03城門に咲く天使
魔界。文字通り魔属と闇の者が住む世界だ。魔界への行き方にはいくつか方法が存在する。高位の魔属と契約し、直接召還されるもの。これはどう考えても無理だ。まず契約した時点で正体がばれてしまうし、下僕として働いたという事が天界に知れてしまえば、間違いなく追放ものだ。もう一つは地上にある魔界の門を利用する事。魔王などの拠点に設置され手下を呼び出すのに使われたらしい。しかし地上にいた魔王が討伐されてしまったため、存在する可能性は薄い。
ヤマネコは数ある選択肢の中から、最も確実な方法を考えた。なるべく自分が目立たず、帰還も保障できる都合のいい方法を。
結果から言えば、魔界への潜入はあっさり成功した。
ヤマネコは魔界の入り口に立ち、後ろに立つ人物から巻物を渡された。そこには魔界全土の詳細な地図と地上への門の位置が記されている。それを受け取ると同時に、彼は小さなメモを取り出し相手に見せる。
「約束通り、報酬はこの場所に預けてある。君が名乗れば受け取れる」
紙を開いて見せ、相手が内容を確認するとメモは炎に包まれ燃え尽きた。フード付きのマントを羽織った人物は、驚いた様子も無く手に残った灰を掃った。そしてヤマネコとは別方向へと歩き出す。
「問題は起こすなよ。そんな奴を連れてきたって事がばれたら、俺も二度と門が開けなくなるからな」
振り向かないまま忠告した男は、足早にその場を去った。
「経費で落ちるかな、これ」
任務開始早々に大きな出費を発生させたヤマネコは、反対方向へ行く男の背を眺めて呟いた。彼が取った方法は、金の力を使うという至極簡単なものだった。おかげで魔界への潜入は成功したものの、ポケットマネーの半分以上を消費した。予定外の出費に落胆するヤマネコだが、天の声を何とかやり込めて払わせようと思う事で前向きになるしかない。
魔界の様子はほぼ予想通りのものだった。空は夜の闇に包まれ、辺りも薄暗い。闇の力が濃くなっているためか、黒い霧まで漂っている。精神の弱い者ならば飲み込まれてしまいそうだ。いつまでも同じ場所にいては危険だろう。ヤマネコは目的地に向かおうと地図を見た。ここからそう遠くはないが、道が入り組んでいる。大魔王城へ行こうというのだ、かなりの障害が予想される。表情には出ないが彼は気を引き締めた。
そしてふと、地図から顔を上げる。彼が見たのは看板だった。普通の看板なら気にしなかっただろう。だが、一度それに目を留めたヤマネコは我が目を疑った。
看板には「大魔王城」と大きく書かれていた。ご丁寧にも矢印と闇の中でも浮かび上がる派手な電飾付きで。罠か?ヤマネコの第一印象は至極もっともなものだった。触れる事ができたので幻覚の類ではないようだ。先を見てみると同じような看板がいくつも設置されている。
看板に従い歩くと、十分で険しい峡谷に辿り着いた。谷間には古城が見える。目の前には立派な門と「ようこそ!大魔王城へ」と大きく書かれた看板。おかしい。いくら何でもこれはおかしい。試しに地面の石を拾って門の方へ投げつけてみる。門の間は普通に通過した。だが谷に入る瞬間ギロチン・無数のレーザー・地面に埋め込まれた裁断機の三連コンボにより、石ころは無残な姿になった。
こんな古典的な罠に引っかかる程魔界の住人は間抜けなのか。それともこれを作った者の頭が馬鹿なのか。地図で確認したところ城は本物のようだ。強力な警備を思わせる仕掛けだが、城自体を攻撃されたら全く意味が無い。城を守る結界のようなものも魔力が感じられないため、存在しないだろう。
しかし今回はここを攻めに来たのではない。さて、どうやって中に入ったものか。なるべく経費が掛からない方法を考えたい。
「大魔王城に何の用ですか」
門の前で思案しているヤマネコの後ろから突然声が響いた。その声の様子は明らかに警戒している。どうやら稚拙な罠を設置するだけではなく、門番を用意するぐらいの頭脳はあったようだ。自分に気配を悟らせないとは、魔属にしてはかなりの使い手と予想される。ここは不審に思われないように自然な態度で接しよう。どうせ自分の顔を知る者が魔界にいる訳が無い。
「いやー、ちょっと道に迷いまして」
ヤマネコは白々しい台詞を言いながら振り返った。目の前に立っていたのは小豆色のジャージを着たおかっぱの少女だった。その背には魔界には不釣合いの透明感のある薄緑色の、羽があった。
