘いに乗ってくる客はいない。営業がこんなに難しいなんて……。ヒロは軽い挫折を感じた。

 どのホステスも、客といっしょに店に入ってくる。「同伴」だ。これでこそビジネスなのだ。空車のタクシーみたいに、一人でさみしく店に入るのがつづいたヒロは、しだいに気が滅入ってきた。

 客がつかないホステスが、こんなにみじめなものとは思わなかった。開店休業である。収入もままならない。

 きらびやかな店内の時間を過ごして、営業時間が終われば、他のホステスたちは自分の客とともに街へおいしいものを食べに出かけていく。ヒロはひとりでやけくそになって小さな焼鳥屋にしけこむ。そして、アパートに戻ってカップラーメンをすする。

――なんなの、この生活……

 ヒロは自分で笑ってしまった。

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