9 やつら
翌朝。
目覚めて、一瞬ここはどこ? と思い、すぐに全てを思い出した。ここは寺の坊主、武尊の家だ。髪はボサボサ、浴衣ははだけ、羽には寝癖までついている。着なれない浴衣の上、羽が生えているから、着崩れて当然だけれど。こんな半裸のエロい恰好じゃ、いくらお坊さんでも悩殺しちゃうかもしれない。
階下から読経が聞こえてくる。
腹の底から出る声は辺りに浪々と響き、朝の澄んだ空気に活気を与えている。
この声、好きだなあ。
なんだか安心する。
それにしても、武尊は朝から元気だ。
毎朝読経しているのだろうか?
寺で読経しないのだろうか?
しばらくぼーっと聞いていると、いつのまにか読経が止み、今度は出汁の良い香りが漂ってきた。
匂いにつられ、半裸悩殺浴衣姿のままフラフラと階段を降りる。
「おはよう。よく眠れたか?」
武尊はそういって、私のエロ姿をみて眉をひそめ、コンロの火を止めると姿を消した。
あら。やっぱりお坊さんにこの恰好は刺激強すぎ?
そう思っていると、前あきの薄手のパーカーを持った仏頂面の武尊が現れた。
「だらしない! これでも着ていろ」
パーカーが頭の上にふってきた。
おお。
大きめの男物のパーカーなら羽を出しても十分着られる。
夏だからちょっと暑いけれど、仕方ないか。
下は武尊の短パン。こちらもデカすぎるが仕方ない。
「だらしない……ですか。エロいとかじゃなくて」
「ああ? エロいといわれたくて見せに来たのか? 残念な、絞殺されかかった哀れな鶏にしか見えん。鳥ガラは大人しく飯でも食え」
鳥ガラですか………。
と、思ったけれど、美味しい朝ごはんをしっかりたいらげた。
お片付けを手伝い、白い羽があちこちに飛び散っていたのでお部屋の掃除をした後、昨日連れて行ってもらった空地で飛ぶ練習をする。
木につかまって、へろへろ羽を動かし、ズザザザーッツと着地する。最初のうちは武尊がつきあってくれていたが、用があるからと、途中でいなくなってしまった。
子供のとき以来、あちこちに擦り傷ができた。
飛ぶ練習に夢中になりすぎて、武尊の作ってくれた結界を越えてしまった事に気が付かなかった。
突然、すぐ背後から声がして、縮み上がった。
「どこの渡り鳥ですか? ここはお前の来る場所じゃない」
良く通る中性的な声。
けれど、その声には明らかに嫌悪が滲んでいる。
そして、明白な殺意。
首筋に冷たい指が触れ、背中の片羽の付け根をつかまれた。
恐怖にふり返ることすらできず、固まってしまう。
武尊の言っていた言葉が蘇る。
「やつら」は縄張り意識が強いから、お前みたいなのがフラフラ歩いていると殺られる。
背後から私の羽をつかみ、首を絞めようとしているのは、「やつら」なのだろうか?
「惜しいな。稀にみる立派な羽なのに。同じ種なら妻にするのだが」
つぶやく声が聞こえ、冷たい指は首筋をなぞり、私の羽をゆっくりと撫でる。
羽の上からでも、冷たい指の感触が憎しみとともに伝わってくる。
一ミリも動けず、されるがままになっていた。
羽をつかまれ、思わぬ方向に捻じ曲げられる。
「羽をもげば人間に戻るかな? んん?」
ギリギリと背中に嫌な圧迫感がある。
羽がもげる。
手羽先になっちゃう。
私、殺られちゃうの……?
背後の手から逃れたいのに、上手く動けない。
背中が軋むように痛い。
羽が……折られる……。
「天狗殿、止めなさい! それは私が預かっている客人です」
武尊の声がして、背中がふっと軽くなり、体が自由になった。
足に力が入らず、よろけた所を袈裟姿の武尊に腕をつかまれる。
ハラハラと白い羽毛が舞い散った。
「おや……。神野殿の客人でしたか。それは失礼しました。しかしどうしてこんな毛唐を預かっているのです?」
すました顔でそういった「天狗殿」は、見た目はただの人間の男だった。
やや吊り上った切れ長の目に、スラリとした長身。
スーツまで爽やかに着込んで、営業マンか? といったような風貌。
それでも私に向ける視線は氷ビームだ。
「空、大丈夫か? ああ……羽がこんなに抜けちゃって……女の子なのに可哀そうに」
武尊は「天狗殿」の問いには答えず、「天狗殿」から私を守るように抱きこむ。
温かな空間がそこにあった。
もし、お父さんがいたら、こんな風に守ってくれたのだろうか。
ずっと「自分の身は自分で守れ」と、教えられてきた。
家には祖母、母、私しかいなかった。
今は母も結婚しているけれど、私が大きくなってから結婚したこともあって、あくまで母のパートナーであり、私の父ではない。
武尊の胸に顔をうずめると、微かにお香の香りがした。
おとうさん……。
ぎゅっとしがみつくと、武尊がそっと抱きしめてくれるのがわかる。
なんだか……嬉しい。
でも、武尊が言った次の言葉に、私は打ちのめされた。
「この子は少しの間預かっているだけだ。もうすぐ迎えが来る。他の連中にもそう伝えてほしい」
少しの間預かっているだけ。
そっか。
やっぱり武尊は私を追い出すつもりなんだ……。
「あれ? 空、羽が消えてる」
私の肩を抱いていた武尊が手をどけていった。
そういえば、背中が軽い。さっきの恐怖体験で羽が消えてしまったのだろうか。
これがいわゆる羽をしまった状態なのだろうか。
物理的になんか納得がいかない。
「羽をしまったところで、我々には異国の異形の者などすぐわかりますよ。匂いますからね。ま、神野殿の客人ということであれば、我々も引かざるをえません。それでは」
営業マン風天狗殿は、「匂いますからね」を強調していって、颯爽と姿を消した。
何か私が臭いみたいじゃないか。
待てよ。案外本当に鳥臭いのかもしれない。
心配になってくんくん匂いを嗅いでいると、武尊が笑い出した。
「本当にもう、お前はアホだな。異形の血を引く者同士はどんな格好をしていてもわかるという意味だ。帰るぞ」
武尊に手をひかれて家に戻る。
はあ。アホとか鳥ガラとか散々ないわれようだ。
それでも、私の手を握る武尊の手は温かいと思ってしまう。
風が吹き抜け、背中が妙にスースーとした。