あの頃、彼女は知らなかった(1)
庭にミントがたくさん繁る季節になって、庭師が忙しくしていた。
木陰からは屋敷の白い壁が眩しく、違う色に塗り替えようかしらなんてぼんやり考える。
「奥様、旦那様がそろそろ屋敷にお戻りにならないか、とおっしゃっておられます」
こんな風に催促されるのを無視して、庭にいるのも3度目だ。
まだ庭に出て30分もしていないけれど10分ごとに侍従に伝言をしてくるの。侍従がかわいそうだから、来た使いはみんなおやつを食べていくよう命令するから、今私の前にはイケメンと言われる侍従達が優雅におやつを食べている。
こんなだから私が身持ちが悪いなんて言うやつも出てくるのよね。わかってはいるんだけど、こういうオヤツでも食べてなきゃくだらない伝言を届けさせられる侍従は辞職者続出だと思うのよね、お給料はよくても。
「なんだってウチの旦那はこうなってしまったのかしら?
出会った頃は、こんなに干渉的な人でもなく、むしろ関心が薄いように見えたの。」
「あ〜、まあ、旦那様はその、奥様と結婚する喜びで毎日、その、貧血になっておられたので、そこまでの耐性がなかったのではないかと」
マルテスが紅茶を飲みながら、言い辛そうに答えてくれた。
彼は第一侍従だ。
「マルテス、何故喜びで貧血になるのよ、わからないわ」
「もう御結婚前の事ですから時効かと思いますが、旦那様は奥様と会われた後は鼻血を流されておられましたので」
「ウソでしょう?」
驚き過ぎて唇がピキッっと引き攣ってしまう。
マルテスの言葉を肯定して、隣にいたクライブがウンウンうなづいた。彼は少し軽薄な見た目の侍従だが嘘はつかない。
「いえマルテスの言う事は本当です!余りにも頻繁に流れてましたので、その、肌を見せる服をお控え頂いたのは私供の意向です。服が毎回血で染まりますので大変で」
え?あの頃は言葉少なめでまあ、クールね、なんて思っていた旦那様が毎回鼻血を?変な病気とかじゃないわよね。
「病気の」
「医師には興奮のしすぎだと」
被せるようにさっき来たばかりのコタルトが言う。
「興奮?毎回?」
信じられない話だ。でも最近の旦那様に慣れた私にはじんわりと本当かもしれないと思える。
いえ、たぶん本当なのだろう。2ヶ月程前だったら信じられなかったと断言できるけど。
今私は結婚して3ヶ月。最初の2ヶ月はなんだか変だなぁってモヤモヤしていたの。
この1ヶ月でウチの旦那様の、被ってた猫が逃げてしまったの、完全にね。
「もしかして・・・だから、私が肩や、胸が開いたドレスだと、夜会ですぐ帰ろうと、したのね。あんなに眉間に皺寄せしてたから不快にさせているのだと思っていたわ」
「いえむしろ旦那様は凄く興奮ーーいてっ」
「クライブ、旦那様の心情が悪くなる。もう少し言い方を考えろ」
ニヤニヤしながら言うクライブをマルテスが耳を引っ張って怒る。
コタルトはクライブの言葉を補足するように言った。
「その様な日には衣装替えに時間がかかりました。なかなか血が止まらず」
「血の晩餐会って呼ばれてたよなぁ」
クライブがまだ笑いながら言った。
「旦那様は、私の事が嫌いなのかと結婚当初は思っていたのに」
まだ信じられない気持ちがあるだけに、困惑が勝る。
まさか、彼が私のファンと言うものだと知ったのは、つい最近の事。
彼が懐から取り出してしょっ中眺めていた、大事そうな懐中時計をうっかり落とした。その懐中時計には何故か、私の絵姿が入っていた。
しかもその懐中時計はどうやらファンクラブ作成の会員ナンバー1桁の人しか持っていない特注品らしく。
私にファンクラブなんてものがある事を知ったのも、それをしどろもどろに説明する旦那様からの説明によってだった。
あの時の旦那様はすごく慌てていて、懐中時計を持つ手がブルブル震えて、わかりやすく動揺していたわ。
「会員のアスラン様が毎回、同情して旦那様に肉を差し入れに来て慰めてくれていました」
「アスラン様って、もしかして副騎士団長のアスラン・ディルティネス様じゃないわよね?」