聖域を目指して
《夜鳥》視点
冬を迎える前に、聖域に行きたい。そんな強い樹さんの希望で、早急に予定は組まれた。大公殿下は同行できない。大変残念がってはおられたが、仕方のないことだ。同行者は俺と光さん。護衛も多数付けたい所だが、樹さんは自分も冒険者気分を味わいたい、魔術の練習の成果を試したいと遠慮がちに訴えた。護衛の立場からは反対の意見が当然出たが、大公殿下は樹さんの希望を全て叶える気か、俺と光さんにだけ同行を指示し、冒険者としての登録と一部依頼を受けることを許可した。北方砦までは護衛に囲まれての移動になる。そこから聖域と呼ばれる場所までは二人での護衛だ。具体的な場所も事前に調べられており、俺たちは地図を頼りに案内するだけ。できれば事前に俺と光さんで向かいたかったが、二人同時に何日にも渡って樹さんの傍を離れることはできず、光さんだけにお願いする形となった。
最初の目的地北方砦までは順調だ。俺たちが傍にいるため身分を隠してもすぐ見つかるだろうとの理由で、樹さんも特に隠れるようなことはしていない。そのため、ベアタとして共に過ごしたブリギッタ様たちには挨拶に迎えない。残念そうではあるが、それはまた今度と納得してもらった。今夜はこの町に宿泊する。その前に冒険者登録だ。依頼の斡旋と報告を担っている受付が登録も担っている。冒険者としての登録は非常に重要だ。これによって国を越える移動が少し簡単になる。俺も国外で見つかった場合に備えて、樹さんを捜索する際に登録した。今回、樹さんにも登録してもらう。これは身分証としても使われる物だ。どこまで信用されるかはそこに記録された情報にもよるが、樹さんの場合は作っても問題は起きない。
説明されるままに名前を記入し、年齢、適性属性と進んでいく。聖属性は御子と特定できるが、属性の部分だけ伏せて使用することもできるため、そのまま記載した。事前に登録を行うことも連絡し、この場で反応するような人物は担当から外してもらったため、心配は要らないだろう。武器は最低限身を守り、毛皮や角、鱗を剥ぐことのできる短剣と登録する。戦闘で使う機会はないだろう。食料の買い出しなどは一緒に行う。それも冒険者体験の醍醐味だろう。宿も一般的な冒険者も利用することのある場所を利用し、同部屋は俺と光さんのみ。それもあって今回は男性の姿で来てもらい、女装もしていない。おかしな輩に狙われる危険は極力減らすという意見では一致している。
「明日から聖域に向けて本格的な旅なんだよな。」
楽しみ過ぎて眠れないなんてことになると困る。程々に適当な返事をしよう。樹さんに甘い対応をしがちな光さんに可能なのか一抹の不安を抱きながら、最悪交代で背負って移動しようとほとんど無視する形を取って眠りに就いた。
翌日、途中までは何事もなく進めていた。ヴァイスの先導で主に俺たち二人が警戒し、樹さんも周囲に気を配るよう努力する。術式の用意は大公邸を出る前に行っていた。咄嗟の判断と実戦においては未熟なため、当てにはしない。依頼も危険度の低い物を選んできた。参加できるよう場を整える余裕のあるような物だ。それへの参加も促し、野宿も挟みつつ、無事に聖域へと辿り着く。
見張りもない雪の中。凍った湖の中央に、白や黒まで混ざった虹色の地脈花が咲く。近づくにつれ寒さは和らぎ、氷もただの水になり、地脈花のすぐ近くは沸騰しているほどだ。陽炎の中には並んで咲くことのないはずの地脈花の花畑が広がる。他の地脈花以上の神秘性が、ここにはあった。
「ヴァイス!俺も入っていい?」
湖に飛び込み、氷を割ったヴァイスを一瞬止めようとした樹さんだが、心地よさそうに泳ぐ彼が羨ましくなったのか自分もと言い始めた。適温の範囲が限られている危険があり、その範囲から出れば火傷しかねない。国として管理する地域は北方砦より南であり、ここは立ち入るにも自己責任とされる場所のため、何の制限もないが、安全性の観点から許可できない。ただの水浴びなら大公邸の庭でもできる。帰るまでは我慢してもらおう。
