出立
《夜鳥》視点
果穂と緋炎は非常に仲睦まじい。学生時代親しかったと知っているからか、地下での繋がりもあるためか、度々兄からの手紙に彼らのことも書かれていた。国境を越える手紙であり、次期領主から大公近くに勤める弟への手紙でもあるため、皇国でも公国でも検閲されている。学友の果穂と緋炎が結婚した、子どもが沢山生まれている、という内容もあった。年に一回あるかないかの手紙のため、何人いるかは知らなかったが随分多いらしい。果穂は俺の一個下でまだ二十九歳、彩羽を卒業した時が十七歳。ほぼ毎年産んでいる計算になる。結婚したのは何年前だろう。今は聞ける雰囲気ではない。
耳を澄ませるまでもなく、二人の会話の内容が聞こえる。果穂と緋炎の子だと思っていた長男と長女が一葉との子だという驚きの裏切りについて話していたかと思ったら、緋炎は長男の八歳の誕生日を早めに祝ったところだとか、子どもたちはその血縁関係について知っているのかとか、怒っているような心配しているような声色だ。しかし果穂が大好き、自分の一番は緋炎、と言っただけで怒り続けることもできないでいる。これが惚れた弱みだ。果穂は見た目に反してとんだ悪女だ。花梨もどこかずれており、緋炎に分かるよと言っているが、彼女は浮気されたわけではないようなことを言っている。喧嘩していても大好きが勝ってしまうとかそんな問題ではない。はぁ、と緋炎も溜め息を吐き、果穂との痴話喧嘩に戻った。その意味も花梨には分かっていなさそうだ。
「他の異性に見惚れる瞬間くらいあるんでしょ。心白だってよく町の女の子に見惚れてるから。全く、仕方のない人だわ。」
見惚れるだけと体の関係を持ったとでは大きく異なるが、花梨にとっては些細な違いらしい。果穂と緋炎は痴話喧嘩に夢中で花梨の呟きに気付いていない。緋炎も辛うじてここですぐ許してはいけないと必死に責めている様子だが、果穂も気付いているようで動じた様子なく甘えている。花梨も二人の痴話喧嘩に口を挟むと碌な事にならないと気付いたのか、俺に話しかけ始めた。
「すごいよね、十人産んでまだ産めそうだって。私なんて一人だけで死にそうになって、次は自分の命と引き換えだって言われてるのに。」
俺にどう返事しろと言うのか。出産の話はせめて女性か恋人のいる人にしてほしい。この場に女性は多い。九人中五人が女性だ。樹を含むなら六人だ。花梨本人を除き、今話せない状態の果穂を除き、樹を除き、三人。十分な選択肢がある。しかし千年間生きている燐やまだその手の話が早いだろう知花も話す相手として適切かどうか怪しいとなればリーベ一択。そのリーベも十八歳とはいえ戦闘一本でやってきたような顔をしているため、話しやすいとは言えないのかもしれない。俺とは学生時代交流があったとはいえ、返事に困ることには変わりない。
俺たちがそんな会話をしている横で果穂は緋炎を誤魔化すためか何度も口付ける。こうして一葉のことも誑かしたのか。そんな簡単に騙される人だっただろうか。果穂のことはひとまず置いておこう。花梨から困った話題を振られる前に今後の予定に話を逸らす。今日はこのまま一日休息だ。樹も既に目覚めたが、大事を取って今日は休んでもらう。ほんの少しの距離を稼ぐために無理をさせては今後に支障を来す。陣形について全員に共有し、簡易版探知術で魔物や未知の生物の接近に備えることにも同意を得る。簡易版探知術は接近する一定以上の大きさの生き物の有無のみ意識するため、負担が小さい。正確な距離や方角では長距離の移動が困難になり、魔術自体の難易度も上がる。簡易版ならこの場の全員が発動可能だ。最も症状の軽かった燐が既に探知術による警戒を始めてくれている。次は燐と同じくらい転移酔いしなかった知花の予定だ。花梨も既に復活したとして、さらにその次の探知術係に立候補してくれている。彼女もこうした旅には慣れていないはずのため、俺も気にかけよう。
軽い確認と共有のため、そこまで真剣に聞いている必要はないのだが、果穂と緋炎は人目も憚らず口付け合っている。樹も大公殿下とよくしていたというのに信じられないものを見ているように凝視している。
