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「だとしても、村人全員に悪意があったわけではありません」
雪乃が村人たちを庇う。
「人間個々の悪意など、私の裁きの基準ではない……あぁ、いやいや、雪乃がこだわるのなら話は別だ。雪乃の言うように村人たちは許すとしよう」
龍神は、人間の命を軽んじているわけではない。ただ、神の尺度は人とは違う。その尺度を雪乃に合わせたという事実こそが、愛の深さを物語っていた。
「悪さをした罪人だけを罰すればよいか?」
雪乃を気遣うように視線を向ける。雪乃がそっと頷くと、龍神が手を振った。次の瞬間、与助と手下だけが宙に浮かび、川へと沈んだ。
それから龍神は庄屋や村人たちの前で宣言した。
「私は雪乃を深く愛している。雪乃の心は静かで澄み、汚れを知らぬ清流のようだ。その声は不思議と私には聞こえないが、心の波は穏やかで、触れれば安らぎをもたらす」
龍神は続けた。雪乃のような者は世界にただ一人であり、故に唯一の妃と定める。他の嫁は要らぬこと。龍人たちも雪乃を龍王妃として認めていること——そう告げた。
(雪乃? はて……? あぁ、思い出した。娘につけた下女のことか?)
庄屋は首を傾げて雪乃を見た。村人たちも同様に戸惑ったが、龍神に話しかけることなど恐れ多くてできない。ただ、庄屋だけが龍神に頼み込む。
「龍神様。久しぶりに娘に会えて嬉しゅうございます。どうか一つだけお許しを。一晩だけ、娘を我が屋敷へ泊まらせてください。親子で話したいことがございます」
雪乃は頷き、龍神も一晩だけならと許した。
◆◇◆
ここは庄屋の屋敷である。雪乃は庄屋と向かい合って座っていた。
「なぜお前が梨花のふりをしているのだ?」
「梨花お嬢様は都から逗留していた若様と駆け落ちしました。側仕えの彩葉も従者と恋仲だったようで、私は梨花お嬢様に代わって、龍神様に嫁ぐよう命じられたのです」
「……なんという愚か者だ。すまなかったな、雪乃。このことは龍神様には内緒に。お前も私もどんなお咎めを受けるかわからん。梨花はもう、わしの娘ではない。雪乃こそ、わしの娘としよう」
「はい、承知しました」
庄屋に認められホッとはしたものの、雪乃は天界に戻っても本当のことが言えず、心の中で謝るのだった。
(本当にごめんなさい……私が梨花様ではないとわかったら、この幸せが壊れてしまいそうで言えません。それに庄屋様にも村人たちにも、龍神様の怒りが向けられてしまうかもしれない……龍神様、ごめんなさい……)
龍神は雪乃の心は読めない。だから、雪乃の悩みも知らない。神にとっては、雪乃が庄屋の娘かどうかなど些末なことであると、雪乃はまだ気づいていない。
ある朝、雪乃は理由もなく体が重く、ひどく眠いまま目を覚ました。起き上がろうとした瞬間、胸の奥がむかつき、思わず口元を押さえる。異変に気づいた龍神は顔色を変え、すぐに侍医を呼びつけた。
「おめでとうございます、龍王様。お妃様は御子を宿しておられます」
その言葉を聞いた瞬間、銀の瞳がキラキラと輝いた。先ほどまで眉尻を下げて落ち着かない様子だったのに、今は少年のように声を弾ませて顔も輝いている。庭ではシロと名付けられた子犬が、状況を察してか嬉しげに尻尾を振りながら走り回っていた。
「……本当か? 本当に雪乃の腹にややが?」
龍神はそっと雪乃を抱きしめ、呟いた。
「ありがたい……」
その日から、龍神はやたらと慎重になった。布団から起き上がる雪乃の背にそっと手を添えたり、湯浴みの温度を確かめ自ら手伝い、廊下の段差ですら雪乃を抱きかかえる。
「龍神様、そんなに甘やかさないでください……」
「甘やかすに決まっているだろ。雪乃と我が子を守るためだ。……腹に……触れていいか?」
雪乃は花のように微笑み、そっと龍神の胸に身を寄せた。
「どうぞ」
雪乃の心に甘い感覚が走り、キュンと胸がときめいた。龍神は満足そうに目を細め、雪乃の腹に手を当てる。
「これが私たちのややだと思うと、心がどうしようもなく浮き立つ。……雪乃。嫁いできたのが、雪乃でよかった。そなたを生んでくれた庄屋の妻には、感謝しなければな」
その一言で、雪乃は一瞬呼吸が止まる。嬉しいのに、胸の奥がチクリと痛んだ。
(……私は身代わりなんです。ほんとうは孤児の下女です)
また心の中で、ひとつ謝る。
やがて、龍人たちにもその知らせはすぐに広がった。
「竜王様にお子が……! 後継がお生まれになるぞ!」
「雪乃様は、我らの宝です!」
皆の喜びように、雪乃はどうしていいかわからなくなる。あれほど下界で粗末に扱われていたこの身が、今は天界で大切に傅かれている。嬉しくて、ありがたくて、涙が出そうだった。
龍神は毎晩、雪乃の背を優しく撫でながら眠りについた。雪乃は薄目を開けたまま、龍神の胸の音を黙って聞いている。
(……怖いぐらい幸せだわ。身代わりをするように言った梨花様には、感謝しなければ……)
雪乃は梨花の幸せを祈るのだった。
一方、都の貴族、恒雅と駆け落ちをした梨花はというと――
都の貴族は正妻のほか妾を数人置くことも珍しくなく、彼にはすでに正妻がいた。梨花は妾の一人として迎えられたが、ほどなく恒雅の関心は別の女へ移り、放置される日々が続いた。
主が主なら、従者も同類である。彩葉もまた夫となった従者の浮気に悩まされ、夜な夜な枕を濡らした。
「もう、こんな日々はたくさん……村に帰りたい……」
二人は、同じ言葉を呟いた。
だが龍神の嫁になることを拒んで駆け落ちした事実が知られれば、庄屋や村人達にどれほど叱責されるか知れない。梨花も彩葉も、自らの行動を後悔し続けたのであった。
完
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