一頻り泳いで満足したヴァイスは地脈花に寄り添う。樹さんも我慢できなかったのか、氷の端から指先だけ浸けている。冷たそうだ。ここだけ季節が変わったように春の陽気に包まれ、雪の中から花も芽吹く。季節外れの小鳥が囀り、栗鼠も微笑み、蝶が揺蕩う。夢見心地の樹さんは地脈花に触れないよう気を付けつつ、ヴァイスに凭れかかった。うとうとと眠りに落ちる彼をどこまで眠らせてあげようか。
樹さんが完全に眠ると、ヴァイスが少し姿勢を変えた。光さんに周囲への警戒を任せ、俺は樹さんが倒れてしまわないよう支える。それを確認し、ヴァイスが地脈花に前足を掛ける。一体何をしているのか。そう観察を続けると、白い毛が光り始め、輝く鱗粉のように全身を包む。眩しいほどの光が収まるとそこには銀髪に金の瞳の男性がいた。
「一人では上手く変化できなくてな。同行、感謝する。」
通りで人語を解するわけだ。そこには納得だが、変化の術なら術式があれば一人で発動できる上、術式がなくとも慣れれば頭の中の詠唱で代えられる。この人は一体何者なのだろう。問いかけてもヴァイス、と樹さんの付けた名前を言う。他の名前を持たないのか。
「必要ないだろう。なあ、少女よ。」
地脈花に向けて呼びかける。誰に呼び掛けているのか。分からないまま視線の先に目を遣れば、地脈花の上にあった陽炎の中から少女が現れた。白いワンピースに身を包み、くすんだ赤髪に白い花冠を被り、宝石のような青い目を大きく開いている。
「助けてって素直に言えば良いのにね。意地張るからこうなるんだよ。」
地脈花を通じて会話し、転移もできる。それなら転移を防ぐ方法も知っているだろうか。
「練習あるのみ、だよ。」
助言なども得られない。しかし少しだけ力を貸してくれるということで、眠っている樹さんの頭に手を乗せた。何をしているのか分からないが、彼の体調に異変はない。何か違和感はあったのか、目を覚ました。傍にいたはずの白い虎が消え、美丈夫と美少女が自分の傍にいる状況に驚きを隠せないでいる。俺や光さんが止めていないことから安全ではあると判断してくれたようだ。
「幸せそうな寝顔だったな。感謝する。彷徨う俺に名を与えてくれたこと、人の姿を返してくれたこと、共に居てくれたこと。」
「え、誰?」
説明をする気はないらしいヴァイスに代わり、俺から現在の状況を説明する。驚きつつも彼を観察し、この人間と虎が同じヴァイスと認めた。今はもう自在に虎と人間の姿を行き来できるそうで、再び虎の姿に戻る。折角戻れたのに虎の姿のまま一緒に帰るつもりのようだ。虎だから許可が得られていただけ。人間のそれも男性なら大公妃でもある樹さんの傍で過ごすために特別の許可が要る。今までと同じような接し方は難しいと理解してもらおう。樹さんなら気にせず虎として接するかもしれない。言葉にはできないが、中身が人間だと知っている緋炎の変化した犬に対して、ただの犬として可愛がっていたのだから。
今回の大きな目的は果たした。帰りも同じ虎の姿なら問題なく移動できるだろう。ここの環境は過ごしやすいが、地脈花の近くに留まることが樹さんにどれほどの影響を与えるか予測できない。少し離れてから今夜の野営地を選びたい。そう出立しようとすると、ヴァイスだけでなく、何故か少女まで一緒に来る。地脈花を通じて来たのなら、同じように帰らなければ元の場所には戻れない。食料は三人と一頭分。彼女の分はない。
「大丈夫、魔力が栄養だから。ご飯も食べられるけど、食べなくても元気だよ。」
彼女は人間なのだろうか。名前もまだ聞いていない。ヴァイスも知り合いのようなのにここでの名前は知らないと言っている。複数の偽名を持つ怪しい者だろうか。こちらへの害意は感じないが、油断して良い相手ではなさそうだ。武器もないのに恐れる様子が一切ないこともその感覚を強める。何も分かっていない馬鹿か、花梨のような魔術の天才か。後者のような気はしているが、前者の可能性も否定できない。その証拠にヴァイスに名付けたなら自分にも名前が欲しいと無邪気に頼んでいる。この年齢までどうやって生活していたのだろう。樹さんはもう何も考えないことにしたのか、まだ寝ぼけているのか彼女の姿を眺め、似合う名前を考えている。
