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転生先でも負けヒロイン扱いはお断りです──革命前夜、私は大統領の隣に立つ

作者: 冬夜朔
掲載日:2026/02/24

 死ぬ瞬間、私が最後に見たのは、あの女の顔だった。


 交差点で信号待ちをしていたとき、横から来たトラックが突っ込んできた。衝撃の直前、視界の端に映ったのは、スマートフォンを見ながら歩いていた女の顔。ぼんやりとした、焦点の合っていない目。


 彼女がよそ見をしながら車道に踏み出したせいで、トラックが急ハンドルを切った。そのせいで私が死んだ。


 名前は知らない。顔は覚えた。


 そして私は目を覚ました。異世界で。


────────


 気づいたら赤ちゃんだった。


 私の名前はエリナ=フォン=ヴァルディス。ヴァルディス王国の第二王女。前世の記憶を持ったまま、貴族の令嬢として生まれ直した私は、まず現状把握に努めた。


 この世界には魔法がある。身分制度がある。中世ヨーロッパ風の文化がある。そして――私には婚約者がいる。


 セバスチャン=フォン=アルノルト。隣国アルノルト王国の第一王子。政略結婚として幼少期に決められた婚約だ。


 幼いうちに一度だけ会ったことがある。金色の髪で人懐っこい笑顔の、確かに見目麗しい少年だった。でも話してみると、なんというか――薄い。中身が薄い。褒められると際限なく喜ぶし、叱られると理由を考える前に謝る。十歳にしては幼すぎる精神性だと思ったが、貴族の子弟なんてそんなものかもしれないと思って気にしないことにした。


 私は勉強した。政治、経済、歴史、語学、魔法理論。前世の知識をフル活用して、この世界の構造を理解しようとした。


 この国には問題がある。税制が歪んでいる。貴族が農民を搾取している。王家は財政難なのに見栄だけは一人前で、民衆の生活は疲弊している。


 前世で経済学を少しかじっていた私には、この国が百年以内に崩壊するのが見えた。


 変えなければ、と思った。婚約者のいる隣国でも、自分の生まれた国でも、何かができるかもしれない。そのために、力をつけよう。


 十六歳になった年、私はアルノルト王国へ留学した。婚約者との仲を深めるため、という名目だったけれど、本当の目的は政治と経済の現場を見ることだった。


 そこで、再会した。


────────


 アルノルト王国の王立学院。入学式の日、私は彼女を見つけた。


 亜麻色の髪に大きな茶色の目。少し鼻の頭に、そばかす。


 前世で私を殺した女だ。


 心臓が跳ねた。向こうも気づいたらしく、目が合った瞬間、明らかに顔が強ばった。


 ミレイユ=シャルル。男爵家の令嬢として転生したらしい彼女と、私たちは同じクラスになった。


 話してすぐわかった。彼女も前世の記憶を持っている。そして、私のことを覚えている。


 廊下で二人きりになったとき、彼女は先に口を開いた。


「……あなた、覚えてるのね」

「覚えています」


 ミレイユは目を逸らした。


「あれは事故だった。私がよそ見してたのは確かだけど、あなたが死んだのは私のせいじゃない。トラックが悪い」


 すごい論理だと思ったけれど、私はため息をついた。


「別に恨んでいません。ただ、それを言うなら私に謝る必要もないですよね」

「謝ってない」

「そうですね」


 それだけ確認して、私は歩き出した。背後でミレイユが何か言ったが、聞こえないふりをした。


 恨んでいないのは本当だ。でも、好きにもなれない。


 そして、彼女が厄介な人間だということは、最初の会話でわかった。


 ミレイユは前世の知識を使うことに、一切の躊躇がなかった。


 現代の料理レシピを披露して周囲の称賛を集め、現代のファッションセンスで着こなしを変えてモテて、現代の音楽を「自作した」と言って弾いて人気者になった。私もやろうと思えばできたが、あまりに露骨な知識の使い方が好きではなかったし、それより本質的なことに前世の知識を使いたかった。


