表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/82

停戦の人質

《実樹》視点

 大公様と結婚してからもう何年も経ち、隣に立つことも当たり前となった。母として子どもたちと接することにも何の抵抗もない。大公邸でこそ男の姿で過ごすことが多いが、外へ出かける際や外部の人間と会う際は女の姿を取ることも増えた。すっかり大公妃や御子姫として公国の一員として認められた。エリアスも公子としての職務に励み、リーベもその護衛侍女としての仕事に精を出している。残念ながらリーベは政治・経済の勉強を不得手としていたが、魔術や剣術の才能には恵まれ、本人の意向もあって公女として公子の補佐を行うのではなく現在の任に就いている。一般騎士や侍女の中に入れてはむしろ他が働きにくいだろうという大公様とエリアスの配慮だ。

 平和そのものに思える大公邸の中とは裏腹に、国境地帯は緊張感に包まれ続けている。そんな状況にも少しずつ進展が見られ、ようやくローデンヴァルト王国との完全なる終戦の話題が上がっている。休戦は幾度となく結ばれてきたが、それはいつかどちらかが破るものであり、その時期を互いに窺っているようなものだった。独立当時から続く戦乱のせいで互いに憎しみ合う部分もあるが、それでも平和を望んでいないわけでもない。そして今回、ようやく一歩進んだのだ。間を取り持ってくださる方も皇国の皇子、一ノ瀬一葉様だ。部下の紅井緋炎も親しく、和平の話は順調に進んでいくだろう。何より最も大事な話し合いの相手、ローデンヴァルト王国の王妃はフローラであり、皇国の彩羽学校に通われていた方。十分冷静な会話ができるだろう。それでも障害もあり、フローラが公国との戦争で母君を亡くされている点は不安要素の一つだ。国民感情は戦いに辟易としているようだが、身内を亡くし、復讐の鬼と化している者もいる。上層部にもどこまでこの終戦の話を、結んだとして終戦条約を信じるのか、と不安を口にする者がいる。互いに人質を預けるという案も出たが、誰を人質とするかにおいて、また論争が始まった。

 人質。自由を制限され、監視される立場。導師と御子を交換しようという提案もあったそうだが、即座に否定されたそうだ。大公様やエリアスからだけでなく、他の貴族たちからも、だ。これは俺が大公妃として、御子として努めてきた成果だ。この国の一員として受け入れられた。難しい理論の話はできなくとも、大公様の助けとなることはできる。導師とも地下で少し会話させていただいたが、行くわけないと一蹴された。彼女も国を離れるつもりはないのだ。王国の側から提案される心配もない。側室という手段も大公様が拒まれている。それなのに和平の話は順調だと聞かされ、現王妃が国境の街まで来られる日程まで立てられた。俺に全てを聞かせる必要はない。しかし何も分からないまま現場に同行させられることは避けたい。会話するに当たってこちらの無知を晒すような真似を避けるため、必死に勉強させていただいた。お忙しいため懇切丁寧な説明とはいかずとも、話についていける程度には理解できるまで教えてくださった。相槌程度なら打てるだろう。

 そうして迎えた王妃が来られる当日。来訪が知られるとその身に危険が迫るため、お忍びでの来訪だ。国境の街を散歩しておられる所に、同じくお忍びの俺たちも合流する。俺たちは面識があるため、見れば分かる。飛鳥は彩羽の同級生でもあるため、相手からも見覚えがあるだろう。しかし只者ではないとの空気が出てしまっているのか、既に人々の注目の的となっている。一人は簡素なブラウスにロングスカート、ショールや手袋をされているが、それも赤と黒が基調になっており、非常に目立つ。容姿や装飾品が華美なわけではなく、至って品の良い物だ。随行者は騎士のような風格で、同じ赤と黒を基調としたシャツとズボンを着用されている。その色合いのせいか、非常に迫力ある美女の二人組だ。あれが王妃フローラとその護衛だろう。

「お静かに。お迎えに上がりましょう。」

 俺が彼女たちを迎えるために近づけば、その腕に赤子を抱えていることに気付く。既に第一子、第二子を出産した話は聞いている。しかし年齢がもう少し上のはずだ。ここで聞くわけにもいかず、大公様とリーベの待つ宿まで案内する。道中では互いの名を呼ぶようなヘマはしない。確認もしない。そのために今日の担当が飛鳥なのだ。こうすれば間違えることなく俺たちは彼女を見つけ、彼女も相手を間違えることなくついて行ける。