「シュテルンはどうかな。地脈花から生まれた星の子ってことで、星の意味のシュテルン。君ももしかすると世界樹の御子かもしれないね。」
「近しい存在ではあるよ。詳しいことは内緒。でも浄化ができないから、世界樹の御子とは違うね。」
御子ではないなら特例として一緒に行くことはできない。地脈花から生まれたわけではなく転移しただけなら、元の場所やその素性まで明らかにしなければ危険だ。大公邸に入れて良い人間かどうかの判断ができない。
「じゃあこうするね。」
言うや否や彼女の体は淡い光と闇に包まれ、彼女と同程度の大きさの犬になった。瞳は同じ煌めく青、体毛は服と同じ白。ただの変化なら服は残っているはずなのに、彼女の変化では服が毛に変わったように消えている。花冠も消え、全身が真っ白だ。ヴァイスに身を寄せれば埋もれて一頭のように見える。確かにこうすれば騙して入ることは可能だが、大問題だ。俺と光さんが黙っているわけもない。それなのに樹さんは彼女に抱きつき、駄目かと上目遣いに頼んでくる。それが通用する相手は大公殿下と光さんだけ。いや、その二人に通用すれば十分か。
俺が止めても、御子姫様最優先、と光さんは大公殿下に交渉することを決定した。大公殿下もある程度の調査はするだろうが、最終的には許すのだろう。全ての願いを聞き届けて甘やかすことが樹さんのためになるとは思えない。安全性や確認の必要性について説明すれば理解できる人だ。最近は自分の容姿と相手からの印象も理解したのか、特に光さんや大公殿下に対してこのような悪い交渉の仕方を覚えただけ。俺には通用しないことも分かっており、悪戯に成功したような笑みを俺には向けている。服装がよく分からないようシュテルンやヴァイスを使って体を隠していることも意図的なものだろう。誰だ、怒ると可哀想とか言って悪いことを続けさせている奴は。
「人間だと分かったなら樹様を乗せても大丈夫ですね。お手をどうぞ、姫様。」
ヴァイスも光さんの悪乗りに付き合い、樹さんをその背に乗せる。シュテルンも護衛のようにその半身前を歩く。今指摘しても移動に時間が掛かるだけか。諦めてこのまま帰還しよう。これらも全て大公殿下に報告する。それがどこまで効果を及ぼすだろうか。樹さんが一言お願いすればきっとあの方も籠絡されてしまう。ヴァイスとシュテルンの中身が人間だと知ってなお、傍に置くことを許すだろう。白いふかふかが良いならぬいぐるみでも買ってもらえば良いものを、危険のある生き物にするなんて。
子どものような、悪い大人のような悪戯の成功に喜ぶ樹さんを連れ、今夜の野営地を決める。ふかふかの毛並みの獣が二頭もいるなら寒さは問題ない。まだ寒さの深まる季節でもないため、上着を被るだけで十分に暖を取って眠れるだろう。樹さんも虎の背中に乗っての移動がお気に召したようでご機嫌にシュテルンを抱き締めている。彼らには樹さんを温める役割を担ってもらう。新しいぬいぐるみを買ってもらった子どものような樹さんは放置し、光さんと警戒の順番を話し合う。樹さんの枕兼半分敷布団になっているヴァイスは戦力に数えられない。抱き枕になっているシュテルンも同様だ。中身が女性であることを理解しているのか疑問だが、シュテルンが抗議しないならこちらも放置しよう。
暗くなる前に火を熾す。今回は俺が魔術で熾すため、樹さんにしてもらうことはない。一部の魔物は関係なく突っ込んで来るが、多くは火を恐れる。危険性は大幅に下がるため、大事な一手間だ。よほど苦手な人は火を熾すためだけの魔道具を用意してくるが、荷物になるため多くは魔術で補う。光さんも魔術による点火の術を持っているが、適性属性が光のため、俺より負担が大きい。樹さんにも可能のようだが、今は獣と戯れるのに忙しそうだ。
「中身が人なら危険とか言われないもんな。こんなに大きな虎とか犬とかを連れてたら、護衛も少なくあちこち行きやすいかもしれないし。」
人だからこその危険もある。神殿で大変な目に遭ったことを忘れたのか、その傷が癒えたのか。良い事でもあるが、警戒心は持っていてほしい。あまり指摘して心の傷が開いても困る。彼の安心と安全を両立するため、警戒することも俺たちの仕事、か。