 だが、一番まずかったのはミレイユが、セバスチャン王子に急接近したことだ。


「殿下って素敵ですよね」


と、ミレイユはことあるごとに私に言った。目が笑っていない笑顔で。


「エリナ様の婚約者なのに、もったいない。エリナ様って、いつも難しいお顔をされていて、殿下と話すときも政治の話ばっかりなんですって。かわいそう」

「殿下とよくお話しするんですね」

「ええ、楽しくて。殿下って、純粋で素直な方でしょう。私みたいな平凡な令嬢の話でも、ちゃんと笑って聞いてくれて」


 私は何も言わなかった。


 セバスチャン殿下は、確かに純粋で素直だ。ただ、それは別の言い方をすると「お世辞と本音を区別できない」「褒められると簡単に懐く」「自分に都合のいい話を信じやすい」ということでもある。


 ミレイユはそこをよくわかっている。前世の記憶があるから、人の心理を操るのが上手い。


 嫌だな、と思った。でも、止める気にもなれなかった。正直なことを言えば、セバスチャン殿下に対して、私はそれほど深い感情を持っていなかった。婚約者だから誠実に接しようとは思っていたが、恋愛感情は、薄かった。


 問題は、感情より政治だ。婚約破棄になれば、二国間の関係に影響が出る。


 そっちのほうが心配だった。


────────


 三ヶ月後、セバスチャン殿下から呼び出された。


 謁見室に入ると、殿下の隣にミレイユが立っていた。父王のグスタフ一世も同席している。恰幅のいい、赤ら顔の王だ。権威を振りかざすのは好きだが、実務は全部側近任せで、自分では何も決められないと評判の人物。


「エリナ。率直に言う」


セバスチャン殿下は言った。


「婚約を解消したい」


 私は一拍置いた。


「理由を伺っても」

「君とは話が合わない。政治と経済の話ばかりで、一緒にいても楽しくない。ミレイユのほうが、私には合っている」


 ミレイユが申し訳なさそうな顔をしている。前世からの得意技だ、あの顔。


「殿下、婚約は両国の外交的合意のもとで結ばれたものです。一方的な解消は、ヴァルディスとアルノルトの関係に影響します。外交問題になり得ます」

「そこはわかっている」


とグスタフ王が口を開いた。


「ヴァルディスには相応の補償を行う。金と領地だ。王女一人の婚約破棄に、国同士が争うほどのことはない」


 金と領地。私を金で買った婚約だったということか。


「父上、そうです。エリナ嬢には申し訳ないが、ミレイユを正式な婚約者とする方向で進めたい。彼女は、この国の発展に貢献できる知恵を持っている」


 ミレイユの「知恵」が何を指すか、私にはわかった。前世の知識だ。彼女は殿下に、現代の農業技術や医療知識を少しずつ披露して、信頼を勝ち取っていたのだ。


 私は少し考えた。

 怒るべきだろうか。悲しむべきだろうか。


 正直なことを言えば――思ったより、どうでもよかった。


 セバスチャン殿下への感情が薄かったというのもある。でもそれより、今、私の頭の中には別のことが渦巻いていた。


 この国の現状を、もう一度整理しよう。


 グスタフ王は無能だ。それは会話の端々からわかっていた。複雑な政策判断を嫌がり、側近の言いなりで、民衆の生活には無関心だ。先日も、深刻な凶作の報告を「なんとかしろ」の一言で片付けたと聞いた。


 セバスチャン殿下も、父王を超えられる器ではない。純粋なのは美徳だが、純粋すぎて騙されやすく、難しい判断を先送りにする癖がある。ミレイユの「知恵」を頼りにするということは、実質的に国政をミレイユに丸投げするということだ。


 ミレイユは賢い。でも彼女の目的は、この国をよくすることではなく、自分が権力の中枢に立つことだ。それも、前世の短い付き合いからわかっていた。


 三人合わせて、この国を食い潰す気か。


「わかりました。婚約解消をお受けします」


 殿下が安堵の息をつき、ミレイユが伏し目がちに微笑み、そしれグスタフ王が静かに頷いた。


 私は礼をして、謁見室を出た。

 廊下を歩きながら、私は静かに決意した。

 この国を、変える。正面からではなく、別の方法で。


────────


 ヴァルディスに帰国した私を待っていたのは、父からの小言と、一人の男だった。


 父王の小言は聞き流した。「婚約を破棄されたのはお前に問題があったからだ」「もっと愛嬌を持て」「あの王子を繋ぎ止められなかったのか」。全部的外れで、しかも娘の心情への配慮がゼロだったが、この父もたいがい見通しの甘い人物だから驚かない。


