紅い果実
果穂さんが一葉から聞いた噂話。それはこの彩羽の地下に眠るお宝の所在について。島の地下に迷路のような通路が張り巡らされ、その中にお宝が眠っていると言う。一葉のことだから口から出任せのような気もするが、あまりに嬉しそうな果穂さんにそれを指摘するのも憚られる。お宝が楽しみなのか、一葉と会話できたことが楽しかったのか。
「素敵な方ではありますね。本気なのか冗談なのか分からないことも多いですけど。万里様と在学中は婚約されるとかいう話もありました。」
日常の会話に紛れ込ませることでその話を広めたいのだろう。少なくとも皇子殿下と婚約している女性に次の婚約の話は持ち込めない。たとえそれが在学中という期限付きであっても、だ。問題はその皇子殿下も他の婚約者を探せないことだが、本人やその家に探す気がないなら大きな問題とはならない。一葉に婚約者探しの意欲がないため、親も諦めたのだろう。次期皇帝は姉の一華様であり、婚約者もおられる。急ぐ理由もないのだろう。
そんな話はさておき、と果穂さんは行き先を校舎から変更する。探索する気になったと自由な発言だ。これから授業ということを忘れてしまったのだろうか。探索は放課後にと訴える俺をどこかへと連行し、宝物の隠された秘密の道に話を戻す。その道は見つかっておらず、手がかりすらない。過去には壁を虱潰しに叩き、空洞がないか探した猛者もいたそうだが、その成果は全く伝わっていない。壁の中の空洞を読み解く術があれば簡単に見つけられるのだが、俺たちには難しい。それなのに果穂さんは何故か自信満々で、入学式にも使われた広間の前に立った。
「壊すの手伝ってください。」
再びの反省文は確実になる。しかし俺の反応を待たず、彼女は扉に突撃を繰り返す。軽い彼女の体当たり程度ではびくともしない。それだけならともかく怪我をしてしまいかねない。諦めて彼女の共犯になろう。魔術を使えば木の扉くらい簡単に壊せる。建物全体に燃え移らないようにだけ気を付けて、術式を書く。詠唱も行えば円形の焦げ付いた穴が空いた。この痕跡は消せず、見つかるだろう。俺たちがやったと分からなければ反省文も逃れられるかもしれない。火属性が適性の人は他にも大勢いるのだ。
広間に入れば果穂さんが大きな術式を描き始める。同時に何の術式を描いているのか説明してくれる。空間把握術。それは時属性による魔術だ。時属性は名前としては時を司る属性だが、空間の要素も含まれており、時空属性と言ったほうが内包する術は理解しやすい。皇国内では時属性を適性とする人物の存在が確認されていなかったはずだが、隠していたのか。
「内緒にしなさいってお兄ちゃんに言われてるんです。だけど以前怪我をさせてしまって、また巻き込んでしまったので。これ、内緒にしてくださいね。」
希少な属性の人物となれば引く手数多だ。悪い人間にも狙われかねない。内緒にという指示も納得だ。以前の魔術による怪我は間接的なものであり、果穂さんだけが悪いわけでもない。今回の件は俺が止めるべきだった。こんなに重要な秘密を共有してくれるほどなのか疑問はある。俺なら話を広めないという彼女の信頼を裏切るわけにはいかない。これは親にも言えない秘密だ。
術式の核の部分に差し掛かる。魔力を込め、願いを込め、線と文字を綴る。魔力も多く消耗しているだろう。周囲に変化をもたらすわけではなくとも広範囲に作用する魔術だ。繊細な魔力操作も必要になる。同じ適性属性の人間もいないため、助言も受けにくい。それなのにこれだけの魔術を使えるなんて、彼女は非常に優秀な術士だ。そう感心している間に術式は描き終わり、詠唱を開始する。
「《我が世界の中心なり、我が魔力の主なり、全ての魔力よ、我に従え。手足となり耳目となり、枝木となり葉根となり、岩石となり風雨となり、水煙となり陽炎となり、氷河となり迅雷となり、暁光となり宵闇となり、全てを通じて我に教えよ》」
これだけ長ければ詠唱を覚えるだけでも苦労する。その上詠唱を思い出すことに意識を注げば術は成功しない。非常に難易度の高い魔術だが、術式は淡い光を発し、彼女の体からも力が抜けた。浅い呼吸に、焦点の合わない目。本当に問題なく魔術は発動しているのだろうか。数を数えつつ様子を見守るが、六十を超えても彼女の様子に変化はない。斜め上を見て座った姿勢で安定しているものの、そのうち倒れてしまいそうだ。そう手に触れれば驚くほど冷たい。名前を呼んでも応答がない。呼吸はあるがこのまま魔術の行使を続けさせて良い状態ではない。軽く頬を叩いてようやく目が合った。
