第10章 白い道(2)
「気がついたか! ヒロ!」
聞きおぼえのある声。
真っ白い道の高校生ではない。だれだろう?
その声の主がヒロの顔をのぞきこむ。天井の白い斑点をバックにした男の顔。
――あ……
ヒロは声にならない声をベッドの上であげた。
長兄の大輔だった。
「ダイちゃん」
鼻にチューブ管を入れられ、口に酸素マスクをつけたヒロのかすれ声が漏れる。「おう、気がついたな、助かったな!」
大輔が言うと、次から次へと、顔があらわれてきた。
カズねえちゃんがいる、ヒイねえちゃんもいる、チコねえちゃんもいる、コウにいちゃんもいる、まっさきに顔をのぞきこんだ長兄の大輔を入れて、6人きょうだいの末っ子であるヒロの、すべての兄姉がベッドを囲んでいる。
そして、父も母も。
発見が早かったのは、父母のおかげである。パーティーから帰ってきたヒロの様子がおかしいのが気になった両親は、そっとヒロの部屋を覗いてみた。そこで一面に散乱している錠剤を見つけた。二人は慌てて外に探しに出かけた。特に父は麻痺の残る身体を引きずりながら娘の名前を叫んだ。幸い倒れたのが自宅の近くだったので、ヒロはすぐに見つかった。そして母が呼びつけた救急車で病院に運ばれたのだ。
いま、危機を脱したヒロが集中治療室から病室に運ばれて、生還したというわけである。家族みんなの出迎えとともに。
ヒロは、雲の上に乗っているような不安定な気分と、砂漠でさまよっているような喉の乾きをおぼえている。
かわるがわる、家族がのぞきこむ。
みんなの目が充血している。
――何があったんだろう、どうしてみんな集まっているのだろう。
そう思っているうちに、ふっとまた意識が遠くなった。
クリスマスの朝になっている。
兄たち姉たちがヒロを呼んでいる。ヒロが幼いころを過ごした会津の家だ。
外は白い雪。兄たち姉たちは一階の屋根の上から呼んでいる。
――いったい、なんだろう?
そう思って扉を開けて出てみると、雪の積もる屋根にこんもりとプレゼントの山。
「サンタが置いていったよ」
長女が言う。
「ほ、ほんと?」
そう、幼い日の、あのときの弾けるような気分。その記憶がありありとよみがえっている。朦朧としたヒロの目には、ベッドを取り囲む兄姉の顔がすべて、あのころの顔になっている。
雪積もる屋根の上で、サンタが残していった大量のプレゼントをひとつひとつ開けていると、
「鬼はー外ォ」
と姉たちの声がする。
こんどは一転して、節分の場面だ。
幼いころの節分といえば、いつもきまって父がきょうだい六人を全員居間に呼び集めて輪を作らせた。
父が電気を消す。
その瞬間、きょうだいの輪の中に小銭とお菓子がばら撒かれる。
さあ、それからが戦争だ。
闇の中での取り合い。ヒロはだれかの指の爪で引っかかれる。おかえしに、その手をつねってやる。
「いてえなあ、だれだよ!」
次兄の浩太郎の声だ。ヒロはとぼける。
父が電気をつけると、戦争の結果は一目瞭然。
すばしっこい末っ子のヒロが、いつもいちばん戦利品を獲得するのだった。
父と母の連れ子どうしの再婚で、異父・異母きょうだいによる6人の構成だけれど、ほんとうに仲がよかった。
いつまでも、この幸福がつづくことを信じて疑わなかった幼い日々。その誇らしさと充足感が、ベッドの上のヒロを満たしていた。
「ヒロ……ヒロ」
声がする。
三姉のチコちゃんだ。
「喉かわいた?」
笑顔でそう聞いている。ヒロはこっくりとうなずいた。たしかに焼けつくように喉がかわいている。
姉が、水を飲ませてもいいか、看護婦にたしかめると、
「いいですよ、喉をつまらせないよう、ゆっくりすこしずつね」
と言う。
言われたとおり、姉が吸い飲みから少しずつヒロに飲ませる。
ひとしずくひとしずくがそのまま細胞に行き届くような、そんな激しいおいしさをヒロは感じた。自分は生きている、という実感がはっきりした。
そして、いっきにすべてのことがクリアになった。
自分がなぜ、このベッドにいるのか。
なぜ、家族みんなが集まっているのか。
自分が何をやったか。
「ありがとう」
吸い飲みからくちびるを外して、ヒロは姉に言った。それは、ごめんなさい、の意味にも似ていた。
また意識が朦朧となる。