真夜中の電話
火星。
一日は二四.六時間。一年が、六八六.九日。
平均気温は、地球より七〇度も低い、マイナス六三度。
大気圧は、地球が一〇一三ヘクトパスカルで、火星は 六ヘクトパスカルでひどく希薄……らしい。
ヘクトパスカル、なんて単位が出てきた時点で、文系のわたしにはもうついていけなかったけど、NASAの無人火星探査車“Spirit”が撮影したという火星の夕焼けの、透き通るような青には心打たれた。
その番組は、火星を地球化する「テラフォーミング」を特集していた。火星は大気が薄い。そのため、空に鏡を浮かべて太陽光を反射させて、火星の氷をとかして、温室効果ガスを放出させる。その後、大気ができて、雨が降って、苔が生えて、森林ができて、そのうち人が住めるようになるだろうという計画……らしい。だけどそのころには、大気は地球に近づいてきて、あの青い夕焼けは見えなくなる。
わたしは、難しいことは全然わからなかったけど、あの夕焼けは綺麗で、人の手が入ることでなくしてしまうのは、はとても悲しく思えた。
(ていうか宮本くんは……宇宙人なのかしら)
夜。ワンルームマンションのベッドの上で、枕を抱きながらわたしは考えていた。
あの青い血。
『火星人は、血も青いんですよ』
なぜ、そんなこといっちゃうんだ。あいつ。
「はあ」
何度目かになるため息をついた。二三時。いつもなら、すぐに眠くなる時間なのに、今日は全然眠れない。
(ねえ宮本くん。あなたが言わなければ誰もわからないじゃない。わたしだって、実験施設に売り飛ばしたり、マスコミに告発したり、ブログやフェイスブックに書いたり、ユーチューブにアップしたりツイッターでつぶやいたり、しないよ?)
やったら、自分の方の人格が疑われそうだし。
そんなに説得力があるように説明できるとは思えなかった。
(なんでわざわざ、自分が火星人だってつきつけに追いかけてくるかな)
つきつけるから、逃げるのに。
つきつけなかったら、忘れてしまうのに。
わたしを追い詰めたのは、スマホの着信履歴だ。
退社時間にスマホを見たら、着信二〇件。それが全部宮本くんで。
メールも、いろいろ入ってた。
『すぐに話したい』
『時間を作ってほしい』
『君のことが通報されてしまった』
『頼むから、電話にでてほしい』
段々文面が怖くなってきて、わたしは宮本くんの電話とメールを拒否することにした。
(やっぱり、ちゃんと話さなきゃだめかな)
言いふらさないよ。ってちゃんと言わないと安心しないのかしら。
枕を抱えたまま、ごろんごろんとベットを転がって考える。
でも考えても、やっぱりこのまま追いかけてくる気がした。
あと、セクハラ呼ばわりして、ごめんねってのはいわないといけない気がする。
(でも、直接会うの、こわいしな~)
やっぱり、電話で話そうか。
まよって、布団の上に放りだしていたスマホの画面に指を滑らせる。
しばらく待ち受けを見ていると、突然画面がパラリと変わった。
着信中。
――――石垣印刷所
次いで、手のひらでスマホが震え続ける。
(え?)
いろんな意味で、この着信は変だった。
現在は二三時だ。
仕事の話をするにしても、このとき間にかかってくるような緊急な案件はない。
(それに、番号……)
携帯に石垣印刷さんの番号が入っていたのは、社外で「こちらから」かける場合があったからだ。
もちろんむこうには、こちらのプライベートの番号を教えたことはない。
(どうしたんだろう)
とりあえず通話ボタンを押して、耳にスマホをくっつける。
「はい。宇楽堂 広報部 乾でございます」
会社で電話にでるみたいに、でてみる。
『夜分に申し訳ございません。石垣印刷の石垣でございます』
パジャマでベッドにいるのに、仕事の話ってなんか変な感じだ。電話を耳にはさんで、ベッドテーブルに放ってある鞄を探って、手帳とペンを取りだす。
「お世話になってます。今日はありがとうございました。え……と、シールのことでなにかありましたか」
『いいえ。承りました件につきましては、滞りなく御手続させていただいております。じつはちょとプライベートな案件で連絡をさせていただきました』
石垣社長の話し方は、相変わらず紳士だ。
プライベートなことといっても、夜なかの飲み会の旅に感極まって連絡してくる友達とは、わけが違うだろう。
「なんですか?」
かしこまって聞いてみると『聞いた話ですが……』と切りだしてきた。
石垣社長の話し方は変わらない。
だけど、なんだかどこか、すごみを帯びたかんじがした。
『あなた、われわれの正体を知ってしまったんだとか』
頭が真っ白になった。
スマホを思わず、とり落とした。
ベッドの上では「通話中」と書いてある待ち受けが、通話時間を刻んでいる。
(われわれって、なに)
こわい。
こわいこわいこわいこわい。
――ぷっ
わたしは、とりあえず、震える手で電源を切った。
われわれの正体。
ってなに、なに、なに。
心臓がばくばく言っている。
落ち着こうとして、深呼吸をしても、息が震えてうまくいかない。
『頼むから、電話にでてほしい』
宮本くんの最後のメールにはそう書いてあった。
(わたしはなにか間違えてしまったのかしら)
それに、答えなかったから、何かが始まってしまったのかしら。
ワレワレ ハ ウチュウジン ダ
そんなことを言われたSF映画の人たちは結局どうなったのかを思いだして、わたしは、子どもの時みたいに、毛布を頭までかぶって、朝までずっと震えてた。