「分かりましたよ、地下通路の場所!早速行きましょう!」
こちらの心配などどこ吹く風、意気揚々と立ち上がる。しかし魔力と体力は確かに消耗しており、軽くふらついた。顔色に変化はないが、少し休んだほうが良いのではないだろうか。そんな俺の助言を聞き入れることなく、どんどんと先に進み、着いた場所は校舎近くの井戸の前。大きな木の蓋がされており、簡単には入れない。二人で協力しても重くて持ち上げられない。ここでも魔術の出番だと彼女は詠唱を開始する。誰に見られているか分からず、既に少し体力も消耗しているのだから俺に頼んでくれれば良いものを、なんて危険を冒すのか。今回は術式すら用いない。そんな異常なことをしてみせたのに何も気にした様子なく、梯子がないと騒いでいる。井戸に梯子はないだろう。そんな指摘も無視し、また詠唱のみで魔術を発動させる。さっさと降りようとするが、強度が心配だ。彼女の魔術の実力を疑うわけではないが、その土台が劣化しているならどんなに優秀な魔術士でも梯子は崩れる。
一歩一歩確かめながら梯子を降りる。少々不穏な音がしているが、無事に底まで辿り着いた。傷みは蓄積するかもしれないが、果穂さんは俺より軽い。降りて来ても良いという俺の合図で彼女も降り始める。木からは降りられなくとも梯子は問題ないようで、軽快な足音と共に降り立った。
「井戸じゃないじゃん。」
見せかけだけが井戸だった。底は細い水路のようになっており、踝程度までの水が流れている。人が通るようにはできておらず、細かな手入れも行われていないのか、照明は何もない。幅も人二人がすれ違える程度、天井も背の高い大人ならかがんで歩かなければならないほど低い。よく見えない中の移動は危険だ。少しだけ時間をもらい、今度は俺が魔術を発動する。簡単な術式程度暗記しているため、空中に指で描いても良い。そう小さな火の玉を浮かべ、先へと進む。
ちゃぷちゃぷと少し進めば、細長い動く物が見えた。少し後ろを歩いていた果穂さんも俺の制止に従ってくれる。しかし戻ったほうが良いという助言には異論が唱えられた。果穂さんは毒を持っているのかどうかも分からない蛇と戦う気満々だ。どこからともなく細剣を取り出し、それを俺にも貸してくれる。使い慣れた武器ではないが、何もないよりは良い。二人並んで戦う広さはないため、彼女の指示に従い、蛇の討伐は任せる。火の玉を維持しながらの戦闘は難しい。この暗い水場にいる蛇なら火は怖がるだろう。せめてとさらに術式を描き、火の玉を一つ増やす。果穂さんの細剣による突きも何匹もいる蛇全ての動きを制御できず、俺の火の玉も一匹にしか当てられない。その隙間を縫った蛇の一匹が俺に飛びかかった。
「《飛びかかる炎の球》!」
単純で短い詠唱の後に炎の球が背後から飛んでくる。誰かに見つかってしまったが、助太刀はありがたい。いや、さっさと引き返せば良かっただけだ。戦う意思を見せた果穂さんを止めるべきだった。反省は後だ。続く炎の球の援護も有り難いと身を屈め、射線を空ける。彼は的確に蛇に当て、残った蛇も退いてくれた。
落ち着き、助けてくれた人を振り返る。同じ学年の果穂さんとも親しい緋炎だ。果穂さんだけでなく俺のことまで心配してくれた彼によると、業間の移動中、いつも閉まっている井戸の蓋が開いているのを発見して降りてみたそうだ。先生たちに見つかるのも時間の問題だろう。今度こそ速やかに帰還すべきだ。
「緋炎もいるならもっと安全に探索できますね!」
「秘宝の地下通路なんて楽しいそうですよね。」
二人とも帰る気は一切ない。今毒があるのかないのか分からない蛇を一部倒し、一部退かせたというのに、危機感もない。彼らを置いて俺だけ帰ることもできない。俺が同行したほうがまだ安全だろう。嫌な湿度の通路を進み、頭の中に地図を描いていく。一見直線にも見える一本道だが、小動物が通れる程度の穴は随所に空いており、ちらちらと蛇や鼠の姿が見え隠れする。攻撃されないのは果穂さんの細剣と威嚇するように撃つ緋炎の炎のおかげだろう。
