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第2章 こころに羽根をもつ少女(4)

 山河に囲まれた会津盆地の、のんびりとした田園地帯。

 それがヒロの少女時代の舞台だったが、ヒロの家はその中ではいっぷう変わっていた。ひときわにぎやかだったのだ。

 一階は、おもちゃ屋でありゲームセンター。

 二階は店名を『バンビ』といって、昼は喫茶店で夜はバー。

 そしてさらに、裏庭をはさんで子どもたちの寝室となっているところときたら、元・連れ込み宿、つまりラブホテルだ。

 牧歌的な町にそこだけ異質な空間となる遊興の場、というわけだが、父が一手にその仕事を経営していた。

 父は豪放な人だった。

 お世辞にも聖人君子とはいえない。俗のかたまりのような男でもある。愛人もつねに数人、とまあ、どうにもこまったオヤジではあった。けれども、人情にあつく、涙もろい。ほんとうはとても細やかな神経の持ち主なのだが、照れくさいものだからいつも悪者ぶっている、とそんな面もなくはなかった。

 面倒見がいい。人にものを頼まれると、いやといえない。

「おだてりゃ豚も木に登る」

 そういうことわざがあるが、まさにそんなところがある。

 娘と息子の通う高校のPTA会長を引き受けたときだってそうだった。

「星野さん、あなたのほかにだれがやれるんですか。あなたしかいません」

 そう言われて、

「え、そ、そうかい」

 と引き受けてしまったのだ。仕事がめちゃくちゃ忙しいというのに。

 おだてられてモゾモゾ木に登っている豚を想像してみるがいい。なんとなく悲哀も感じるだろう。父もまた、豪放なのに、どこかふしぎな悲哀を感じさせる人だった。

 そして、ものの見方にちょっとズレのある人でもあった。

 テレビを見ていて、

「あ、この人、テレビに出るから赤いジャンバー着てきたんだべ」

 とだしぬけに言ったりする。聞いているほうの頭にはハテナマークがいっぱいになる。

「かのこちゃんだよ」

 とヒロが友だちを紹介すると、

「おう、きなこちゃん」

 そう呼んだりする。

 ボケをかましているのか、ただズレているだけなのか、よくわからない。

「ヒロはね……」

 と言ったことがある。

「ヒロは、お父さんから産まれてきたんだよ」

 と。まじめな顔で。

 小学生高学年までヒロはそのことを固く信じ、友だちにも、

「あたし、みんなとは生まれ方が違うんだ。だって、お父さんから産まれたんだから」

 そう言いふらしていた。父のせいで恥をかいた。

 父はまた、気が短い人でもあった。

 母によく手を上げた。

 物を投げつけるようなことこそしなかったが、平手で打った。

 母は、じっとガマンの人だった。

「わたしがすべて悪い」

 と、本心でそう思っているような人だった。だが、一面では、

「いまさら逃げ出してたまるか」

 とみょうにハラのすわったところもあった。

 母が打たれているのをヒロは柱の陰でぶるぶる震えながら見ていたことがよくあった。天真爛漫な少女の胸の奥に、それは小さな傷を残していたかもしれない。

 父は、その商売を楽しみながらやっていた。

 ヒロの兄やその悪友たちが、ちょっと道に外れそうになったときは、父は彼らに一階の店の店番をさせた。それは彼らにとって修業道場のようなもので、みごと更生するのだった。

 当時まだ珍しかったレンタルビデオも、父は独自のルートから仕入れて営業していた。そのため、ヒロは友だちのだれよりもたくさん映画を観る少女だった。

 カラオケも時代に先駆けて置かれてあった。ヒロは、演歌をよく歌った。佳山明生の『氷雨』など得意だった。コブシも念入りにまわした。

 こうしたことが、のちのヒロの人生に大きな意味をもっただろうということは、じゅうぶん想像できる。

 父は、末っ子のヒロを溺愛していた。

「あの子は、特別の子だ。あれをうまく育てなければ神様にしかられる、そういう子だ」

 と、酒を飲んだときよく言った。半分、本気だった。

 ヒロが小学生二年のときからブラジャーを買ってきた。ハイヒールも買ってきた。ヒロは学校へ履いていったこともある。中学生になると生命保険のおばさんのようなスーツを買ってきた。

 まったくトンチンカンおやじである。

 母はヒロの勉強に熱心だった。姉を一人専属につけて、特訓である。ヒロは二人に呼ばれ机の前にすわるなり、

「おしっこー!」

 と言って立つ。スキを見て、外へダダダダッとトンズラ。

 母と姉は、

「ヒローッ!」

 と大声で叫ぶ。それは、遠く離れた家からもはっきり聞こえていた。

 父はヒロに習い事をいくつもさせた。

 そろばん、習字、民謡、ピアノ……

 あまりの過密スケジュールに耐えられず、サボって森に逃げ込んでいると、町の自転車族の男の子たちにかならず、あっけなく見つかった。

 なんで、あの子たちはこんなに早くあたしを見つけるんだろう、とヒロはふしぎだったが、じつは、父の指令のもとに町じゅうを駆け回っていた「追っ手」だったのだ。

「見つけた者には、うちのゲームをただで遊ばせてやる」

 というエサで、かれらを使ったのである。

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