いよいよ東の大陸
《紅炎》視点
世界樹の島に戻り、全員で目的と作戦を共有する。燐も戦闘能力は十分と軽く確認させてもらい、陣形の相談も行った。樹を中心に、俺、飛鳥、光、リーベの四人で基本囲むようにし、果穂、知花が臨機応変に魔術や武術で応戦する。花梨は魔術による討伐、燐は全体への指示と援護だ。シュテルンも燐に匹敵する実力があるそうで、好きにさせて良いとのこと。樹さんはシュテルンを抱えて移動したがったが、無駄に体力を消耗することになるためその希望は却下した。瘴気塗れの大陸だ。歩いているだけで蝕まれる危険がある。その影響を抑える方法も花梨が実施してくださるそうだが、皆無にはできない。どれだけ耐えられるかは俺たちがどれだけ不安を抱かせずに守れるかに掛かっている。緊張感を高めすぎても不安を与えるが、気を緩めてすぎてもその身を危険に晒す。程よい緊張と安心感を維持するよう努めよう。
装備や食料の点検も忘れない。そこで果穂から一部同行者に贈り物だ。時属性魔術によって容量を大幅に増加させた、果穂のお手製鞄だ。鞄の本体は別の人の作った頑丈な革製だが、果穂の魔術で容量が見た目の何倍か分からないほどの物が入るようにされている。食料の鮮度を保つことも可能になるようされており、必要な魔力は先に充填しているため、数年間は再充填も必要ない。ただし出し入れの際には毎回少量の魔力が必要になる。魔力不足になってから補充用の薬を取り出すことは難しい。それらの薬や食料も一年分ほど入っている。十分な量だと油断はできない。現地で調達できそうならそうしよう。シュテルン用の物もあるのは俺たちが犬や猫の姿で使うことも想定していたからだろう。この鞄は鞄本体の重さと中に湯呑み数杯分の水を入れた程度の重さしかないため、樹にも持ってもらう。小まめな休息を心掛けよう。旅は長くなるのだ。
それから装備の点検だ。それぞれ自分の武器は常から手入れを怠らない。自分の命を預ける物だ。魔術を中心にしている人も接近された際に身を守り、時間を稼ぐために使用する物は非常に重要。花梨もしっかり紅い宝石の嵌められた杖の状態を確認する。
「それ、魔珠かしら。」
魔珠。何故か彩羽学校にも安置されていた生命を凝縮させて作られるという宝石。魔術の効果を強め、魔力の不足を補うというそれに燐は激しく反応した。哀しそうに目を伏せ、胸に手を置いたのはその心臓にも魔珠が使われているからだろう。花梨の杖に嵌まる紅い宝石と同じ物が燐の心臓。彼女の心臓は動いていないのだろうか。俺が触れて確かめることはできないが、花梨の魔珠になら触れさせてもらえる。膨大な魔力は感じられるが、硬く冷たい宝石に動きはない。
「数千の命を背負うこと。領主や上位者なら誰でもやってることだね。こんな宝石に臆してなんかいられないよ。浄化の旅だって言うならそれ以上の人間に影響があるんだから。」
軽い調子で言う果穂はやはり大物だ。彼女もかつては上位者を目指し、今はその右腕として活動している。他人の命を背負うと常に意識してきたのだろう。だから初めての妊娠の時にも動揺せず、無事に出産できるのかと狼狽えた俺を叱り飛ばした。俺は大丈夫だろうと毎回思いつつ、毎回不安に眠れなくなるというのに、彼女は平然とした顔をしているのだ。
「そうね。大陸を救うために、私もかつて沢山使った。今もこの心臓に埋まっている。今は世界を救う状況よ。きっと彼らも認めてくれる。」
花梨が使うことに躊躇しては困る。そう一人欠ければ残された人が危険に晒される確率が倍になるくらいに思って良いと伝えた。魔珠になった命は元の形に戻らない。今の俺たちが生きるために活用させてもらおう。俺も果穂も子どもたちを残して死ぬわけには行かないのだから。花梨にも夫と子がいる。この感覚は共有できるだろう。
「分かってるよ。みんなで無事に帰って来ようね。」
