第7章 駆け上がる階段(2)
ヒロは、気合いが入っていた。
話題のひとつに応募でもしてみようか、というのではなく、これが最後のチャレンジだ、うしろには、もうあとがない。背水の陣。なんとしてもゲットしようという気構えがあった。
それは最初の審査から発揮される。
髪、化粧を念入りに整えた。さしずめ戦場へ赴く武士の心境である。ぴんと張りつめていた。
面接会場だけが面接ではない。控室でも、廊下でも、いつだれが観察しているか知れない。ひょっとするとカメラが設置されているかもしれない。
ヒロはいっさい気を抜かなかった。
応募者の多くは、だれも見ていない場所、たとえば控室の片隅の椅子などでは、それまでの緊張の疲れもあっただろうが、デレーンと姿勢を崩し、スナック菓子をぼりぼりむさぼって、馬鹿っ話をしたりしていた。
そういう姿を横目にヒロはいっそう張りつめた。そして、一次、二次と着実にパスしていった。
ヒロは、ミス・ジャパンへの応募は父母には内緒にしていた。
けれども、仕事に出かけているときに、母に審査通知の郵便物を見られてしまった。
ある夜、かなり遅い時間に家に帰ると、母が、
「ヒロ、ちょっと」
と呼ぶ。
居間へ行くと、父もいた。ヒロをすわらせて、両親が並んでその前にすわる。
「ミス・ジャパンに応募してるのね、ヒロ」
母がずばり言った。
ああ、バレちゃったか、とヒロは観念し、
「うん、してる」
素直に認めた。
「よしなさい、きついわよ。確かにヒロにモデルを勧めたのはお母さんだけど、それは生きるハリを持ってもらいたかったからなの。あなたはもう十分頑張ったわ。これ以上嫌な思いをしなくてもいいんじゃないの」
母は言う。心配なのだ。
「そうだ、ヒロ」
父も乗り出した。
「ああいうのはおまえ、女郎みてえなもんだぞ。ぼろぼろにされてポイッだぞ」
すごいことを言う。母がさすがに、
「お父さんはまた、言うことがオーバーなんだから」
オーバーではなく、トンチンカンなのだとヒロは思ったけれど口には出さなかった。
「ヒロ、今からならやめられるんじゃないの」
母が言う。
「あのね、お父さんお母さん」
ヒロはぐっと姿勢を正して、ひとつ大きく息を吸う。
そして、手短に、しかし、はっきりと、こんどのことは思いつきだけでやっているのでなく、いかに自分が本気であるか、真剣であるかについて、その熱意を話した。
飾った言葉や、まやかしの言葉は使わなかった。それだけに、父母の胸に直接響いたようだった。
夜は更けていた。
「わかったぞ、ヒロ」
父が言った。すこし、目がうるんでいる。
なんだよ、おやじさん、泣くような場面かよ、とヒロは思ったが、じいんときた。
「がんばれ、女は度胸だ。よし、それじゃあおやすみ」
そう言って父は消えた。
その三日後のことだった。
夜、ヒロが家に帰ってくると、机の上に何やら小さな赤いものが置いてある。そばに、「ヒロへ」というメモ。
よく見るとお守りである。
――あ、鹿島神宮。
そう、あの、鹿島アントラーズの守護神、勝負の神のお守りなのである。千葉から茨城は近いようで遠い。父は、せっせと出かけて行ったのだ。ヒロの勝利を祈願して。