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安息は長く続かない

《実樹》視点

 大公様の傍に留まることが決定し、今後も安定した生活が続けられる。体調ももう万全な今、俺も御子としての務めを果たしたい。瘴気で体調が悪くなっても十分休ませてもらえる。早く浄化しろと急かされることもない。何もせずに休んで良いと言われてもむしろ落ち着かない。そろそろ俺も何かしたい。運動は見えないためできることが限られる。お菓子作りなど遊ぶだけでなく、俺の果たすべき使命と言われる、瘴気の浄化を始めよう。そう訴え、条件付きで地脈花に触れることを許された。その条件も大公様が同行するということだけ。ほとんど何もないも同然だ。

 大公様の腕に手を掛け、誘導されて地脈花のすぐ傍に立つ。前に数歩進めば地脈花があると言う。一足分ずつすり足で進み、軽く前に出した手に硬く冷たい物が当たる。これが地脈花。凍てつく冷たさの中からせり上がるような不快感が流れ込む。手を離しても内臓が捻れるような苦痛は続き、大公様がいたはずの方向に手を伸ばしても握り返す温かさはない。足から力が抜けていく。飛鳥だって光さんだってこんな状態なら駆け寄ってくれるはずなのに返事もない。代わりに慣れない声が俺に触れた。

「どうしたの?」

 ここは立ち入りが厳しく制限されている場所のはずだ。知らない人がいるはずがない。大公様や飛鳥が俺に触れることを許すはずがない。それなのに何の制止もなく、彼女は難なく俺を支えた。女性らしい柔らかさを持つと同時に武人である飛鳥や光さんによく似た雰囲気を持つ手だ。同時にその力強い手で傷つけることのないようにしてくれる配慮も感じる。きっと良い人だと信じ、大公様や飛鳥はどこか尋ねるが、何のことか分からないというような戸惑った声が返ってきた。十六夜飛鳥、小原光、エルヴィン・エーデルシュタインという名に覚えはないかと尋ねる。

「覚えはあるけれど、こんな所にいるわけはないわよ?まずは可愛らしい貴方の名前を教えて頂戴。」

 可愛らしいという言葉も今の服装では仕方のないことだと受け入れ、大空樹と偽ることなく答える。相手のことが分からない以上、御子であることは伏せるべきだ。神殿の人間とは違っても安全とは限らない。そんな緊張感を持って相手の様子を窺う。見えないが雰囲気は感じ取れる。柔らかい雰囲気の人だが、油断はできない。そう思っていたのだが、彼女はなにかに気付いたように声を上げた。

「彩羽学校に通っていた?ロザリー・ローランよ。覚えてくれているかしら。」

 覚えている。お話したこともある。ここはどこなのか。同じ学年だったロザリー様も既に卒業されており、大陸西部のご出身だった。そう確認すればここは大陸西部、旧諸部族連合地域と肯定してくださる。彼女になら御子と教えて良いだろうか。迷っている間に話は進み、彼女の家へと連れられると決まっていた。

 軽々と抱き上げてくださる彼女も騎士か何かなのだろうか。彼女の家に着き、座らせてくださる。ガサガサという音は乾いた草木のようにも聞こえる。少し暗い場所だ。風も肌に感じられたのに音だけになった。

「少し休んでいて。私は世話してくれる人を呼んでくるわ。また帰ってくるから安心して待っていて。」

 軽い扉の音の後には隙間風の入る音が残った。外には人のいるような声もするが、内容までは聞き取れない。ここがロザリー様の故郷なのか。少し気になる部分はあるが、急にこうして訪ねたいわけではない。大公様にも事前に知らせた上で、飛鳥や光さんと一緒に観光できれば楽しそうだ。ロザリー様に話を聞きながらゆっくり歩けてもより良い。しかし今はそんなにのんびりした気分ではない。急に目の前から消えて大公様たちも心配されているだろう。なるべく早く帰りたい。あの場所からもう一度地脈花に触れ、公国を意識すれば戻れないだろうか。

