第12章 石の少年(4)
その夜。
店で仕事をしているあいだ、ヒロはずっと男の子ことを考えていた。チャンの部屋のドアから、猜疑心に満ちた目で見上げていたあの顔がくっきり浮かぶ。
何が何でも引き取る。そう決めた。
愛情というのではなかった。意地だった。
あたしのおなかからは、もうじきチャンとあたしの子がこの世に出てくる。彼は、その兄なのだ。
閉店となり、スタッフもみな帰り、カウンターに一人座ってヒロはバーボンをストレートでグラスに注いだ。
どんな困難が待ち受けているか、どんな哀しみが襲ってくるのか、それは見当もつかない。けれども、あたしは踏み出してしまったのだから、すべてを引き受けなければいけない。
意地だ。
人間は、意地だけで生きているんだ。
ふいに、母の声がする。
――自分のおなかを痛めたのではない子を育てるのは、ほんとうに大変だよ。それは、愛情とか覚悟なんかでは、とうていやれることじゃないんだよ。
母さん。
ヒロはバーボンのストレートをひとくち啜って、母に応える。
わかっている、わかっているけど、でも、それじゃあ、大変だからよすわって言えばいいの?……
前妻と合わせてくれと、チャンに申し入れた。
チャンは、
「よせよ、ヒロ。いいんだ、あの子は、あっちにいるのが幸福なんだから。そして、約束する、もう決しておれはあの子とは会わないと決める」
と言った。
ヒロはうなずかなかった。
「チャンのためとか、息子さんのため、と言っているのじゃないの。あたしのため。だから、会わせて」
そう食い下がった。
チャンが折れた。二人を引き会わせるということになった。近くの喫茶店だと、だれに見られるかわからない。だからすこし離れた町のファミレスがセッティングされた。
しかし、前妻はあらわれなかった。
二時間待って、ヒロとチャンはあきらめて店を出た。
「かけてくれるとは思わないけど、チャン、前妻さんに、あたしの電話番号をおしえといて」
ヒロはチャンに告げた。
「そんなことは、やばいから、しないよ」
とチャンは言った。そのかわり前妻の電話番号を教えてくれた。彼女もスナックのママという。ならば明日の朝だ、ヒロは決めた。
「星野ヒロという者です」
と言うと、
「はあ?」
眠そうな声が返ってきた。
「すこし、お話していいですか」
「なあに、何のセールス? こんな朝っぱらから、いいかげんにしてよ」
「きのうは、お待ちしていましたが、お会いできませんでした」
「きのう?」
「兆龍飯店のチャンの妻です」
「あ……」
電話口の向こうで身構えるようすが伝わってくる。
「急用ができたのよ、きのう。わるうございましたわね」
「謝ってもらおうという電話ではありません」
「そうなの……だいたい、何の用だったの、きのうは」
「息子さんのこと」
「ユキオの?」
「ええ」
「ユキオがどうしたの?」
「わたしが引き取ります」
「何ですって」
「引き取ります」
しばらく間があった。電話を切られてしまったかと思うほどの無言のあと、
「ハハハ、そう」
前妻の乾いた声がして、
「いいわよ、どうぞ」
あっさり、言った。思いがけない対応に、ヒロは拍子抜けして受話器を落としそうになった。