表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

第一話 アルダンの兵士・カイ

 冥婚。

 それは、ヴァレシア国に古くからある、死者と婚姻する慣習だ。

 ――これは、冥婚が導く、ある男の愛と贖罪の物語である。

 アルダン国の若き兵士、カイ=リャンヴェルは、血の滴る愛用の太刀を手に、呆然と立ち尽くしていた。

 目の前の地面には、ヴァレシア国の少女が横たわっている。彼女から流れる血は、止まる様子はない。


 ――俺が、殺したのか。この幼い女の子を。


 カイは兵士だ。何度も戦場に出ては、何人もの兵士たちを葬ってきた。

 だが、少女に不意に浴びせたその一太刀は、これまでのどんな一撃よりも、生々しく彼に「死」を感じさせた。嗅ぎなれたはずの血の匂いが妙に鮮烈で、眩暈が止まらなかった。


  ◇


 15世紀末。

 アルダン国とヴァレシア国は、終わりの見えない争いを続けていた。

 後世に「百年戦争」と呼ばれるその長き戦は、カイの祖父の、そのまた祖父の時代から続いていた。


 カイは、アルダンの田舎村で慎ましく暮らす青年だった。

 両親は、彼が幼い頃に戦争で死んだ。でも、寂しくはなかった。

 幼馴染で婚約者のエマと、腐れ縁の親友・イオルがいたからだ。彼らとともに過ごした日々は、紛れもなくカイの人生で最も尊い思い出と言えるだろう。

 

 百年戦争は、そんな慎ましやかな平穏すら、許してはくれなかった。


「カイ、イオル。赤紙だ」


 いつかは来ると思っていた徴兵の報せは、思ったよりも早くやってきた。

 二人はまだ、15歳だった。

 

「イオル、やったな。これで、俺たちも名誉あるアルダンの兵士になれるんだ」


 カイの目は輝いていた。

 イオルはやれやれと首を振って笑う。

 

「お前は相変わらず真面目だな。……まあ、死なないように、うまくやるさ」


 数週間後、二人の出立の日が来た。


「カイ、これを。……必ず、生きて帰ってきてね」

 

 エマはカイに、青い翡翠で出来た首飾りを、お守りにと彼の首から下げた。

 涙を流すエマに口づけをし、カイは村の皆に力強く敬礼をして村を後にした。

 

 そこからは、訓練、戦争、訓練、戦争、戦争、戦争、戦争。

 初めて自分の太刀が人の肉を切った時、彼は上官に見つからないように密かに嘔吐した。

 その夜はなかなか寝付くことができなかった。一たび眠ってしまえば、あの感覚が夢の中で蘇ってくるに違いなかったからだ。

 いつもと変わらず眠りにつくイオルの無神経さを、これほどうらやましく思ったことはなかった。


 ――人間に太刀を浴びせることに躊躇がなくなったのは、それからどのくらい経った頃だろうか。

 

 いまやカイは、敵兵を討ち取ることに、達成感に似た快感すら覚え始めていた。

 国のため、名誉ある兵士になると輝かせていた目は、今や薄く濁っていた。

 完全に濁りきっていなかったのは、一筋の希望があったからにほかならない。

 

 エマに、生きてまた会う。それだけが、彼の目的だった。

 気づけば、彼女がくれた翡翠の首飾りに口づけをするのが、戦地に赴く彼の習慣になっていた。


  ◇

 

 彼がヴァレシア国の少女と会ったのは、その頃だ。

 国境付近での戦いを終え、拠点に撤収する帰路、カイは路傍に倒れる一人の少年を見つけた。


「………………っ!!」

 

 言葉を失った。

 服装から見てヴァレシアの者らしいその少年は、死んでいた。ただ死んでいるのではない。惨殺されていた。

 幼い少年の命を奪うには明らかに不要な数の深い切り傷。それは体のみならず顔にも及び、少年の白い肌を赤く染め上げていた。

 