「足の間に座って話したり口付けたりって、こんなふうに見えるんだな。」
ようやく自覚してくれた。花梨も興味を持ったように樹の普段の生活を尋ねる。樹は客観的にどう見えるのか自覚すると恥ずかしくなったのか顔を赤らめて返事をしない。俺から少しだけ話せば、光が喜々として続きを語る。うんざりするほど聞かされた愛らしい御子姫様の魅力だ。男性の姿を取っていてもドレスを着ればどんなに評判の令嬢よりも愛らしく、元々小柄のため令嬢の中に混ざって違和感がない。女性の姿と大差ない姿だと花梨に向けても可愛らしさを力説する。完全に身内の贔屓目だ。さらに服装を含めて様々な場面での樹について自慢する。男性の姿の場合は許されている湯浴みや着替えの手伝い、肌の手入れなどの際に見た素肌などにも触れた。
「大公殿下の前で顔を赤らめ、恥じらい、上目遣いに想いに応える姿は見ていて思わず触れたくなるほど。意外とお胸やお尻も豊満で見ちゃうんだよな。」
そんなことを言っているから女性の姿の時の世話役から外されるのだ。見たいなら冗談めかして樹だけに言い、こんなことを言っていたら大公殿下に叱責されて世話役から外されるかもと誤魔化しておけば良い。そうすれば大公殿下に伝わったとしても樹が上手く誤魔化してくれる。彼は侍女に世話されることを好んでいないのだから。
「一応、私も水浴びとかの手伝いはできるよ。果穂だって侍女なんだから余裕だろうし。」
燐と知花は世話される側、リーベは諸々の所作が雑なため樹を任せるには不安が残る。不埒なことをしかねない光は論外。侍従の緋炎も世話はできるだろう。樹の可愛がっていた白炎でもあり、果穂がいるため手出しもしないはず。俺も含めた四人いれば誰かは常に手が空いているだろう。
「水浴びなら着替えくらいだろ?自分でできるから大丈夫。」
難しいドレスでないなら自分で着られる。疲れ切っている日はそのまま寝ようとするため、着替えの世話もしていた。大陸風ドレスの着方などを教えてくれた侍女や女中とは親しくなれたが、嫉妬もされた。樹が一定の役目を果たしている姿を見せ、本物の御子であると示してからは御子の世話係が名誉な職となっていたらしい。
「元々世話係の予定なんてなかったよね。慣れないお勉強は大変だったんじゃない?」
何をするにも新たに覚えることはある。樹は女性に裸体を見られることのほうが抵抗があるようで、俺か光を希望した。それならやるしかないだろう。せっかくなら新しい服を着た樹を一番に見る特権だと考えよう。そう前向きに捉えるようになったからか樹も新しい服をお披露目してくれるようになったのだが、素肌が透けるほど薄い夜着も見せられた。女性の体なのに大公殿下以外にそんな姿を見せても良いと思っていることも問題だったが、大公殿下から注意がないならと黙ったままだ。
「お胸もお尻も控えめだから、ふんわり透けてる物が似合うかな。実際どんなのだったの?」
どういう物にしようか相談されたこともある。結局花梨の言うような物になったが、下着のような物も選択肢に入っていた。一度見せてもらったが大公殿下に見せるのは恥ずかしすぎると見せないまま着替えてしまった。
「もう!全部言わなくて良いだろ。驚かせたかったけど、自分で選ぶの恥ずかしかったからお前に聞いたんだから。」
乙女心はしっかり持っている。それが何故か俺相手には発揮されず、全裸でも平気で見せられるだけ。大人数で仕切りもなく一緒に眠ることになっても問題ないだろう。大公妃として育てられたわけではないのだ。食事もこの簡素な汁物で良い。十分具沢山で消化に良い食事だが、大公邸にいた時のような豪華な夕食にはならない。これからは簡素で似たような食事が続くだろう。果穂製の拡大鞄には新鮮な肉や野菜をそのままの状態で保存できるとはいえ、無駄遣いはできない。大陸奥地まで進めば世界樹の島に戻ることも難しくなる。転移術の距離が伸び、もっと酷い転移酔いどころか全身の魔力を失い、体が消えてしまう危険性もある。移動した距離が無駄にもなる。日数感覚を保つよう、週に一回の頻度で特別な料理を作ることも考えた。食料を調達できるならそれもしやすいだろう。