帰還用の目印となる術式も描き、東の大陸の最西端へと転移する。ここから西の大陸の最東端よりも遠い場所だ。転移術を使う彼らの負担は非常に大きく、転移酔いもこれまでと比べ物にならないほど酷いものとなるだろう。着いてすぐに魔物に襲われることも十分あり得る。転移酔いの激しい花梨は転移術を使わず、適性属性の果穂、余裕のある燐と知花のみが転移術を使用することに決定し、それぞれ身構えた。大丈夫と言う燐と知花は一人で座り、果穂には俺が、樹には飛鳥と光が、花梨にはリーベが付く形で転移術は発動された。
座っているのに熱が出た時に歩いたように体が安定せず、風に振り回されて飛ばされてしまいそうな不安すら抱く。この場に留まるために、不安を払拭するために、抱えた果穂の体を俺が頼りにしてしまう。体の不安定感が消えるまで耐え、腕の中を見れば顔色悪い果穂が凭れ掛かってきていた。呼吸は苦しそうで、脈拍も不安定、体温も下がり、魔力も不足している。俺も転移酔いを起こしている中での魔力の受け渡しは危険だが、少しだけでも渡せば果穂の呼吸と脈拍は安定する。そういつも以上に慎重に、少量ずつを意識し、唇に触れた。無理のない魔力の侵入、ほんのりと戻る体温。もっと魔力を送り込めばもっと楽になることも確かだが、失敗する前に止めておこう。
先にすべきだった周囲の安全確認を今行う。すでに燐により安全が確保されており、簡易の寝床も作成されていた。事前の情報の通り、空は暗く、植物も黒や灰色、紫のものが半分以上だ。灰色というより灰のように触れれば壊れてしまいそうな物まである。しかし全てがそういった物というわけでもなく、新鮮な緑も風景の半分ほどを占めている。まだこの辺りは全て飲み込まれているわけではないのだろう。空も青いが、大陸中央部方面を見れば、厚い雲に覆われている。ただ天気が悪いだけだろうか。合羽もあるが、雨が降れば余計な体力を消耗する。慎重に時間を掛けて移動し、距離は控えめにすべきだろう。今日移動できるかどうかも分からない。まだ果穂も樹さんも花梨も眠ったままだ。シュテルンもそっと樹に寄り添っている。
「今日はここで休もう。三人とも目覚めてすぐに移動は難しい。」
倒れている三人を見守っていたそれぞれも燐の決定に従い、手の空いている飛鳥と知花が燐と共に一日休める状態を整えてくれる。果穂の寝顔を見ている時はいつも不思議な気分だ。起きている時は強く元気な女性なのに、眠っている時は淑やかな女性のように見える。儚さはないが、常に動いているような落ち着きのなさもない。これがただの休暇ならもっとゆっくり眺めていられるのだが、目的を達成するまではそんな時間もないだろう。休憩時間はあるが、何人も意識のない状態の時間ではない。
雨風を凌げる場所が整えば、眠っている三人をまず寝かせる。食事は彼らが起きてから準備するとして、燐は雑談を始めた。もう地下のことを秘密にする必要がないからか、《果実婆》の若い頃の話だ。
「とっても綺麗で愛嬌のある女性だったんだ。地上にもよく遊びに行って、恋人も多かった。」
俺も聞いたことのある話だ。常に複数人と器用に付き合い、《果実姫》の不足する情報網を補った。それが次代に繋がることはなかったが、求められる果実や野菜の方向性などを把握する役には立ち、新たな果実の開発に向かって進み始めたそうだ。
「今の《黒灰》も恋してたんだけど、自分の務めもあるし、大勢の中の一人になりたくないって付き合うことはなかったんだ。」
よほど魅力的な女性だったらしい。何人もと並行して付き合っていると知りながら惹かれるほどだ。そこから長い年月が過ぎ、二人はそれぞれ《果実姫》と《鬼火》になり、引退して《果実婆》と《黒灰》になった。年老いてから、二人は恋仲になったという恋物語だ。