 問題は一人の男のほうだ。


 リオン=ハルト。年齢は私と同じ、二十歳。ヴァルディス王国の若き民権活動家にして、密かに進めている市民革命の組織のリーダー。

 私が帰国する一週間前、彼は王都の広場で演説をして逮捕されていた。でも釈放されていた。なぜなら、彼の演説の内容が完全に法律の範囲内で、しかも民衆の支持が高くて、不当に拘留すれば騒動になりかねなかったから。


 面白い人物だ、と私は思っていた。帰国してすぐ、接触を試みた。


 最初の会話は、父の宮廷の庭だった。


「王女様が直接来るとは思わなかった」

「あなたの演説の記録を読みました。税制改革、農地解放、言論の自由、立憲制の導入。全部、正しいと思います」

「……本気で言っていますか」

「本気です。それどころか、私はあなたの運動に協力したい」

「なぜ」

「この国が崩壊する前に変えたいからです。私は経済がわかります。政治もわかります。前世の――」


 私は少し止まった。


「……詳しい理由は後で話します。とにかく、私を使ってください。王族の後ろ盾は、あなたの運動に必要なはずです」


 リオンはしばらく私を見ていた。疑っている。当然だ。


「一つ聞いていいですか」

「どうぞ」

「婚約を破棄されたから、腹いせで革命に加担しようとしているわけではないですよね」


 私は少し笑った。


「腹いせにしては、スケールが大きすぎませんか」


 彼が初めて、笑った。


────────


 それから一年が経った。


 私はリオンの組織に、ほぼ全面的に関わるようになっていた。資金調達、法律の抜け穴を使った組織運営、他国の民主主義の事例研究、演説の構成。前世の知識が、ここでは本当に役に立った。


 リオンは優秀だった。情熱があって、頭が切れて、何より民衆のことを本気で考えていた。一緒にいるほどに、尊敬が増した。


 ある夜、組織の作戦会議を終えて、二人で残っていたとき。


「エリナさんは」


とリオンが言った。


「怖くないですか」

「何が」

「革命が成功したとして、お父上の王政は終わりますよ。あなたも王女ではなくなる」


 私は少し考えた。


「怖くないと言えば嘘になります。でも、ずっと疑問だったんです。なぜ生まれた家によって、一生が決まるのか。農民の子は農民で、王族の子は王族で、それが正しいとは思えない」

「俺も同じです」


リオンが言った。


「生まれで人生が決まるのはおかしい。でも――」

「でも?」

「あなたが王女じゃなくなっても、俺の隣に立ってくれますか」


 私は彼を見た。


 リオンは真っ直ぐ私を見ていた。演説のときの情熱的な目ではなく、もっと静かな、でも確かな目で。


「……それは、どういう意味ですか」

「そのままの意味です。革命が成功した後、この国の新しい形を作るとき。俺の隣で、一緒に作ってほしい。政治家として、というだけじゃなく」


 心臓が跳ねた。


 一年間、ずっと感じていた。この人と話すのが好きだ、この人のそばにいると力が湧く、この人の信念が好きだと。でも、それを恋愛感情として認識することを、私は少し避けていた。


 前世でも、この世界でも、感情に振り回されるのが怖かったから。


「……革命を、先に成功させましょう」


 と私は言った。


「それから、答えます」


 リオンが笑った。


「待ちます」


────────


 革命は、私たちが予想していたより早く来た。


 きっかけは、アルノルト王国からの報告だった。グスタフ王がミレイユの進言で強行した農業政策が大失敗し、深刻な食糧不足が起きた。民衆が反発して、王都で大規模な抗議活動が起きている。セバスチャン殿下はその混乱の責任をミレイユに押しつけ、ミレイユは「騙された」と喚いている。グスタフ王は「下々の不満など放っておけ」と言ったそうだ。


