07サジットの憂鬱
「それで、神魔属の子供が生まれたと」
元・大魔王リンバーは城の地下にある自室でサジットの報告を聞いていた。彼は以前のようなマントは身に着けていないため、どこからどう見ても普通の人間だった。暗い灰色の髪に黒い服に古いズボン。無個性なこの格好を見て、彼を元大魔王だと判断できる者は少ないだろう。
質素な部屋は兵舎より狭い。玉座のある部屋は息子に譲り、元の世界に帰るまでの仮住まいとして機人王にここを作らせた。彼の要望により、自分の世界の部屋を再現している。ベッドに腰掛けたリンバーと寝転んだチェンマー、小さな机の側に立つサジット。三人いるだけで圧迫感がある。せめてもう少し広く作ればいいものを。サジットがそう言っても、狭い方が好きだという理由で却下された。
「魔属と神魔属の力を持った子ね、ビッグマーも案外やるじゃない」
以前にも増してリンバーにべったりの機人王は上機嫌だ。魔界を立て直すという目的のため、二人は生まれ故郷を十年近くも離れていた。ようやく役目を終え二人仲良く帰る準備ができ、後は時期を決めるだけ。それまで思う存分いちゃついておこうと彼女は楽しんでいた。一方サジットの表情はやや暗い。
「もしかしたらそれだけではないかもしれません。聞いた話によれば、呪文詠唱の際にソーマの名も入ったようなのです」
ヒマワリの花は吹き溜まりと呼ばれる異空間から流れ込んだ不思議な植物だ。たまたまその種を吹き溜まり付近で魔人王が拾い、研究の結果異種族間での交配に利用できる事が判明した。呪文を唱えた二人の力を利用するだけではなく、お互いの優れた能力だけを継承できるという夢のような能力も備えている。この植物の存在が地上や天界に知られたらどんな争いが起こるか分からない。そのためここ大魔王城の宝物庫に厳重に保管されていたのだ。
使用法は至って簡単。二人一緒に名を名乗り呪文を唱えるだけ。魔法陣などで強化すれば更に効果が高まる。一人で成功させようとしたビッグマーが魔法陣を描いていたのはこのためだ。通常は二人で行うこの儀式。そこへ三人目が加わったとしたらどういう効果をもたらすのか。普通なら一度使ったくらいで力を失うはずのない花が枯れてしまった。彼女が呪文に直接加わった訳ではないが、ヒマワリの花が力を使い果たす程の結果を呼び起こしたのだ。
「つまりそれって、魔属と神魔属に天使まで入っちゃったって事?すごいじゃない!魔人王の子供なんて目じゃないわね」
「確かにそいつは凄いな」
はしゃぐチェンマーを見てリンバーも目を細める。落ちこぼれ大魔王と呼ばれていた息子が、汚名を晴らす日も遠くないかもしれない。だが二人とはやはり違ってサジットは浮かない顔だ。
「何よ、あなただって嬉しいでしょ。あのビッグマーがちゃんとした後継者を手に入れたんだから。これであたし達が帰っても魔界は安泰じゃない」
「それはそうなのですが」
大魔王城に仕える者にとって二人が魔界を去ってしまってからの一番の不安材料は、現大魔王ビッグマーの後継者だった。それがどのような形であれ、成功したのは確かだ。直接血が繋がっている訳ではないが、父親であるリンバーがこの地を去る前に子供の顔を見せられるというのも嬉しい誤算だ。
ビッグマーの教育係であるサジットにとっても、これ以上の喜びは無いだろう。彼自身も予定外の事態に当初は取り乱したが、愛らしい御子息の顔を見ているうちに怒りは冷め、この奇跡の出来事に感謝さえした。少し部屋の形が変わった事などどうでも良くなり、軽く焦げ目の付いた二人を丁重に治療した。勿論その後に減給と百ページの始末書の提出を命じるのを忘れてはいない。
二人が城へ帰還したというソーマからの報告を受け、リンバーの自室へと向かい今に至る。ちなみにマオールはとりあえずハガに預け、サジットの執務室で待機している。
「その子、魔法の才能が無いとか虚弱体質なの?」
「いいえ。神魔属だけあって潜在能力は素晴らしいです。鍛錬を積めばどんな魔法でも使いこなす事ができるでしょう。身体能力はまだ分かりませんが、耐久力は並みの魔属に後れを取る事は無いでしょう」
それはあの二人の仕置きのためサジットが変身し、翼から放った灼熱の風を浴びても火傷一つしなかった様子を見ても明らかだった。マオールの存在に気付いていなかったため、割と本気の技だったが生まれたばかりの幼児は平気な顔をしていた。人間や熱に弱い魔属なら灰になってもおかしくない。いくら頭に血が上っていたからといってすべき事ではなかった。もしもあのままマオールを殺してしまっていたら、彼は嘆き悲しみ自らの命を絶っただろう。二度と室内では大技を使うまい、とサジットは心から反省した。
「じゃあ一体何が問題なのよ。まさかあたし達が心置きなく帰れるから寂しいなんて言わないわよね」
呆れた様子で言ったチェンマーの言葉は、サジットの胸に突き刺さった。それは彼自身にとっても思いがけない事だった。
「まさか、私がそのような事を考えるはずがありませんよ」
動揺を悟られないよう、平静を装い会話を続ける。チェンマーの瞳が一瞬鋭く光りサジットを睨みつけるが、気付かないふりをする。彼女にとってリンバーに近付く者は邪魔者以外の何者でもない。