 ただの友人のように周囲の店の話をしながら隣を歩く。フローラも大柄な人ではないのだが、女性の姿の俺と比べると背が高い。男性の姿の俺なら並べるくらいだろう。小さく見えすぎないよう少し髪飾りを盛っているのだが、それがただの悪足掻きにしか見えなさそうだ。

 おそらく怪しまれることなく大公様の待つ宿に到着する。服装は変わっていないのにまた一段と迫力が増し、堂々たる様子で挨拶をされた。

「御子様自らの出迎え、感謝いたします。」

 ローデンヴァルト国王の名代として来られたフローラに対するこちらの大公様も威風は十分だ。一方の俺は完全に迫力負けしてしまっている。まるで戦場に迷い込んだ子猫の気分だ。赤子は何も分かっていないように眠っている。俺も同じようにできたら楽だが、赤子ではなく公妃なのだ。そんな情けないことなどしない。

 短い社交辞令を終え、本題に入る。終戦協定の詳細は大臣や部下たちが行う。俺たちは終戦するという意思を書面に残し、会話し、人質の交換を行うのだ。こちらからは十分相談した上、リーベが向かう。たまには会いに行って良いだろうか。いや、まだ十五歳のリーベが覚悟を決めたのだ。俺が一度決まったことに口を挟むべきではない。心配だからと言ってシュテルンは付けさせたのだから、これ以上は任せてと言ったリーベを信じよう。

 あちらからは、この赤子だろう。何も分かっていなさそうな、幸せそうな寝顔だ。

「第一王女ロスヴィータ。もう外に出せるほどなのだな。」

 まだ正式に発表されていない第三子だ。俺から大公様に閨にてお伝えした。飛鳥も驚いていることだろう。それとも公国の情報網で得たと思っているだろうか。これは俺が地下に行った際、《六華》から得た情報だ。そこには飛鳥《夜鳥》も椋様《炎鳥》もいた。《六華》は《六華》で誰かから聞いたようなことを言っていたため、伝言が重ねられた結果の情報だ。その点も踏まえて裏取りを大公様も行われたが、調査の速度は大きく変わっただろう。

 フローラの表情は読めない。知っていて当然、予め伝えていたのだと言わんばかりの反応を示している。書簡は俺も確認したが、王女の名前は載っていなかった。人質としてこちらに来るが、俺と大公様の子として育てても良い。育った時、彼女は悩むだろうか。それでも彼女の存在が和平を強固な物とすることに繋がれば良い。こちらから出すリーベも腹こそ痛めていないが俺の子なのだ。互いに愛する子を差し出すことで、本気度合いを表現しようとしている。

 ロスヴィータを受け取る。まだ母乳を必要とする年頃だ。乳母も早急に手配しなければならない。お伽噺では愛情の有り余る御子が子を産んでいないのに母乳を与えていたが、俺にもできるだろうか。

「気に入ったか。」

 まだ首も座っていない幼子だ。王都から国境とは言え公国までは遠い。長旅に体が弱ってはいないだろうか。肌や髪の艶は十分。寝息も規則正しく、一見体調は良さそうだ。観察していると目を覚ました。母親以外が抱いていて驚いて泣いてしまうのではという懸念は杞憂で、にこ〜と笑ってくれる。まだ人を判別できないのかもしれない。それなら俺を母親と認識してもらうこともできそうだ。大公邸でも女性の姿で過ごそうか。エリアスやリーベはある程度の年齢になっていたため、変化しても混乱しなかったが、この子は違う。男性の姿と女性の姿を入れ替えては混乱してしまうだろう。

 俺がロスヴィータと戯れる間にも大公様とフローラは何やら話し合う。リーベも質問には答えている。臆する様子なく、堂々と、敵対的な行動も見せず。フローラもリーベを受け入れてくれているように見える。文のやり取りも皇国を介してになるため、時間が掛かるだろう。せめて侍女や侍従をと言ったのに、リーベはシュテルンだけを連れて行くと言い張り、この場にも猫の姿のシュテルンだけが連れられている。飛鳥や光さんにも相談したが、地下での秘密の名前と地位がシュテルンにもリーベにも与えられることはなかった。それができればもっと小まめに様子を知ることができるのに、という心配も過剰なものなのだろうか。

「お母様、私はこの短期間で大人になりました。むしろお母様に拾っていただいた時が実年齢を考えると幼すぎたのです。兄のように、国のために務めを果たします。ご心配なさらず、その子を大公殿下との間に生まれた子だと思って、安心してお育てください。」

 寂しそうな顔は一切見せない。別れの時間は近づく。手紙のやり取りはできるが、今生の別れとなるかもしれない。赤子が代わりにはならないが、少し抱いていただけで愛くるしく感じられ、もう返したくなくなっている。温かい体も俺の手に張り付いたように動かない。小さな手が服を握る姿も愛らしい。