 その情報がヴァルディスにも伝わった。民衆の口から口へ。「隣の国が、王の愚かさで食べ物がなくなった」「うちも同じだ」「いつまで黙っているのか」。


 リオンが行動を起こした。


 私は法的なサポートと資金と、それから自分自身もともに街に出た。王族が民衆と並んで立つ姿は、象徴的な効果があった。


 父王は最初、軍を動かそうとした。でも、軍の将軍の半分がすでにリオンの理念に共鳴していた。私が事前に根回しをしていたから。


「エリナ、貴様は王女だぞ!」


と父は叫んだ。


「だからこそです、お父様。王女が民衆とともに立っているということは、この改革が正しいということです」


 三日間の交渉の末、父王は立憲制の導入と、選挙制議会の設立を認めた。退位はしなかったが、権限は大幅に制限された。実質的な王政の終わりだった。


────────


 ヴァルディスの革命が成功した報告は、アルノルト王国でも話題になった。


 その頃、アルノルトの状況はひどいことになっていた。


 ミレイユが進言した農業政策の失敗で食糧が不足し、民衆の怒りは頂点に達していた。ミレイユは「私の言うとおりにやらなかったからだ」とセバスチャン殿下に責任転嫁した。


 殿下は「ミレイユを信じた自分が悪かった」と言って、ミレイユを解消し……ようとしたが、ミレイユが「前世の知識を全部持っているのは私だけだ、捨てたら損をするのはあなただ」と脅した。


 そう、ミレイユは前世の知識をカードとして使っていた。だから、彼女の言いなりにならなければ情報を出さないという脅しが通用していたのだ。


 でも、ヴァルディスで民主化が進んでいるという情報が流れ込んで、アルノルトの民衆も立ち上がった。


 グスタフ王は「革命など起こせるものなら起こしてみろ」と言った。三日後、王宮を民衆に取り囲まれて、青ざめながら和平を申し入れた。


 セバスチャン殿下は最終的に、「自分は悪くない、みんなに騙された」という声明を出して、民衆にさらに呆れられた。


 ミレイユはというと。


 革命後の新政府から、「前世の知識を国家の利益のために独占使用した罪」で訴えられた。本人は「そんな法律はない」と反論したが、新政府は「国民への情報隠蔽と権力利用」として司法手続きを進めた。最終的には軽い処罰に留まったが、社交界での立場は完全に失った。


 グスタフ王は退位させられた。セバスチャン殿下は王位を継がず、立憲制の下で飾りの「国王」になることを選んだ。でも実権は議会にあるから、飾りでしかない。


 前世で私を轢き殺した交差点での信号無視のように、この世界でも彼女は自分の行動の結果を他人のせいにし続けていた。それが最後まで変わらなかったのは、ある意味で一貫していた。


────────


 ヴァルディス共和国初代大統領選挙が行われたのは、革命から一年後だった。


 リオン=ハルトが、圧倒的な支持で当選した。


 就任式の日、私はリオンの隣に立った。大統領夫人として。


 革命が成功した翌朝、リオンが聞いてきた。あの夜の続きを、彼はちゃんと覚えていた。


「答えをもらえますか」

「隣に立ちます」


と私は答えた。


「政治家として、というだけじゃなく」


 彼の言葉をそのまま返した。リオンが少し目を丸くして、それから笑った。前世の記憶を持つ私が、初めて「これが恋だ」とはっきりわかった瞬間だった。


 就任式の会場は人で溢れていた。農民も、商人も、元貴族も、みんなが同じ広場に立っている。身分によって場所が分けられていない。当たり前のことが、当たり前でなかった世界から、少しだけ変わった。


 マイクの前に立ったリオンが、就任の言葉を述べる。私はその少し後ろに立って、会場を見渡した。


 アルノルト王国からも、視察団が来ていた。新政府の担当者として、若い官僚たちが。セバスチャン殿下の姿はない。今頃、王宮で飾りの王として座っているのだろう。


 ミレイユが今どこにいるか、私は知らない。知ろうとも思わなかった。恨んでいない。でも、もう関わりたくもない。


 前世で死んで、この世界に生まれ直して、婚約を破棄されて、革命に関わって、全部ここに繋がっていたのかもしれない。


 リオンが演説の途中で、ほんの少し振り返った。目が合う。彼が小さく頷いた。私も頷いた。


 言葉はいらなかった。


 前世でも今世でも、私は感情を表に出すのが苦手だ。でも今、この瞬間だけは、自分の顔がどんな表情をしているか、自分でもわかった気がした。


 初めて、本当に生きていると思った。

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