彼女の目と耳が至る所に隠されたこの大魔王城で、女性が好意を持って大魔王リンバーに近付こうものなら、その日のうちに城内の行方不明者のリストに項目が追加されるだろう。そのためこの城で働く女性は、大魔王リンバーに男性としての好意を持たない者達が選ばれている。彼女の消去法によって。ちなみにソーマは門番でリンバーに謁見する機会が無かったため、除外されている。
男性も例外ではない。必要以上に彼に近付く者がいれば彼女は容赦しない。それ故、側近という立場から常にリンバーの側を離れないサジットの存在を、チェンマーが良く思っているはずがなかった。サジットも同様に敬愛する主を己が所有物と称し、片時も離れようとしない彼女に心を許す事は無かった。
二人の間に流れる空気が険悪なものになる前に、リンバーがぽつりと言った。
「要は教育するのに自信が無いのか?」
サジットの想いとは裏腹に、主は部下の憂いをいつもの心配性だと判断したのだろう。ビッグマーの教育係を命じた事がサジットにとって負担となり、今また新たな後継者が生まれたその重圧により、不安を感じているのではないか。そう考えたのだ。
リンバーは感情の起伏が乏しく、他人の好意に関してはかなり鈍い。チェンマーのように四六時中付きまとい、ハッキリと主張しない限り伝わらないだろう。状況判断や行動を読む力は飛びぬけているのに、こればかりはどうしようもない。
「ええまあ、そんなところです」
どこか的外れの意見に毒気を抜かれたサジットは、曖昧に答えるしかなかった。あながち間違いでもないため否定できない。チェンマーもいつものリンバーの態度に気を良くし、定位置に戻る。彼女が心配しなくてもリンバーが他の女に惑わされるという事態は起こらない。それでも嫉妬深い彼女はライバル潰しを続けるだろうが。
後継者の教育に不安があるのは確かだ。相手は神属と魔属の力を併せ持つ神魔属。既に魔界に存在する神魔属は魔人王が生み出している。その魔人王も息子が修行を終え、一人で戦えるようになるまで城に隠し、存在も表へ出さなかった。また闇の者の誘いを受けやすいという特質から、天界からも狙われる可能性がある。現大魔王のように実力不足では魔界の存在も危うくなる。教育には細心の注意を払わなければならない。
ビッグマーからは教育に関する要望や意見は一切無い。適当にやってくれと言われた時の彼は内心ほっとした。もしビッグマーが自らマオールを育てると言い出すような事があれば、全力で阻止するつもりだったからだ。それを自ら辞退してくれたのには感謝した。だが、一体どういう教育を施せば良いのか。できれば経験のある魔人王に相談したいところでもある。
「そうだサジット。最近新しく入った奴が神魔属じゃなかったか」
「はい、急な話だったためとりあえずは掃除夫の手伝いをさせています」
ビッグマー達の居所を一番に発見したヤマネコは、約束通り大魔王城で雇われる事になった。あの時は緊急事態のため勢いで決定してしまったが、人手不足なのに変わりはないため雇用を決定した。ヤマネコが大魔王城で働き出してから数日が経過したが、意外にも真面目な仕事ぶりで掃除や雑用を淡々とこなしている。掃除夫と違って文句も言わないため彼が正式に清掃係になり、ヘッジがお払い箱になるのも時間の問題かもしれない。
「そいつに教育係をさせてみたらどうだ」
真顔で冗談のような発言をするリンバーに、サジットは一拍置いてから驚きの声を上げた。
「何をおっしゃいます!」
「あら、いいアイディアじゃない」
チェンマーの同意は無視して彼は主に抗議した。
「確かに彼は神魔属ですが元は天界の住人です。外部の者にご子息の教育を任せるなど出来るはずがありません」
大魔王城で働く事を許したが完全に信用している訳ではない。スパイである可能性も捨て切れないのだ。そんな男に大事な後継者を任せるなどもってのほか。接触させるのも避けようと思っていたのに。
「別に大丈夫だろ。何も全部そいつに任せようって話じゃない。知識面での教育はお前に任せるさ。それなら間違った事を吹き込まれて騙される心配も無い。まだしばらくはチェンマーもいるから監視の方も問題ない」
だろ?と彼女に声を掛けると、面倒そうな顔をするが断る様子は見せない。リンバーは自分のすべき事をきちんと片付けてから出て行くつもりだ。半端に放り出すような事はしないのをチェンマーは良く知っている。我侭を言って連れ出そうとしても彼は動かないだろう。彼女の肯定を読み取ったリンバーは再びサジットに向き直る。
「それに俺だって元々は外の人間だ。身内だけで固まっているより、外の意見も取り入れた方が案外うまくいくと思うぞ」
それを言われるとサジットとしても反論できない。混沌にあった魔界を立て直した人物が正に目の前にいるのだ。これ程の説得力は他に無い。彼は一度深呼吸をして心を落ち着かせた。そして主の目をしっかりと見据え、結論を出した。
「仕方ありませんね。ただしあの男がマオール様に危害を加えるような行動を取れば、その場で処刑しますが構いませんね」
「ああ、頼んだぞ」
「えっ、嫌ですよ。面倒臭い」
ヤマネコ本人の主張は完璧に無視された。