プロの現実
第5話 プロの現実
しかし無名の芸人がプロダクションに入ったからといって、仕事がたくさんある訳ではない。
月1回の事務所主催お笑いライブとそのネタ見せがあるだけだった。
当然ヒマになるので融通のきくアルバイトをしながら夜銭湯に行くという日々が続いた。
バイトは不動産関係のチラシを各家庭のポストに入れて歩くという、いわゆるポスティングを選んだ。
これなら融通がきくし、よく歩くので健康的だしネタも考えたりできる。
1日配って歩いて日給が8000円だった。
売れてない芸人は皆仕事自体が無いのでバイトがメインになる。
これを事務所の芸人は無情にも否定的だった。
これはプロの芸人になれるかどうかの第1段階のふるいだった。
つまり金にならない仕事でも芸事最優先で動ける人間かどうかを試される訳だ。
それはどこに行っても考えは皆同じスタンスだった。
『その日はバイトがあるので行けません。』という理由が通用しない世界だからだ。
それを知ってたからこそ融通きくバイトを選んだつもりだったが、
「オマエは笑いを趣味でやってんのか!!」
と、罵倒された。
罵倒してきた人も芸人さんなのでなかなか手厳しい。
1発屋で売れた人で当時ヒマしてたらしくネタ見せも不定期でたびたびあった。
そのネタ見せは本来であればネタの内容をダメ出しするのが通常のスタイルであるが、その芸人さんのネタ見せでは生活態度や人間性、プライベートまで様々なダメ出しを行うので、言われる筋合いのないような事まで言われたりした。
あまりに叩かれたので、無我夢中でネタを稽古した。
他人の迷惑省みず、来る日も来る日も壁の薄いアパートで声は殺してテンションは上げて稽古した。
だからといって仕事はほとんどなかった。
この頃は昼間ネタの稽古して夕方ピザ屋さんのメニューをポスティングしていた。
終わってからおつまみ程度にピザを頂いて帰るという日々だった。
そうこうしているうちにネタも行き詰まってしまい、また漫才がやりたくなって同じ事務所の養成所出身の子とコンビを組んだ。
その子は養成所の卒業ライブで時事ネタを取り入れたピンネタをやっていたので、直感的に感性が合いそうだと思った。
最初は意気込み満点でネタ作りに勤しんだ。
しかし昔あれだけ書けた漫才の台本が遅々として筆が進まない。
書けた所でメチャクチャなネタになってしまい、相方が大きく修正して台本に仕上げてくれた。
そうなるともう完全に相方のペースになった。
ああしろ、こうしろとなってしまい全て聞くのは不可能で頭がパンクしそうになってしまった。
結局仲が悪くなってしまい、ネタの時以外話をするのも億劫になった。
よくコンビ仲が良いコンビは大成しないと言うが、悪すぎても大成しないと思う。
恐らく台本を作家さんが作っていた時代であれば演者はそれを暗記してきてネタ合わせすれば、それで済むかもしれない。
しかし今の若手の場合はネタ作りからコンビで作り上げて行く場合がほとんどである。
そうなると四六時中顔を合わせる事になるので、よっぽど信頼関係が出来てないと厳しいと思う。
そんな冷戦状態で戦ってる中、同期のトリオ芸人の1人から話があると飯に誘われた。
その話とはトリオをクビになったので、ボクとコンビを組みたいというのである。
これには困ってしまった。
いくら仲が悪いとはいえ、まだコンビを組んでる身である。
離婚した人が既婚者にプロポーズするようなもんだ。
即答できないでいると粘りに粘られてしまい、それに根負けして結局元のコンビは解散してしまった。
しかしその人とコンビを組んだものの、ネタ合わせの段階でなぜかうっとおしくなってしまい、まともにネタをする事も無くコンビ解散してしまった。
こうなってくると芸人自体向いてないんじゃないか?と思うようになってしまった。
ネタは書けなくなってきてるし、コンビは組めない。
もう辞めた方がいいとすら感じてしまった。
こうやって皆辞めてくんだろうなあ〜と、失敗した芸人の教科書通りのダメさ加減だった。
この時もうコンビは組まない方がいいと思った。
続けるにしろ辞めるにしろ他人に迷惑かけないようにピンでやった方がいい。
それが1ヶ月実家に引きこもって出た結論だった。
以前もそう決断したはずなのだが…。
何ヵ月かフラフラ活動していたが、結局事務所も自分から辞めた形になった。