ようやく人が何とか通れる大きさの横道を見つけた。淡く紅い光を発する何かが置かれている。感じ始めた疲労も発見の喜びに置き換えられた。今までの道よりも狭いが、俺たちなら通り抜けられる。真っ先に飛びついたのは果穂さんで、細剣も俺に預け、その紅い球体に近づいた。細かな装飾の施された台座に乗るそれを果穂さんが持ち上げると一層光を強め、彼女の宥めるような手で落ち着きを見せる。戻ってきた彼女に触れさせてもらうと、ほんのり暖かい。本当にこの紅い珠は一体何なのだろう。細剣を返し、今度は俺がその台座をよく観察する。装飾が施されているのにこんな場所にぽつんと置かれている台座。一見何も書かれていないが、それを覆し得る要素が特定の魔術に反応して姿を現す文字だ。本当に隠したい情報には使わない隠し方だが、こういったものには使われるだろう。そんな推測は正解で、術式に反応して魔術文字が現れる。果穂さんと緋炎もその文字を見つめているが、まだ授業では習っていない単語も多い。それなのに果穂さんはそれを現代語訳して読み上げた。
「世界から紡がれし力、ここに眠る。相応しき者が生まれし時、彼は目を覚ますだろう。」
今は眠っている状態なのだろうか。先ほど明るさを変え、今もそれを弱い照明として使えるほど光を放っている。もう既に目を覚ましているのかもしれない。それならば相応しき者というのは一体誰なのだろう。この正体を考えるのは後だ。危険かもしれない物を二人には預けられないと俺が持てば、緋炎は何故か魔術で火の玉を出現させる。
「暗い中歩くんだから、明かりは必要でしょう?」
平静に見えただけで実際には余裕がない。紅い珠のおかげで十分明るいのにまだ明るくしようとしている。視界が確保できるなら不必要に魔術を使って体力を消耗すべきでない。蛇を追い払うために魔術が必要になることも考えられるのだ。
秘宝は見つかった。それなのに少し怖がっている様子を見せる緋炎も探索する気は満々のようで、さらに奥へと足を進める。今日の授業は全て休むつもりなのだろう。果穂さんは今朝一緒に反省文を書いたというのに、また一緒に書くつもりなのだろうか。何も考えていないだけかもしれない。そんなことを考えつつ歩けば、何度か分かれ道に遭遇しつつも行き止まりに辿り着いた。何もない場所にも見えるが、見つけてもらうための仕掛けがあるかもしれない。そう同じ魔術を発動すると見えなかった階段、そしてその先の引き戸が現れた。隠し部屋に胸を踊らせ、暗い通路から出るとあったのは見慣れた廊下。振り返った先にある物も見たことのある本棚だ。
「ばれることはない、ですね。」
斜面沿いの校舎の廊下のようだ。無事帰れたことに安堵していると、怖い笑顔の先生が近づいてきた。ここは彩羽学校の校舎内ではあるが、授業時間中にいる場所ではない。言い訳も思いつかないまま、目の前にその先生は到着してしまった。
「飛鳥くん、こんな所でどうしたの?今は授業中よ。武器の携帯も禁止ね、没収するわ。」
迷子になったという言い訳も冗談が下手という簡単な一言に封じられ、職員室へと三人揃って連行される。優しそうな顔に声だというのに容赦がないと評判通りだ。同時に授業は分かりやすいと高評価。理不尽に怒られることはないだろう。だからなのか緋炎も仕方ないと諦めているが、果穂さんは何故か元気そうだ。これからお説教と反省文が待っていると分かっているのだろうか。
着いた場所は何故か保健室。先に怪我の確認という優しさは見せてくれた。蛇に噛まれたり鼠に齧られたりはしていなかったはずが、幾つか掠り傷や切り傷はあった。気付かないうちに壁で擦ってしまったのだろうか。それ以外の傷もあるが、保険医によると毒や病気の心配は要らないとのことだ。魔術を用いての検査結果なら信頼して良いだろう。果穂さんにも緋炎にも大きな怪我はなく、一安心だ。受けられなかった授業も一葉や同じ授業の友人に聞けば良い。そう油断していると今度こそ職員室へ連れられ、お説教が始まった。一日に二回も反省文を書くなんて初めてだ。実家にいた時も多くて数日に一回だった。もしかして果穂さんは俺以上にやんちゃなのだろうか。