千年を生きているような燐でも恋の話を好むのか。起きている中でその話を楽しんでいるのはリーベくらい。知花はよく分かっていないようであり、飛鳥も光もあまり興味はなさそうだ。いや、光は地下に生まれ育っているため、奔放だった《果実婆》の話は聞いたことがあったのかもしれない。
「《林檎》は若い頃の《果実婆》に似てるね。」
男遊びが激しかったという《果実婆》に似ている。そのくらい魅力的という意味なら良いが、そうでないなら問題だ。光が《果実婆》の奔放さを聞いていたなら果穂も知っているだろう。複数人と並行してお付き合いするような話を幼い頃から聞いていた場合、そういったことに抵抗がなくなってしまわないだろうか。そういえば、俺と同じくらい親しい男がいた。一時、彼とお付き合いしているように見せかけていたことがある。あれは一葉殿下も令嬢方の求婚に嫌気が差していた時期のことだ。早く告白しなければ自分が奪うと俺の背中を教えてくれた時期でもある。あれが決して見せかけだけではなかったことを知っている。まだ俺と付き合う前の話のため問題はないが、今もその関係が続いているなら問題だ。幸い、ここには子どもがいない。十分追求する時間はある。
気合を入れていると、果穂が身じろぎし、目を覚ました。顔色は戻っており、体温も健康的な温度、寝起きの目も徐々に焦点が合ってくる。明日の出発には問題なさそうだ。一人で座ることもできるなら、十分な会話もできる。そう僅かに抱いた疑念について追求を始めた。
「忘れたの?あの子たちを妊娠した時はまだ一葉と付き合ってたし、逢引の機会を作ってくれたのは侍従として動きやすい緋炎でしょ。皇子が侍女を妻に迎えるなんてってのが予想されるし、って言って緋炎との子として育てようって。流石に何人も緋炎に似てない子が生まれるとまずいから、そういうお付き合いは控えたけど。」
そうだった。俺の子として育てている間に忘れていた。《金声》と二人で密かに話す時間がほしいと言われ、協力したことは覚えている。その中には夜から朝までの時間になる日もあった。一番上は確実に一葉との子だが、あの子たち、ということは複数。どの子までが一葉との子だ。全員に関して果穂に似ているとか俺に似ているといった会話をした覚えがある。果穂と過ごしている時間のほうが長い子だろうか。
「上二人。目とか一葉に似てるって話もした覚えあるけど。覚えてて言ってたんじゃないの?」
母乳が必要な時期は果穂のほうで育てていたが、離乳すれば俺のほうで育てる形になっていた。一葉や花一郎様の気遣いにより俺たちは皇都勤務になり、会いやすくはなっていたが毎日とはいかない。そのため特に長男長女は俺といる時間のほうが長い。長男なんて出てくる直前に少し早い八歳の誕生日祝いをしたところだ。本人たちも俺のことを父と呼び、血縁上の父親についての話を知っている様子など見せていなかった。
「伝えるにはまだ早いよ。せめて十歳になってから考えようって生まれてすぐくらいの時に話したでしょ。それに地上では知られていないけど、樹生の人同士の間に生まれた子は双子以上になりやすいんだって。」
双子の親から双子の子が生まれやすいように、同時期に複数実りやすい地脈花の子は双子以上のようなもの。同じ地脈花に複数実っていることは少ないが、世界中全ての地脈花は世界樹に繋がっており、その中のただ一つにしか実っていない例のほうが少ないのだろう。光も俺と同い年の樹生だが、別の地脈花に実っている。俺と果穂の子も長男長女の子を除いて全て双子だ。一方で一人だけで生まれる子も多い。双子でない長男長女だけ俺の子ではないと推測することは困難だ。地上で疑う人がいても、地下で会っていることを知らないから疑われているだけと聞き流していた。子どもの顔を見て疑われていたのだろうか。密かに一葉と会っている期間が存在したことも疑いに影響したかもしれない。