十分な食事を終え、睡眠を取る。一人が見張り番で、転移酔いの症状が軽かった人から順に三人で分担だ。一晩三人のため、三日で一巡する。今夜は燐、知花、光の担当だ。先程まで喧嘩していた果穂と緋炎は一緒に眠るつもりらしい。寝ている時間に喧嘩しないでいてくれるなら好きにしてもらおう。
「俺も今日は一人?」
公国を出てからは毎日一人で眠っていたはずの樹も何故か尋ねる。公国にいた頃は大公殿下と共に眠っていたが、もう寂しくなったのだろうか。花梨が気を遣って添い寝できると言ってくれているのに不満そうに俺を見ている。今女性の姿と分かっているのだろうか。こうなることを予測してか大公殿下は子どもができるようなことさえしなければ良いと様々な許可をくださっているため、共に眠ることはできる。仕方ない、旅の間は一緒に寝てやるか。
「じゃあ御子姫様のことは頼んだよ。移動中は私が傍にいるんで。」
樹を中央に守り、魔術専門の花梨がすぐ傍に控える。俺は主に剣で戦うため傍にはいない。花梨の御子を最優先にする思考と行動は十分樹にも伝わっているはずだ。彼女は万城目家においてそのように育てられ、責務を全うしている。突拍子もないことをすることはあっても、御子の不利益になることはしない。
知花は見張りの順番が燐の次だからと彼女の横に寝転んだ。幼い外見はそのままだが、彼女も成長している。言動が頼りになる雰囲気だ。
「家でも一人で寝る日と私とか娘と寝る日があったんだよ。全然大丈夫、頼りにしてあげてね。」
花梨の評価に彼女も胸を張り、そんな彼女を微笑ましく見守る。妹か娘のような感覚なのかもしれない。花梨も万城目家の養子。血縁関係は兄としかないと聞いている。血の繋がらない家族に違和感がないのだろう。
これが日常と言うように眠りに就く知花とは裏腹に、花梨は少々緊張した様子で横になった。夫以外の男性が傍にいる状態で目を瞑ることなどなかっただろう。寝顔を見てしまわないよう背を向け、俺も眠りに就いた。
人の声で意識が浮上する。激しい口論だが緊迫感はない。それもそのはず、声の主は果穂と緋炎。口論の内容も眠っている果穂の体を緋炎が撫でたとか、果穂が眠っているふりをしながら緋炎を煽っただとか、要は痴話喧嘩だ。声に樹も目を覚まし、何かと聞いてくる。気にするようなことではない。二人なりの会話の仕方なのだろう。犬も食わない会話に関わり合いにならないよう朝の支度をしていると、樹が余計なことを言い始めた。
「仲良しだな。良かった、昨日のことが尾を引いてないみたいで。」
「「仲良くない!!」」
これのどこか仲良しに見えるのかと揃って反論しているが、その間も二人は互いに触れたままだ。二人の口論の横で黙々と皆の朝食の準備を進めてくれていた燐と光のおかげで温かい汁物で気を逸らせる。樹も美味しそうに飲んでおり、今朝の体調も良さそうだ。
痴話喧嘩をしていた果穂と緋炎も速やかに朝食を済ませ、全員で出立する。陣形は前日に相談した通り、樹を第一に守る形で、花梨がすぐ傍に控え、魔術による援護や支援を担当する。他は彼らを取り囲むように配置し、どの方向から魔物などが接近しても対処できるよう備える。簡易版探知術のおかげで常に神経を張り詰める必要はない。探知術の担当の時間だけ何者かの接近に気付けるよう魔術に少し意識を割くだけだ。
少々歩きにくい道が続くが、舗装されているはずもない場所にしては十分歩ける。全員どんな地形にも対応できるような履物と衣類のため、良い速度で進めている。防寒着も鞄の中に入れており、対策は十分かつ荷物にはなっていない。樹も何度か躓いたが転ぶことなく、大きく疲れた様子もなく順調だ。瘴気に満ちた大地という話からは食料の現地調達も困難と覚悟していたが、果穂や花梨が行った解析術によると食用できる物もあり、全く生活できないなんてことはなさそうだ。雲のない昼間でも少々暗いが、照明が必要になるほどではない。何度か手足を引っ掛ける植物型魔物には遭遇したが、いずれも問題なく処理した。西の大陸には似たような植物型魔物の情報があり、それに備えた対処も考えたことがある。今後もその時の知識が役に立ちそうだ。




