葛西陽子の終わりの夜
中学生の娘と、心の弱い陽子には言えなかった。
「帰ってこれないかもしれない」。
「言えばよかった、心配してほしかった・・・」
涙ながらに語る。
語るとは可笑しな表現だと思った。喘いだ。
死ぬことが怖いわけじゃない。僕が死んだ後、家族や知り合いがどうなるかが怖かった。
あの時、「今回の仕事は危ない」くらい言っておけば良かったのだろうか。後悔しても僕にはもう関係なくなってしまった。
別れの言葉、それと慰めがほしかった。
「それじゃ、行ってくる」
「あの・・・」
玄関口で尋ねられる。
毎度、仕事に行くときには必ず聞かれる。だから人と話すのが苦手な陽子の言うことが分かる。
「うん、早かったら朝には帰るよ」
そう言って、安心させるように陽子の頭をポンっと撫でる。
「遅く、なる?」
「分からない、けど帰ってくるよ」
ふふ・・・。と安心してか、少し微笑む陽子。が、微笑ましい。
こういうと不謹慎かもしれないけれど、弱い女性の困る姿と、ふっと安心する瞬間がなんともいえないくらい可愛い。
もうすでに寝ている娘にも挨拶を済ませたし、もう家に留まる理由も少ない。
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
微笑み手を振る陽子を背に、僕は自宅の玄関を発った。
そして死んだ。
その知らせが陽子に渡ったのが、夫の亡くなった翌日だった。
事件の大きさもあり、色々な処理を経てそれが通知された。
電話越しに聞える。
『…お悔やみ申し上げます。・・・・・・、・・・』
電話の向こうの人が何を言っているか、詳しくは聞き取れなかったが、父が亡くなったことは分かった。
母が言った。
「それで、私の夫は何時帰ってくるのですか?」
正気の抜けた表情で。生きた心地のしない声で。
電話の向こうの人、叔父の知り合いの三坂さんは、少し黙り込んでから言う。
『・・・・・・、娘さんに、代わって頂けないでしょうか?』
「えぇ、構いませんよ・・・。・・・代わってだって」
私の方に受話器を渡す母は、もう私の知っている明るい母ではなかった。
「うん。・・・・・・もしもし?」
母は何をするでもなくソファに座る。
『あ、あの・・・』
「聞いてました、少しですけど」
『そうか。その、陽子さんの様子は』
「・・・貴方のせいではありません。一時的かもしれないですけど、母はショックを受けてます」
『あぁ。じゃあ君だけの方がいいかな?一応親族の方に身元確認を。って思って』
「叔父だけじゃ、ダメなんですか?」
『やっぱり、毎日会っている家族の方が。それに遺体の引渡しもありますし』
「私は行きますけど・・・、父の両親は?」
『愛知に住んでいるので時間が・・・。今日連絡できたので、明日には東京に着くそうです』
私は母の方へ、一度振り返り言う。
「・・・分かりました。私の送り迎えは付けてくださいね。母もあの状態ですし、遺体の引き取り手続きなどは父の親族に任せます」
『あぁ・・・そうだね、そうするよ。それにしても、君は・・・悲しまないのかい?もっと、こう感極まって』
『泣くのは、家を発ってから。母を悲しませないように』
彼女なりに頑張ったのだろう。
その後、女性警官と一緒に被害者である葛西真言の娘、葛西 夕香を迎えにいった。
父親の死に顔を見た夕香は、それでも泣かなかった。
それどころか叔父に挨拶を済ませ、母のことも伝えていた。
帰り、私は少し早めに仕事を切り上げ個人的に夕香を送った。
やっと、というべきだろうか。車の中で夕香は泣いた。泣き叫んだ。
これから、この家族はどうなるのだろう。私には知る義務などないし、関係のないことだと思う。
それでも少しでも幸せを案じずにはいられなかった。
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葛西陽子の眠れない寝室
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