彼からのメール
『唐とこの国とは
言異なるものなれど
月の影は同じことなるべければ
人の心も同じことにやあらむ。』
―― 紀貫之 土佐日記
***
わたしはスマホの画面から目を離して、電車の揺れに身を任せた。
車窓から金網にからむ朝顔の青い花が見える。季節はまだ六月のはずなのに、朝八時をまわって混みあう車内は人の熱気で汗ばむほどだった。
(人の心もおなじことにやあらん、か)
お気に入りの出版社のサイトには、『言葉の贈り物』というコンテンツがある。日替わりで古典の格言が紹介されるなかなか粋なコーナーだ。
高校時代は図書委員会、大学は文学部日本文学科に入学したわたしは、いま文具をあつかう会社に就労した。まわりの親戚や、友人には「らしいね」なんていわれるけど、文具といえども文学から離れた、いわゆるモノづくり系の会社。なかなか日常的に古典に触れる機会がなくなった。三年間、欠かさず見ているこの格言たちが、いまや古典とのわずかなつながりになっている。
(紀貫之ってことはいまから千年以上前か……)
唐とは中国のこと。千年前、海の向こうの中国は日本人にとって宇宙の彼方のような場所だったんだろう。それでも人の心は同じだと、月の光を交えた言葉はきれいだ。
わたしは混みあった電車の中で、首をそらして外を見た。
窓の向こう青い空の中に朝の月がうっすらとみえた。雲に溶けてしまうような、ぼんやりとした白い月だ。
(『同じ月をみている』だなんて、映画や小説でよく言うけど、満員電車でわたしが見ているこの月と、紀貫之が見た月も同じ月だなんて、なんかおかしいな)
ぼんやりと物思いにふけっていると、手の中でスマホが震えた。
新着メール、一通。差出人、宮本恒志。
差出人の名前を見て、わたしはまるで冷たい水をかけられたかのように、朝のまどろみから現実に引きもどされた。
(宮本くん……、そうか。前の研修でアドレス交換したから……)
動揺している。自分でもわかった。
入社二年目。まだ自分の仕事をこなすのに精いっぱいだ。半年前に大学時代から付きあっていた彼氏と別れてからは、コイバナは遠くで聞いているだけだった。所属している広報・デザイン部と宮本くんのいる営業部では普段の仕事でほとんどかかわりあいがない。まさか、個人メールに連絡がくるだなんて、想定外だ。
『 乾 里桜 様
昨日はお疲れ様でした。
とんだ粗相をしてしまって、申し訳ありません。
そのことにつきまして、くわしくお話したいことがあります。
お時間をとってもらえませんでしょうか。
営業二課 宮本 恒志』
昨日のこと。それは決して男女の甘酸っぱいハプニングなどではなく。
理解を越えた出来事で、いまだ処理できていない。
(いっそなかったことにしたいんだよね)
わたしは、そのメールに返信しなかった。