 戻ってきた時に言うことを考えていると、彼女は他の人を連れて戻ってきた。俺の世話をする女性ロクサーヌさん。できれば男性のほうが良いが、面倒を見てくれると言ってくれているのに我儘は言えない。その代わり俺を見つけた地脈花に一度だけ連れて行ってほしいと頼み込む。ロザリー様は仕事があるそうだ。だからロクサーヌさんに来てもらったと言い、ロザリー様ではなくロクサーヌさんがその場所まで連れて行くと手を引いてくれた。

 ロザリー様の家から出れば乾いた風を感じる。人の話し声も多い。重なり合う声は内容の判別が難しく、声色から不安と警戒に満ちていることだけが分かる。次第のその声には同意の内容のものが重なっていき、それに返事したロクサーヌさんが俺に数段の段差を上るよう指示した。それから体を反転させられ、木の棒に凭れるよう指示する。従えば両手を強く掴まれた。足を動かそうにも足首が紐のような何かに引っ掛かって動かせない。離してという声に返事はなく、手首は頭上に括り付けられた。体はほぼ浮いており、手首が痛い。足首も僅かに上下に動かせるだけで、誰も答えてくれない。また神殿にいた時のような酷い扱いを受けるのだろうか。そんなことは受け入れられない。体力があるうちに逃げ出さなければ。そうは思っても手足を拘束された状態ではできることもほぼない。ただ大声でロザリー様を呼ぶだけだ。

 声が枯れるほど叫べば、何度も頬を叩かれたが、騒めきも大きくなり、複数人が駆け寄る音もした。そして待っていた声が低く怒鳴る。

「何をしているの?自分たちが何をしているのか分かっているのか!」

 水を打ったように周囲は静まり返る。足音が一つだけ近づき、優しい手が俺に触れた。状況もよく分からず、自分ではどうにもできない以上、誰かを信じる必要がある。ここでその誰かを一人選ぶのならロザリー様だ。そんな想いを込めて、ロザリー様、ともう一度呼ぶ。きちんと話をしてもらおう。仕事があるなら一緒に連れて行ってもらおう。そう逃さないつもりで発した声は自分でも意外なほど不安に揺れていた。彼女もこの声の震えに気付かないはずがなく、力強い腕で抱き締めてくれる。次いで俺を拘束していた物を解いてくれた。ありがとうの気持ちを込めて抱き着き、ロクサーヌさんの所には行かないと行動で示す。彼女は危険だ。彼女に従う、話し合っていた人たちも危険だ。ロザリー様と離れてはいけない。

 単独行動はしない。そう決意を固めていると今までの騒めきとは異なる音が聞こえた。少し離れた場所からの大きな音だ。それらは他の人にとって重要な音だったのか、あちらに行け、武器は持ったか、と忙しそうに指示が飛んでいる。彼女もそれに参加するように武器はあると答え、また別の女性といるよう俺に指示した。嫌だと言って服を掴んでも振り払われた。

「集落の危機よ。聞き分けて。」

 離れていく足音に混ざり、ロザリー様の所在が分からなくなる。こちらにいたと手を伸ばしても女性に反対の手を捕まれ、引っ張られる。息が切れてきた。最近は体調が改善していたのに逆戻りだ。名前を教えてくれた、ロザリー様も信頼できるとして連れて来たはずのロクサーヌさんでも駄目だったのだ。この女性は大丈夫と言える理由などない。しかし逆らうにも力及ばず、自分で地脈花の場所まで移動することもできない今、ただされるがままに連れて行かれた。

