未だ散らず
彼との出逢いは、単なる偶然とも言えたし、そうでないとも言えた。
一瞬の夢のようだったが、彼との思い出は私の記憶の中でひときわ強い輝きを放っている。
私の家の目の前は、坂だった。少し急な、長い坂。その先には、海が見える。真っ青な海。夏になれば、よく海水浴をした。
彼に出逢ったのは、中学二年生の春だった。
その日は、母に頼まれて、坂の下の商店街まで買い物に行った。お使いは面倒だが、店の人たちが何かとまけてくれる。それを楽しみにしていた。
買い物が終わった私は、坂を自転車で登っていた。そこに、一人の少年が飛び出して来た。
慌ててブレーキをかけた。幸い、彼に怪我はなかったが、自転車は横転し、私は腕にかすり傷を負った。
「ごめん。」
それが、彼の第一声だった。よく見ると、整った顔立ちだ。そこらの俳優やモデルなんて、裸足で逃げ出すほどの。声変わりはまだのようで、透き通るような美しい声だった。
「平気。かすり傷だから。」
「怪我させて、本当にごめん。」
「あなた、見かけない顔だけど、引っ越して来たの?」
少年はうなずいた。
「そこにね。」
彼が指差したのは、私の家の向かい。私の幼馴染みの男の子が一年前まで住んでいたが、越して行ってしまったところだ。
「そうなんだ。私はあの向かいなの。私は北野瑠璃。あなたは?」
「僕は高取未散。『未だ散らず』って書いて、『みちる』って読む。よろしく、瑠璃。」
下の名前で呼び捨てにする男の子なんて、例の幼馴染みだけだったので、私はびっくりした。
「よろしく、未散。」