7 お清め2
「空? こんな所にいたのか」
声がしたのと、私がソルトと書かれた入れ物の内蓋を開け、中身を開いた戸に向かってぶちまけたのは同時だった。
ゲホ、ゴホ、とせきをしながら、屈みこむ武尊がいた。つづいてクシャミをしながらフラフラ立ち上がり、目をおさえ、台所の流しに手をつき、水道の蛇口を全開にしている。
ようやく私は自分のしでかしたことを悟った。
外から帰ってきた武尊に、胡椒やハーブのタップリ混ざった味付きの塩をぶちまけてしまったらしい。
やっちゃった、という気持ちよりも、安堵の気持ちの方がはるかに大きかった。
床にへたり込んだまま、動けない。
ばしゃばしゃと豪快に顔を洗い、タオルで顔を拭いた後、武尊はふりむいた。
目が赤く血走っており、仁王様のようだ。
それでも、さっきの正体不明のあそぼお化けよりは、ずっといい。本当に怖かった。
「空、貴様、なんのマネだ?」
仁王様は血走った目で睨みつけてくる。
「き、清めようと思って…」
だって、だって、悪霊退散のつもりだったんだもん。
「ほう? 空の分際で坊主を清めるつもりか? しかも塩コショウで?」
「ご、ごめんなさい…。でも、でも、帰ってきてくれてすごく嬉しいです」
よろよろと立ち上がり、思わず武尊の広い胸に飛び込んでいました。
だって、すごく怖かったんだよ。
そして、武尊の着ていた袈裟から舞い上がった塩コショウに返り討ちにされ、目つぶしにあい、へ、へくしゅん、激しいクシャミに、くしゃんっ、襲われました。ずび。げほ。ごほ。
「本当に馬鹿かお前は…」
武尊は完全に呆れている。
っていうか、クシャミでそれどころじゃない。
「顔、洗ってこい。俺は着替えてくる。ちなみにうちの宗派は死を穢れとはみなさないから葬式から帰っても塩は必要ない」
冷静な声が聞こえてきました。
ひと段落ついて。
恐怖体験を武尊に語ってきかせたけれど、ろくにとりあってくれなかった。
あそぼって言われただけだろ? 別に、家の中には入ってこなかったんだから、それでいいじゃないか。悪霊じゃないんだから、味塩なんか撒くな。
そういわれちゃえば、そうなんですけどね。
でも、怖いもんは怖いんですよ!
夜。
周りが山だと、本当に暗い。
それでも今日は月が出ているから、まだ明るい方なのだろう。
ザワザワと木々の音がして、眠れない。
武尊からは、二階にある六畳の和室で寝るよう言われていた。
和室に布団、あとはガランとしていて落ち着かない。
あそぼお化けを思い出さないようにしよう、と思えば思うほどドツボにはまっていく。
眠れない。っていうより怖い。
そして、怖いと思ったときに限り、トイレに行きたくなるものだ。
階段を下り、トイレに行く。
半分開いたトイレの窓が怖い。
窓の向こうは木々と闇だ。
あそぼお化けが出てきたらどうしよう。
そう思ったところに、カシャン、と音がした。
ひぃぃ、ちびっちゃうーって、トイレ中だった。
何かが、トイレの窓から覗いているような気がする。木の枝が窓に当たっただけかもしれないけど。
トイレの向こうに、絶対に何かがいる気配がする。
慌ててトイレを出る。
私には霊能力とかは全くない。
霊と妖怪の類の区別すらわかっていない。
それでも、何かに見張られているような、嫌な感覚。
「た、武尊」
一階の和室に武尊は眠っていた。
パジャマではなく、浴衣を着ている。
渋い。
私も浴衣を借りたから、浴衣姿だけれど。
あ、パンツは武尊から借りたトランクスだけれど。
着の身着のままで武尊の家に厄介になったので、かえの服など持っていなかった。
羽が生えたまま外に出られないし、何度も風呂敷で包んで外に出るのも怪しいし、
坊主に女子のぱんつを買いに行かせるわけにもいかない。