「えっ」
目の合った二人は同時に声を洩らした。向こうは目前の人物が誰か分かったうえで、ヤマネコは相手が天使だと気付いて。羽を持つ少女の表情はみるみる驚愕の色に染まり、無意識のうちに後ずさりしている。
「ヤマネコ・・・様?」
「君、どっかで会ったっけ?」
ヤマネコにとって天使が魔界にいる事よりも、自分の顔を知られている方が問題だった。一般の天使兵はもちろん、上級天使兵でも自分達双子の存在を知る者は少ない。とにかく今は極秘任務の最中。向こうの出方次第ではここで始末した方がいい。幸い周りに目撃者の姿は無い。彼の殺気を感じた天使の少女は、慌てて弁明を始めた。
「ソーマです。酷いですよ、忘れちゃったんですか」
目に涙を浮かべて訴える少女を見ても、ヤマネコの心が動く事はなかった。今彼が考えているのは、どうすればなるべく静かに相手を倒せるかというただ一点のみ。高い実力を持つ者を相手にするにはそれ相応の大技が必要だ。自分は神の力をあまり使わないため魔界での活動に支障は無いが、あまり派手な技を大魔王城の目前で炸裂させる訳にはいかない。潜入任務という目的を自ら放棄してしまうなどというのは愚の骨頂。
ソーマが少しでも妙な行動を見せれば、彼は間違いなく抹殺を選択する。それを肌で感じ取った彼女は気付いてもらえるよう、必死の思いで説明する。
「元親衛隊員です!神の庭で警備担当の。以前ヤマネコ様がお一人でいらっしゃった時、庭の花で賭けをしたじゃないですか!花や土や水に手を出さずに、枯らせる事は出来るかって。わたしは出来ない方に、ヤマネコ様はできる方に賭けましたよね」
賭けという単語を聞いて、ヤマネコの脳裏に記憶が蘇る。そういえばそんな賭けをやったような気がする。確かあの時はちょっとした騒ぎになった覚えがあった。
「庭全体に毒ガスを流す事ないじゃないですか!」
「あー、そうそう。だって空気に手を出すなとは言わなかったし」
そうだ。あの時自分は神の一人が開発したという毒ガス兵器を渡されていた。どこかでこっそり試して結果を知りたい、という無茶な願いを受けて。地上で試すわけにもいかないし、どうしたものかとその辺を歩いていたら神の庭に目が止まった。ここなら結界も張られているし植物もある。そう思って入るとちょうど騙しやすそうな天使がいるではないか。仕事と小遣い稼ぎをするいいチャンスだ、と閃いたのを覚えている。
まさかあの天使が天使兵の中でも最高位の親衛隊だったとは。
「あの後大変だったんですよ。庭の花も木も全滅。おまけに庭を守る結界も越えて親衛隊の待機所まで流れてきたんですから。普通の天使兵なら死んでますよ!あんな強力な物を天界で使うなんて、一体どういう事ですか」
「で、その親衛隊員さんがどうして魔界に?」
自分の責任を棚に上げて淡々と話すヤマネコに、ソーマはもう怒る気力も失ったようだ。この人に何を言っても無駄だと諦めるしかない。とりあえず抹殺だけは免れたい一心で、彼女は正直に理由を述べた。
「親衛隊を解雇されたに決まってるじゃないですか。ヤマネコ様との賭けで借金も有るのに職を失って、天界で暮らせなくなったから仕方なくここでアルバイトしてるんですよ」
責任を追及され弁明しても、ヤマネコの存在を知る者は少なく信じてもらえない。処刑されてもおかしくないのだが、兵器製作の張本人である神が事件を知ったため、何とか刑の執行は差し止められた。だが彼女に残ったのは解雇という現実と莫大な借金だけだった。自棄を起こして魔界を彷徨っていた所、門番募集の看板を見つけ大魔王城に勤める事になったそうだ。いくら金が必要だからと言って魔界で働く天使もそうだが、それを雇う大魔王も大魔王だ。
しかし困った。普通なら裏切り者はどんな理由があろうと放っておけない。発見次第連れ戻し罰を与えるのが規則だが、その原因を作り出したのは自分だ。ヤマネコは彼女を証拠隠滅のために殺すほど冷酷ではない。それにうまくすれば大魔王城への潜入も楽になる。
「まあ、俺の責任もあるしここで見た事は天界には言わないよ」
少女の顔が安心したような表情になったすぐ後にすかさずただし、と付け加える。
「俺も城に入れてくれないかな」