 気づけば、カイはその少年を仰向けに寝かせて胸で手を組ませ、花を手向けていた。

 彼の鈍麻した感性を揺り戻したのは、皮肉にも、敵国の少年の惨殺死体だったというわけだ。

 せめて祈りを捧げようと、少年の傍に座りこむ。

 

 ちょうど、その時だった。

 

「シャルを返せ!!! アルダンの悪魔め……!!! 地獄に堕ちろ!!!」


 喉を潰さんばかりの絶叫とともに飛び出してきたのは、ヴァレシアの少女だった。

 彼女の手足も血に汚れており、顔は涙にまみれている。手に握られた小刀の刃先は、真っ直ぐにカイに向けられていた。

 カイは、まさに自身の胸に届かんとするその刃を見るや、ほぼ無意識のうちに、少女に太刀を振り下ろしていた。それは、戦争で培われた反射神経の賜物だと言えよう。

 

 ザシュッという鈍い音とともに、少女は地面に臥した。

 

 倒れ込んだ彼女はまだ息をしていたが、その一太刀が少女の命を奪うのに十分な傷を与えたことを、彼は即座に理解した。悲しきかな、これもまた、戦争で培われた経験故だった。


 ◇

 

 吐き気を催すほどの眩暈を耐えながら、カイはその少女を先ほどの少年の隣に仰向けに寝かせ、同じように胸で手を組ませた。

 もう一輪、今度は少女に花を手向ける。


「ごめん。……来世では、どうか悪魔に会いませんように」


 カイは掠れた声で絞り出すと、十字を切って二人に祈りを捧げた。

 

 ふと、肩を叩かれる。


「カイ、何やってんだ。敵国の子供に祈りなんて捧げてちゃ、心がもたねえぞ」


 イオルがカイの腕を持ち上げ、強引にその場から連れ出そうとする。


「……ああ」


 カイは力なく答えた。

 

「いつも言ってるだろ? 『正直者が馬鹿を見る』って。戦場じゃ、特にそうだ」


 イオルはカイの肩を力強く叩いた。


 ――自分は、「正直者」なのだろうか。イオルはまるで自分を善人のように扱うが、……俺があの少女を殺したんだ。善いことなんて、一つもしていない。


 その夜、彼は眠れなかった。初めて人を斬ったあの日のように、少女が夢に化けて出るのが恐ろしかったからだ。

 その夜だけではない。少しでも目を瞑れば、彼女の開いた瞳孔と噴き出す血しぶきが瞼の裏に浮かんできて、また眩暈が酷くなった。


 それでも、戦争は続く。

 染みついた習慣は勝手に彼の身体を動かし、虚ろな目をしたカイは、もはや無意識に、翡翠の首飾りに口づけをしてから、その日も戦場に向かった。

 朦朧としながら繰り出した戦場に、いつものひりついた空気は感じられなかった。

 ただ、周囲で馬の足音、兵士たちの声、武器の合わさる金属音が響いているだけだ。

 

 そんなカイの頭の靄を突然晴らしたのは、痛烈な痛みだった。

 戦場の最前線で、呆けた兵士が無事でいられる訳などない。

 灼けつくような痛みに目線を落とすと、彼の脇腹はヴァレシア兵の槍にぶすりと貫かれ、どくどくと血が流れだしていた。


 ――これが、「馬鹿を見る」ってことなのか?

 

 薄れゆく意識の中で、ある者の姿が思い浮かぶ。

 それは、イオルでも、エマでもなく、名前も知らぬ、あのヴァレシアの少女だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!


現在、試験的に、複数の作品を【1話のみ】、数日にわたり更新しています。


読者様の反応次第で連載化する作品を決めたいと考えておりますので、

もしこのお話の続きが気になると思ってくださった方がいらっしゃれば、

リアクション、感想、評価、ブクマ等、反応をいただけると大変ありがたいです!


引き続き、お楽しみいただけるよう精進いたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
さっそく読みに伺いました 手に取るように状況が鮮明に映りました 惨殺された少年、飛びかかる少女、咄嗟に反応のからの罪悪感……そして最後のシーン 一気に引き込まれました 本当にうまく言葉にできなくてすい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