 またどこかの屋内に入る。暗い部屋の中、座りなさいという指示に従えば、良しと言うように頭を撫でられた。

「外は危険だから、ロザリーさんが来るまでここにいなさい。」

 言い残して危険なはずの外へ彼女は去っていく。木の板のような感触を背にも手にも感じながら、ただじっとしていた。金属同士がぶつかり合う音が聞こえても、闘志に満ちた雄叫びが聞こえても、体を震わせるほどの爆発音が響いても。それらの音が近づく毎に恐ろしさが増していく。男性の雄叫びや鼓舞するような声の中に彼らを鼓舞するようなロザリー様の歌声が混ざっていることは聞き取れた。

 これは本当に外に出ないほうが良いだろう。そう分かりつつ、一人で居続けることも恐ろしく、這って外を目指してしまった。ロザリー様の声が近づき、すぐ傍に来られていると期待して、その名を呼びながら砂埃舞う外へ出た。

「どうしてこんな所にいるの!?」

 驚いた声を上げながらも俺を軽々と抱き上げ、争いの喧騒から離れていく。激しい振動はとても急いでいることが分かる。やはり外は危険だった。先程の二人目の女性は信じて良い人だったのだろうか。

 静かな騒めきの室内に置かれる。人々の視線を感じる。これはロザリー様に抱き上げられているからだろうか。いや、見知らぬ人が突然現れたなら注目くらいするだろう。今度は俺を下ろしても、彼女も傍に留まってくださる。しかし次の瞬間には厳しい声で騒めきに向かって声を上げた。

「あなた達は何を考えているの?戦闘の真っ只中の小屋に放置し、危うく敵の手に渡る所だったわ。何も分からない赤子に何の恨みがあるというの!」

 赤子ではないが、今はそんなことを言っている場合でもなさそうだ。この場所について何も分からない点では赤子も同然。むしろ庇護すべき存在と認識してもらえるならその点について反論しないほうが良い。俺は反論しないほうが良いが、責められている彼らは何かを答えなければならない。それなのに何も言わない。ロザリー様からは大きな怒りを感じる。俺に向けられているわけではない怒りでも怖い雰囲気が漂っていることは分かる。これを向けられている彼らは恐ろしさに口を開けないのかもしれない。

 痺れを切らせたのか、ロザリー様はため息を付き、戦場に戻ると言った。外敵排除のため、戦士たるロザリー様が長く避難所にいるわけにはいかない、と。やはりロザリー様は戦士だ。あの頼もしい雰囲気からの推測は当たっていた。しかしそれはつまり俺を置いて行くということ。目の見えない、戦う力のない者が同行することはただ迷惑、邪魔なだけだろう。

「必ずまた戻って来るわ。決して外に出ないで。誰に何を言われてもここで待っていてちょうだい。」

 行かないでと言うことが彼女の枷になるだけで、決してここに留まるための言葉にはならないと分かる。それでも名前を呼ぶ声に心細さが乗る。案の定ロザリー様がそれに従うことなく、力強く抱き締め、頭を撫でるだけで離れて行ってしまった。

 ロザリー様が出ていく音を聞き、室内に人の声が戻った。ここは安全なのだろうか。避難所ということは戦闘に巻き込まれる心配はないのだろう。それが直ちに安全とはならない。ここにいる人のうちの誰かが、俺を拘束し、危険な場所に放置したのだ。俺にできることは何事もなくロザリー様が戻って来るよう祈ることくらいか。今の所ヒソヒソと話している声が聞こえるだけのため、すぐさま俺に危害を加えようとしているわけではなさそうだ。

「君、ロザリーさんの所に連れて行ってあげる。おいで。」

 何を言われても従ってはいけない。それがロザリー様との約束だ。拒否すれば従いなさいと腕を掴み、引きずられる。他の人もいるはずなのに俺の助けを求める声に応じる様子はない。ロザリー様の怒りも言いつけも知っているのに、彼らにとってはロザリー様よりこの女性のほうが重要人物なのだろうか。

 風を感じる。地面は乾燥した土で、小石に手が傷つく痛みもある。この女性はよほど力持ちのようで、抵抗する俺をどこかに連行できている。魔術で身体能力を強化しているのかもしれない。

