第13章 漁船にて(1)
自分がこんなにもろいとは思わなかった。
ヒロは、想像以上にダメージを受けている自分に戸惑った。チャンの前妻の繰り出した言葉のパンチが、ボディブローのようにじわじわときいた。
リングの隅で、かろうじて両手を胸の前に出して立っているボクサーのようだった。足が動かない。身体全体にどろどろに溶けた金属がつまっているようだ。
立っているだけで、ずぶりずぶりと底無し沼に沈んでいくような気持ち。
チャンへの思慕、おなかに宿っている新しい生命、ユキオ少年、自分の人間力、すべてを呑み込んでどんどん進んでいく時間……そうした重みに押しつぶされそうだった。
そして、そのあとめまぐるしく起きた一連の出来事……
――ジェットコースターにでも乗っているみたいだった。
ヒロは呆然と、そんなことを思っている。いや、正しく言えば、それぐらいしか考えることができないほどの放心状態だった。
ヒロはいま、漁船に乗っている。
漁師のカッパを着て、ぬいぐるみのような姿でぶるぶる震えながら夜の海を見ている。船には二人の漁師がいる。たぶん親子だ。五分刈りの髪が真っ白のおじいさんが、父。がっちりした身体つきの青年が、息子。息子は無口で、ひとことも口をきかない。それはヒロに冷たくしているのではなく、明らかに遠慮しているようすだ。黙って船の操縦だけをしている。この女にわけを聞いちゃいけない、と固く思っているのだろう。
ヒロは、夜の海からこの船に拾い上げられたのだ。
「太平洋が見たくなったの」
と言ったが、若い女だ、そんなはずがあるわけがない。だから、息子も父も、それ以上、何もわけをきかず、カッパを着せ、温かい飲み物を与え、とにかく漁港まで乗せてやろうとしているのだ。
「おねえちゃん、もうじきだ」
白髪の父が言う。
「ありがとう」
ヒロは答える。身体の震えはまだおさまらず、声にエコーが掛かるようだった。
「うちは遠いのかい。タクシーで帰れるところかい」
「ええ、帰れます、ありがとう」
ヒロはそう言って、
「じつはね……おじさん」
「ン?」
「じつは、あたし……」
言おうとすると、おじいさんはさえぎって、
「やめときな、おねえちゃん。太平洋はもうじゅうぶん見たから、気がすんだろう。港に上がったら、早くうちに帰って寝な」
「ありがとう、おじさん」
ヒロはカッパに顔を埋めた。涙は出なかったが、大声で泣き出したい衝動をじっとがまんしていた。