第12章 石の少年(1)
その夜を境に、二人は愛を重ねていったが、チャンの部屋で会ったのはその夜だけだった。
町からちょっとはずれた街道沿いに、民家のような宿がある。部屋の数は四つがいいところ。老婆がひとりで番をしている。
ラブホテルというには、あまりにも渋すぎる。古い歴史のあるお茶室のようなその宿に、二人はタクシーで向かうことが増えた。
チャンは、愛しあったあと、いろいろな話をしてくれた。料理の話だけでなく、中国の山水画の話や、故事の話、それから空想の動物の話、星座の話……どれもヒロは楽しかった。スケールが大きくて気持ちがよかった。そしてなによりも、これまで経験したことのないほど官能的だった。
「あのさあ、チャン」
背中からお尻にかけて高まりの余韻を感じながら、いつかヒロはあおむけになって天井を見ているとなりのチャンに言った。
「あたしとずっといっしょにいてくれる?」
「ずっとって、今夜じゅうってことかい?」
「いじわる」
「ヒロ」
「なあに」
「それはね、おれから言おうと思っていたことだ」
「まあ」
「ずっと死ぬまで離れるな、と」
「ねえ、チャン」
「ん?」
「いつか言ってたわね、後悔には二つの種類があるって。あのときああしなければ、というのと、あのときああしておけば、っていうのと二つ」
「ああ、言った気がする」
「で、どっちが、取り返しのつかない後悔?」
「うーん」
「あたし、思うの。どっちも取り返しがつかないって」
「……」
「だから思うの、あたし。人生って後悔が多いほど幸福なんだって」
その夜、チャンとくちづけをして「おやすみなさい」と別れたあと、夜道を歩いていたヒロは、
――あ、あたしは、ようやく……
そう思った。
ようやく、カモと別れることができたんだ。
上弦の月が夜空にかかっている。
さよなら、カモ。
と、その月のあたりに声をかけてみた。
がんばれよ、ヒロ。
そんな声がしたのは、もちろん空耳だった。
ヒロは妊娠した。
いつものお茶室のような宿で、ヒロはそのことをチャンに告げた。チャンは顔を紅潮させてよろこんだ。
しばらく無言でいて、
「ヒロ」
やっとかすれたような声を出した。
「なあに」
「ありがとう」
「……」
「なんて言おうか考えたけれど、それしか言えない。ヒロと、おなかの中の小さな小さな生き物に、ありがとう」
ヒロは、思いがけず涙が出そうになったので、あわてて枕に顔をこすりつけた。