もうやだ
会社から逃げだして、会社の最寄駅のホームのイスに座って、ぼんやりと空をみる。
白い月が、今日はくっきり見える。
(夜でた月が残っている明け方の時間帯を、朝月夜っていうのよね)
朝どころか、もうすぐお昼だ。昼月夜ってのは聞いたことがないから。今はただの昼なんだろうと、とりとめないことを思っていたら、お腹がぐう、と鳴った。
(会社、戻らなきゃ)
とどこかで思うけど、どんな顔して戻っていいのやら、なかなか決心が定まらない。
(でも会社に行ったら、宮本くんや石垣社長に会っちゃう)
何本目かの電車がガタンゴトンと近づいてくる。
これに乗れば家に帰れる。
でも今日はとりあえず帰った方がいいだろうか。
でも、これで家にかえったら、もう会社には行けなくなっちゃう気がして、なんだか乗る気になれない。
どうしよう、と迷っていると近くに立っていた駅員さんが声をかけてくれた。
「具合でも悪いんですか」
「いえ、大丈夫です」
「乗られますか?」
「……いえ」
まだ、決心がつかない。
「乾里桜さんですよね」
「へ!?」
見知らぬ駅員さんに名前を言い当てられて、わたしはあせった。
―― 扉が閉まります。
アナウンスが聞こえる。
駅長さんは言った。良い天気ですね、とでもいうように。自然に。
「あなた。われわれの正体を知ってしまったそうですね」
「……!」
(なんで。)
なんでわたしのことをしってるんだろう。
突然、にっこり笑う駅員さんの顔が恐ろしく見えて、とっさに電車に飛び乗った。
――ぷしゅ、とちょうど扉がしまる。
駆け込み乗車はおやめください
アナウンスが耳を通り過ぎる。
いまの会話は夢じゃないだろうか、なんて思っていると、スマホが鳴った。
満川先輩の個人携帯からだった。昼食休憩になり、かけてくれたのだろうとわたしは思った。
(満川先輩に、聞いてほしい)
もう、電波だと言われても、変人だと言われても構わない。一人で抱え込むのは、たくさんだ。
マナー違反は承知の上で電話に出る。
「満川先輩、わたし……」
『乾さん。宮本くんの正体のことで話があるんだけど』
わたしの言葉にかぶさるように、満川先輩が言ってきた。
宮本くんの正体?
もうやだ。
「もう、やだあ」
わたしは泣きながら、スマホの電源を切った。