「自分の子ってこんなに可愛いんだ〜って思ってね、妊娠も出産も案外行けるじゃんって思ってね、緋炎との子も欲しいな、って思ったの。もちろん花様とかの様子見てたら大変な人は死にそうになるってのもわかってたけど。」
あれだけお付き合いしておきながら、皇子妃として行動するつもりはなかったのか、俺への気持ちもその時点で十分持ってくれていたのか。子どもへの負担を考えた話もしていたような記憶はある。皇子の子でも侍女の子ならとやかく言う人はいる。それくらいなら侍女と侍従の子にしてしまえば強い期待も妬みも受けることなく、ただの子どもとして過ごさせてやれる。だから俺の子という提案も受け入れられた。一葉との子でも、果穂の子なら可愛いと思えたから。一葉が果穂と二人で会う時間を求めなくなったのはそれがあったからだ。どうして忘れていられたのだろう。
「でも流石にこれ以上はまずいと思ってやめたの。一番は緋炎になったから緋炎を選んだ。帰ったらもう何人くらい育てられそうかな?」
十人産んでまだ産むつもりらしい。有り難いことに二人とも働いており、果穂は乳母もしている時期があったため、侍従や侍女の平均値より遥かに高い給金は頂いている。それでも何人も並行して育てるには体力面が壁になってくるだろう。これまで無事だったから次も無事とも限らない。果穂に何かあった場合、俺一人で十人全員とそれぞれの時間を確保することになる。それは物理的に不可能だろう。六人担当する形になっていたこの間までだって全力を出してようやくだった。お金の問題は一葉も継続して支援してくれるとして、時間はどうにもならない。
「私にとっての一番はこれからも緋炎だよ。ずっと一緒にいたいって思ってるし、二人の愛の結晶がいっぱいで嬉しいなって思ってる。上の子たちだって二人で育ててるんだから、緋炎との子だよ。」
果穂が何も言わなかったのは俺が一葉との関係を知っていて容認していると誤解していたから。一度話し合って結論を出したものを、それも重大事のはずのものを忘れているとは思わなかったのだろう。今後の心配は要らない。彼女は既に俺に伝えてくれていた。まず子育てと仕事に追われ、他と密会する余裕もないはずだ。一葉との密会が可能だったのも専属侍従の俺の協力があったから。他との密会なら隠し通すことは難しい。
口付けに誤魔化されるわけではないが、ここは一度保留にしてあげても良い。帰ったら十分に埋め合わせをしてもらう。自分が聞いた上で忘れていたことは棚に上げよう。子育てに忙しくて考える余裕がなかっただけだ。
「一葉も自分の子だから特別可愛く見えたんだと思うけど、緋炎は思った以上に鈍かったね。」
「よく言えたなあ!そんなこと!!」
怒りのままに頬を抓れば動じた様子なく笑う。また許された気分でいるらしい。保留にしただけときつく伝えれば、何故か隣からも笑い声が聞こえた。
「相変わらず仲良しで嬉しいよ、お兄さんは。」
「兄ヅラしないで、光。叶いもしないのに大公妃になった御子姫に見惚れてるから彼女できないんでしょ。」
全く関係ない部分で口撃を受けている。もっと言ってやっても良い。今の修羅場を見て仲良しと判定できるくらい、光の倫理観も狂っているのだろう。地下の民はどこか狂っている。そう飛鳥とリーベにも同意を求めるが、視線を逸らされる。二人にも仲良しに見えているのだろうか。燐も若く見えるが俺たちより遥かに年上。果穂の不誠実な行動を叱責しやすい立場だ。
「自分で言いなさい。本気で怒らないと伝わらないわよ。」
「私と心白みたいに仲良く喧嘩してる感じだね。怒ってても大好きのほうが勝っちゃって、途中から怒ってる内容がどうでも良くなっちゃうの。」
燐やいつの間にか起きていた花梨にまで本気で怒っていないように見えているらしい。怒る内容に違いがあることは考慮に入れてもらえないのだろうか。




