迷宮都市国家
ローグダンジョンとは所謂「不思議のダンジョン」のことです。
“ガルマ”と呼ばれる街がある。
街の中心には世界最大の城があり、世界最大の冒険者ギルドがある。
城塞都市であり、冒険者達を擁する傭兵都市であり、世界最大の武力を誇るこの都市の名は“ガルマ”。
しかし殆どの場合、この街は“ガルマ”とは呼ばれない。
王宮と冒険者ギルドに挟まれるように地上に口を開いた世界唯一の迷宮を擁するこの街を殆どの人間はこう呼ぶ。
“迷宮都市国家”と。
迷宮都市国家ガルマの建国王ガルマ1世は冒険者であった。
迷宮の最深部100階を単独踏破し、魔物の群れを支配していた魔女王エメロードを3日3晩に渡る戦いの末地に伏せさせ、迷宮内部での自治を認めさせる代わりに地上への不干渉を約束させ、その証として『契約のミスリル像』を受け取った。
『契約のミスリル像』に基づいて交わされた契約は人魔双方に絶対の効力を与え、双方の不可侵条約が結ばれる事となった。
ガルマ1世はエメロードの美しき一人娘、ロメリアを伴侶として迎え、迷宮都市国家ガルマを建国した。
◆ ◆ ◆
「・・・そして世界には長い長い平和が訪れました。めでたしめでたし。」
ルビーを赤ワインに溶かし込んだ様な長い赤髪の美しい女性は床についている息子に建国神話の絵本を読み聞かせていた。
母と同じ爛爛と逆立つ赤髪を持つ少年、ニースはもうすぐ6歳になる少年だ。
「ねぇ、お母さん。どうして魔物はまた迷宮から出てくるようになったの?」
赤髪の女性 – ローラは困った様な表情を浮かべる。
「なんで?」「どうして?」子供の好奇心には際限が無く、大人の回答許容量を超える事も少なくない。
「冒険者だった貴方のお父さんは132階まで到達したらしいわ。母さんがチームにいた時も120階まで行った事もある。迷宮の構造が昔と変わったせいで『契約のミスリル像』の効果が切れてしまったのかも知れない、と言うのが冒険者達の考えね。」
ローラと死んだ夫は同じチームに所属していた。
120階に到達した後のアタックにローラが同伴していないのはその時にニースを妊娠していた事に気付いたからだ。
「だったら、どうして迷宮の構造は変わっちゃったの?それに、王宮は一度も攻撃されてないんでしょう?王宮に『契約のミスリル像』があるからなんじゃないの?」
「ニース。」
困った表情を更に濃くして彼女は答える。
「迷宮にはまだまだ分からない事だらけなの。今日はこれでおしまい。大人になって貴方が自分の目で、手で、足で迷宮にアタック出来る様に成ったらその時に自分で確かめてきなさい。」
「でも・・・。」
「ニース、早く大人になる為にも今日は早く寝なさい。そうすれば明日は少し早く来るわよ?」
優しく髪を撫で付けられて、不承不承ながら眠りにつくニースであった。
◆ ◆ ◆
それから10年・・・。
いよいよニースが自分一人で迷宮に潜る事に為る日が来た。
この世界では14歳で同伴アタックが認められる。
これはギルドランクD以上の冒険者が率いるチームに同伴する形で迷宮に潜る事であり、冒険者を目指す者はこの期間に迷宮地下10階程度までの範囲で基礎的な技術を学ぶ。
初歩的な罠の解除、個人での戦闘方法、パーティでの戦闘時の役回り、応急手当、灯火や着火等の汎用魔術等など。
そして16歳になれば冒険者としてギルドに個人で登録する事が認められ、晴れて独り立ちが可能となるのである。
ニースはAランク冒険者であった父とBランク冒険者であった母の血を引いてか、既にDランクに近いとも言われる実力を発揮していた。
ギルドランクはSS~F迄の8段階で表され、最初は全員何の分け隔てもなくFランクからスタートする。
踏破階数と達成依頼を総合的に判断してランクが上がっていき、ランクによりまた受けられる依頼の幅やギルドや商会からの融資額が変わってくる。
「忘れ物無い?帰還水晶はちゃんと持った?今日はどんなに行けると思っても10階層までで帰って来るのよ?Dランクだなんて囃されてるけど冒険者である前に母さんの大事な大事なたった一人の家族だって事、忘れないでね?」
ニースは少しめんどくさそうに、照れくさそうに応える。
「分かってるって。明日はエメスが一緒に来てくれるんだし、彼女が一緒の方が深くまで潜れるんだから、一人で無理したりしないよ。登録して10階層で肩慣らししたら帰って来るって。」
エメスとはニースの隣に住む、所謂幼なじみの少女である。回復魔術を得意としておりながら徒手空拳にも秀でており、何度か一緒に同伴アタックをしたこともある。
「肩慣らしだなんて・・・。死んだら迷宮に喰われちゃうのよ?絶対に油断せずに帰還水晶の発動時間分、ゆとり持って行動してね??」
「分かった分かった。父さんに似ず俺は敏捷系らしいから走り回りながら帰還水晶使う事も出来るから。」
帰還水晶は使用すると迷宮の出口か自宅の何れか登録した場所に帰って来れる帰還の魔術を込めたマジックアイテムである。
ただ、帰還の魔術と違って発動までに2~3秒のラグが発生する。