 リーベを心配し、ロスヴィータを見つめ、会合の時間は終わった。一人の娘が王国に旅立ち、さらに娘が一人増えた。この子は事を理解する年齢になっても俺を母と呼ぶのだろうか。


 新しい娘との生活が始まった。少し考えれば当然のことだが乳母はあちらから同行してきており、母乳の心配は要らなかった。彼女の夫と娘二人も同行しており、ロスヴィータと仲良くしてくださっている。下の子はリリー、ロスヴィータと同じく乳児で、大変愛らしい。抱っこも何度もさせてもらった。お乳を飲む姿も愛らしく、最も近い場所から眺められないことが残念に思える。上の子、リーゼロッテは既に大人と同じ物を食べており、俺のことも御子姫様と慕ってくれている。利発な子で、俺に似合う花を庭で選んでくれることもある。母親の乳母は失礼なことをしないか冷や冷やしているようだが、幼い子どものすることだ。むしろ怪我をしないか俺が気を付けてあげよう。

 今日のお散歩も乳母にリリーとリーゼロッテも連れてくるよう頼み、四人でお茶会だ。リリーは乳母が、ロスヴィータは俺が抱っこする。リーゼロッテはもう一人で歩けるため、手を繋いでの移動だ。絵本などの影響か、既に恋にも興味を持ち始めているようで、最も身近で優しく接してくれる飛鳥に興味を持っている。護衛というより俺の相手や制止が仕事のため、リーゼロッテが寄ってくれば相手もしてやれる点が彼女のお気に入りだ。それでも俺が視線を向ければ必ずこちらに気付くため、俺のことを視界には入れているのだろう。

「この前、御子姫様も言ってたよ!御子姫様と赤ちゃんまとめて軽々持ち上げられるくらい力持ちで格好良いって!」

 格好良いまでは言っていない。飛鳥も光さんも同じことができるという話をした。彼は飛鳥ともまた違う距離感のため、彼女のお気には召さなかったのだろう。今日も担当が飛鳥のため、抱っこをせがんでいる。形ばかりだが俺に許可を求めてから飛鳥が抱き上げてやれば、非常に喜んだ。そんなことをしているうちに授乳の時間になってしまったのか、リリーが泣き出した。

 ロスヴィータもお腹が空いたのか俺の胸を弄り始める。求められるままにはだけてやれば、出もしない乳を吸う。ちうちうと必死に、母乳の出がよくなるための本能か小さな手を動かすが、求めた結果が全く得られないからか次第に歯茎に力が入り始めた。ただ食まれ、吸われている感覚に傷みが混ざり始める。

「御子姫様、お子様が乳を求めておいでなら仰ってください。」

 言えば乳母は我が子よりロスヴィータを優先して乳を与えるだろう。もう飲み始めているのに取り上げてはリリーが可哀想だ。少し待てば与えられるならこうして俺も母親の気分を味わいたい。特等席から可愛い授乳風景を見られたのだから、俺にとっても良い時間だった。妹たちが乳を貰っているから懐かしくなったのか、単に真似してみただけなのか、リーゼロッテも飛鳥の指を咥えた。軽く食んでいるようにも見えるが、痛くはないのだろうか。飛鳥は至って涼しい顔で、諦めたように好きにさせている。

「甘噛ですから。高い高いでもするか。」

 ぱぁっと表情が明るくなり、抱っこを求めて両手を上げた。リーゼロッテの飛び跳ねるふりに合わせて飛鳥が高く持ち上げ、跳躍力の優れた人の気分を味わわせてあげている。眺めている間にロスヴィータの授乳も終わり、げっぷをさせてあげる。リリーはお腹が膨れてお休み中だ。ロスヴィータもすぐ眠りに就いた。この空間は平和に包まれているが、和平が結ばれたからといって大公様の仕事が楽になるわけではない。少しだけ様子見に行こうか。そう飛鳥に伝え、乳母たちには子ども部屋で待っていてもらう。

 ロスヴィータを抱え、大公様の執務室を訪ねる。この子の可愛い寝顔を見ればきっと大公様の疲れも癒える。リーゼロッテにも礼儀作法の勉強をさせる相談がしたい。ある程度の教育は乳母自ら行うだろうが、乳幼児二人の面倒を担いながらでは難しい。教育係を先にこの目で確かめれば、ロスヴィータのことを預ける際も安心だ。練習台になってもらう名目なら乳母にも受け入れてもらいやすいのではないだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