第4章 喪ったもの 還らぬもの(3)
その日は、夕方からアルバイトの日だった。
気持をそっちへ向けさせるなんて、とうていできそうもなかったけれど、アルバイトをすっぽかす、ということは選択の中に入っていなかったから、ヒロは支度する。
からだに質のわるい金属でも混じってしまったかのように、重くて鈍くてたまらない。
ずるずるひきずるようにして、それでも遅刻せずに着いた。
カモも、その日は出勤日だ。
会ったら、どういう顔をしようか、とちらりと思った。
二度とあたしの前にすがたを見せないで、とまで言ってしまったのに、その顔を見て、あたしは何て言えばいいんだろう。
そう思いつつ、そのこころの底で、
――会いたいな。
と、ずいぶん強く思っていることに、ヒロは自分で気づいていなかった。
だが、カモはアルバイトに現れていなかった。
ヒロはちょっとホッとした。
それと同じくらい、ガッカリした。
そしてそれ以上に、胸騒ぎがした。
仕事が始まってから、一時間ほどして電話が鳴る。
フロント係のヒロが出る。
カモの声だ。ヒロはどきりとする。
「厨房につないでください」
と消え入りそうな声でカモが言う。
「はい」
とだけ言って、ヒロは電話を厨房へつないだ。カモと親しい厨房の先輩への伝言だったらしい。長い放心状態だったヒロは、謝ることなど忘れていた。決定的なチャンスを見逃したのだ。
そのあと、いくどか電話が鳴り、そのつど配膳の手伝いで手が離せず、ヒロが電話を取れずにいると切れた。
その日は、忙しかった。
あとからあとから客が来て、ほとんど腰かけるヒマもなかった。
ひとりの客に応対し終えたあとだった。あれは空耳というのだろう、ヒロの耳にくぐもった音が聞こえた気がした。
ほんの一瞬で、それは具体的な言葉でもなく、なにやら溜息のようにも聞こえた。
ヒロはまた胸騒ぎがした。
――何時だろう、いま……
左手の腕時計をヒロは見る。
「あっ!」
ベルトが切れ、はらりと、音も立てずに腕時計が床に落ちる。
それをしばらく、拾いもせずにヒロは見降ろす。
――カモがいま……
と唐突に思った。
ずいぶん唐突だったけれど、みょうな確信があった。
「カモが死んだかも……」
ヒロは同僚にそうつぶやいた。
「やめてよ、縁起でもない」
同僚は笑顔でそう言ったが、すぐに笑顔は凍りつく。