ニースはまだ帰還の魔術を覚えていない為、帰り道はこれに頼らざるを得ない。
迷宮に“喰われる”と言うのは冒険者の中での通説であった。
迷宮で死んだ人間は迷宮の壁や床へと装備品ごとずぶずぶと呑み込まれて行く。
その後暫くすると同じ階層に新たにモンスターが沸く事が増えたり、モンスターの装備が一時的に強化されたりするのでそう呼ばれるのだ。
死んだ人間を糧にしている、これが迷宮に喰われるという由縁である。
「帰って来たら精霊魔術の特訓、付き合ったげるから。母さん似の貴方のその才能、ほったらかしは勿体無いわよ?」
精霊魔術とは魔族に属さず実態を持たない火や水などの化身と通じ合って力を奮う契約魔術の一種である。
一度契約してしまえば己の魔力以上の力を奮う事も可能であるが、資質自体がレアな為その全貌は余り明らかにされていない。
その数少ない優れた使い手であったローラとその資質を濃く引き継いだニース。
更にニースは戦士であった父の資質も受け継いでいる。
精霊魔法戦士と言う更にレアな冒険者として力を発揮して欲しいという期待はローラにもあるのだ。
ただ、力に過信したが故の無謀な死という物も嫌と言う程見てきているローラである。
事実、Aランクであった彼の夫も帰ってこなかった。
ダンジョンを馬鹿にしてはいけないのである。建国神話を信じるなら、その先には魔族が潜んでいるのだから。
◆ ◆ ◆
ニースはギルド前に来ていた。
しかし良く見ると登録係のエルナさんの前に黒山の(髪の色は様々であったが)人だかりが出来ている。
「??」
「お!来たか,ニース。早速だ。俺のチーム入れ。」
「お前!馬鹿言ってんじゃねぇ。ニースの最初の同伴アタックの時に、ニースはうちに入るって約束してんだ!!」
「ニースちゃん、こんなムサい男達の所入る事無いのよ?お姉さんのチーム入りましょう。」
「な、何だ何だ何だ何だ!?!?」
「はいはいはいはい、そこまでねぇ~?登録する前の青田買いは未成年者への労働強制として冒険者条約第9条に抵触するわよ~?」
「あ、エルナさん!!何これ!?」
「ニースちゃん、貴方自覚なさ過ぎね。精霊魔法戦士なんて言うレアな資質持ちでしかもそれ抜きでも十分に有能な貴方をそうそうみんなほっとかないの。こっちでゆっくり登録して良いからその間に何処の誘い受けるか考えておきなさい?」
かりかりとギルドカードの表面に自らの血を混ぜて作ったインクを走らせながらニースは考えていた。
(・・・俺ってそんなに有名人だったんだ。)
「書き終わった?」
ギルドカードに書く内容はそれ程多くない。氏名、年齢、性別を魔力を込めながら自分の血液を交えたインクでオリハルコンのカードに書けば、後は自動的に細かい内容が登録される様に魔術式が施されている。
「はい、これで良いですよね?」
「OK、じゃ、右手重ねて?」
言われるままにニースはカードに右手を添える。
その上から柔らかな感触のエルナさんの両手が重なった。
どぎまぎしていると悪戯っぽい笑みで微笑みかけられた。
俺より4つ年上の彼女は緑の髪を短めに纏めてオレンジの瞳、間違いなく美人の部類に入る。
「契約神ミスラの名の下に。」
エルナさんが唱える。
「契約神ミスラの名の下に。」
ニースが復唱すると、ビリッと電流の様な感触が走り、カードが光の粒となって右手に吸い込まれた。
「おめでとう。これで晴れてFランク冒険者ね。取り敢えず、カードの実在化だけやってみて?」
「あ、はい。カードオープン。」
ぶーん、と音を立てて右手にカードが現れる。
試しにエルナさんが引ったくろうとしたが、1m程離れたら勝手に再び光の粒になってニースの中へと吸い込まれた。
「オッケーみたいね。」
冒険者カードは盗難防止の為に、体から1m程離れると自動的にクローズされる仕組と成っている。
「で、何処に所属するかは決めた?」
「所属する所は決まっていませんが、今日の返答は決まっているんです。」
「皆さんも聞いて下さい。少し組んだだけの俺をそんなにも評価して貰って有難う御座います。何時かは一緒に旅をする事もあるかも知れませんが、最初のアタックを一緒に行く相手はもう決まっているんです。だから今日は誰とも組む事が出来ません。ゴメンなさい。」
「なぁ~んだ。エメスの嬢ちゃんと組むのかよ。そりゃ勝てねぇわ。」
なんだなんだと愚痴を零しながらもみんなさっさと退散してくれた。
冒険者は荒くれ者が多いのは確かだが、協力しないと命を落とすのは自分達なので単なる無法者ではなく、話せば分かる連中が殆どだ。
だがしかし。
何で俺がエメスと組む事が早々とばれているんだ。
「幼馴染みで美少女で元気いっぱいでおっぱいも大きくて回復魔術もマーシャルアーツも強いだなんてお姉さんでも敵わない子、あの子も十分に青田買いのリストに入ってたのよ?」
成程・・・。
「じゃぁ、行ってきます。」
エルナさんに手を振って俺は揚々と迷宮へ足を向けた。
プロローグなので、実際の冒険は次からです。