武尊はトランクス(新品の)とシャツ、短パン、浴衣を貸してくれたのだった。
したがって、私は武尊の大きなトランクスをはいて、浴衣を着ている。
誰? 今、白い目で私をみたやつ。
武尊はやっぱり着こなしが違う。こう、肌に馴染んでいるっていうか。
「あの」
小さく声をかける。
「この部屋で一緒に眠ってもいいでしょうか」
スースーという健全な寝息しか返ってこない。
「じゃあ、ちょっと布団を移動させますね。決して、そういうイヤラシイ意味ではありません」
スースーという寝息が返ってくる。
了解ということだろう。
布団をとりに行こう、と思ったけれど、あの真っ暗な二階に行くかと思っただけで足がすくむ。全部電気をつけてこればよかった。
廊下の電気をつけ、階段の電気をつけ、二階の電気をつけ、布団をたたむ。
えっちらおっちらと布団を担いで階段を下り、武尊の部屋のふすまをあけた。
武尊の寝顔がこの上なく頼もしい。
よいしょ、と布団を敷き、掛布団も運び込んだところで、更なる強い視線を感じた。
トイレの窓の比ではない。
射殺されそうな、強い、視線。
恐る恐る視線の方を見ると、そこには武尊が浴衣姿で立っていた。
「空、お前はこの夜中に何をやっているんだ?」
『怒り』のようなものと『呆れ』のようなものを感じる。
けれど、お顔は能面のように無表情で…それが更なる迫力を醸し出している。
「それは、その。一緒に寝たいと思いまして。あ、えっと、けっしてフシダラでイケナイ意味ではなく、危険回避といいますか、どうもその怖いといいますか…」
しどろもどろに言い訳をしていると、はぁーっと大げさなため息が聞こえた。
「つまり、夜一人で寝るのが怖いから、ノコノコと男の部屋へ入ってきた、と、そういいたいのか?」
ノコノコ男の部屋に入るなんて、人聞きの悪い! と思ったけれど、でも、まあ、その通りなので黙る。
「空、そこに正座しろ」
ビシリ、と畳を指差される。
「は、はひ」
焦ると声が裏返っちゃう。
「いいか? 怖いなら絶対に夜、この部屋には入るな。この部屋には外にうようよしている魑魅魍魎より更に恐ろしい生き物がいる。お前があどけない寝顔をみせようものなら、がっぷり喰っちまうような恐ろしい生き物だ。わかったら、さっさと布団をまとめて出ていけ。外からは誰も入ってこないから、安心してさっさと寝ろ」
ななななんでしょう?
この部屋には恐ろしい化け物が住んでいるのですか?
この部屋よりは、二階の方が安全だと、そういうことですか?
武尊はよくその化け物と同じ部屋で平気ですね…。
「で、でも、その恐ろしい化け物がこの部屋を抜け出して、二階に上がってきたら、私はどうすれば…」
はーっというため息が聞こえ、武尊が天井をみるのがわかった。
「そんなこと、するか!!! だからってこの部屋で一緒に寝るって有り得ないだろう!」
ついに武尊が怒鳴りだした。
「でも、武尊と一緒にいれば、その化け物とやらが現れたときも、安心だし…」
「………」
武尊は呻き、目をつぶった。
「とにかく、布団をまとめて出ていけ。そして二階で大人しく寝ろ。絶対に大丈夫だ。何も怖いことは起こらない。いいな?」
武尊がそういった。
武尊がそういうなら、大丈夫な気がしてきた。
頷いて、掛布団をたたむと、二階へ向かった。
武尊も敷布団を運ぶのを手伝ってくれた。
二階に布団を敷いて、布団の中に潜り込む。
「おやすみなさい」
私が言うと、武尊が苦笑いしながら私の頭をぽむ、と叩いた。
「おやすみ」
武尊がいって、電気を消した。
ギシギシと階段を降りる音がして、ふすまをタンッと閉める音がした。
なんだかすごく安心してしまい、その後はぐっすり眠ってしまった。