 しばらく進むと俺を引きずっていたその人が止まり、俺を後ろから蹴った。手を離されたことを良いことに距離を取る。這っていた手が地面を見つけれず、体が不安定になった所を再び後ろから蹴り上げられる。体が宙に浮いた。小さな段差なのか、断崖絶壁なのか、それすら俺には分からない。すぐに硬い地面へ叩きつけられることを期待し身構えたのに柔らかな大公邸の寝台に飛び乗った時のような優しい感触に包まれる。一方で弾むような感覚はなく、ふわりと持ち上げらられる違和感だけがあった。

「大丈夫?貴女はこの子を殺す気か!地脈花から生まれた妖精よ!」

 俺への心配の声に続き、別の方向へ向けて怒声を上げる。その間も地面に座り込んだ俺を抱き締め、離れないようにしてくれた。やはりここは危険で、あの場所も安全ではなかった。重ねて何を考えていると怒鳴る声にそこが少しの段差ではなく崖であったのだと実感する。そう意識すると心臓が激しく鳴った。

 足に力の入らない俺を抱き締めたまま、ロザリー様は女性を罵る。女性も負けじと侮辱を返す。それは妖精でない、災いを齎す化け物だ。そんな言い合いの差す生き物は俺のことなのだろうと推測できるが、彼らが何故そう思っているのかは分からない。俺が御子であることも瘴気を浄化できることも彼らは知らないはずだ。

 聞きたくない言葉たちに耳を塞ぎ、ただひたすら時間の経過を待つ。時間が経った所で事態は好転しないだろう。それでも少しくらい休みたい。耳も目も閉じた世界に幼い子どもの言葉が飛び込んだ。

「ロザリー、あのね、ロクサーヌが突き落とそうとしてたんだ。私たちが助けたんだよ!」

「ありがとう、二人とも。私はこの妖精を連れて集落を離れるつもりよ。貴女たちも一緒に来る?」

「うん!」

 戦闘の片付けは済んだなど現状の説明を二人の子どもがロザリー様にしている。ここにいてはいけないが、どこに行くつもりなのだろう。ここから公国に帰れるのかもしれない。ロザリー様はエーデルシュタイン公国への行き方をご存知だ。絶対に彼女から離れない。そんな意思を込めて強く抱き着けば、旅の準備をするため家に帰ると教えてもらえた。小さな子のように抱き上げられ、ぽんぽんと軽く揺らされると本当に幼い子どものようで複雑だが、今はこの好意に頼らなければ命すら危うい。神殿に閉じ込められていた時のように尋常でない状況なのだ。

 次の室内はロザリー様の家。旅支度を行うから少しだけ待ってほしいとの頼みは聞くべきだが、少しでも離れたくない。必ず戻ると言って離れた時にも危険な目に遭ったのだ。少しだからといって気は抜けない。そんな俺の必死の主張は受け入れられ、常に触れているからとすぐ隣に座ったまま旅支度は進められた。家から出る様子はない。考えてみれば当然だが、旅支度のために自宅に戻ったなら、自宅にある荷物をまとめる程度。彼女の視界に入っているのなら危険があってもすぐに対応してもらえる。俺も少し冷静になろう。

 準備が終われば集落の入口へ連れて行かれる。そこに先程の女の子二人が待っていると言う。元気な声が挨拶をしてくれた。レーヌとルネというこの子たちもこの集落の人間だが、一緒に出ていくそうだ。声から察するに俺の妹と同程度かそれ以上に幼い。親元を離れ、旅立つことの勇気は尊敬できる。ロザリー様も二人を褒めた。

「レーヌ、ルネ、あなた達は立派な戦士よ。」

 二人も一頻り喜んだ後、妖精を守るとキリッと宣言してくれる。その妖精というのは何なのだろうという質問には歩きながら答えると旅は始められた。

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