御子救出作戦決行
《林檎》視点
作戦決行のための下準備。まずは桜庭さんに会いに行こう。彼も警戒されているかもしれない。もう関わっていることは隠す必要がない。出会いのきっかけが何であれ、人と人が近づくのに理由なんて要らない。ただ一回出会い、そこから接点を持とうと思えば良いだけ。おめかしして、仕事が終わる時間を待つ。あえて本人には隠すよう周囲の神殿騎士に頼み、待ち伏せた。他国の侍女がたった一人の神殿騎士を待つ。それも仕事着ではなく、可愛らしい私服で。そわそわと来るはずの方向を見ていれば完璧だ。
私の前回会った時とは異なる服装に桜庭さんは驚いてくれた。時間は用意してほしいと伝えている。それでも私のために時間を使ってくれるかと確かめる。
「勿論。是非一緒に夕食でも。」
快い返事を頂けた。店も予約済みだ。断られたら緋炎と行くことになるところだった。それも悪くないが、前には進めない。真剣な話をすることも神殿関係者に気付かれたくはない。そう友人との食事という雰囲気で予約した店まで案内する。話したいことはあるが、まずは食事だ。桜庭さんは仕事終わりなのだから、いきなり真剣な話は難しいだろう。その上、内容を伝えることは必須ではない。彼と二人で出掛ける時間を設けることが肝要。何も伝えないままでも作戦を進めることは可能だ。迷いつつ、ただの気楽な話題として口火を切った。
実は今回の仕事に犬を一匹連れてきている。そんな嘘だ。全くの嘘ではないが、犬として同行させたわけではない。もしかすると従順な人間という意味にも聞こえるかもしれない。いや、桜庭さんは地上の人間。私と緋炎の本当の関係を知らない。言葉通りに受け取るだろう。
「出張にまで連れてきたんですか。とても大切なんですね。」
とても大切だ。私の右腕で、頼りになる。その大切な白炎がいなくなってしまった。首輪は着けていないが、それでもどこかに行ってしまったことなどない良い子だった。それなのに今回よりにもよって異国の地で行方不明になってしまった。特徴は真っ白な毛並み、私でも抱っこできるくらい可愛らしい大きさ、そして片耳に着けられた私とお揃いの紅いピアス。一人ではなかなか見つけられない。心配していることは話を聞いてくれている桜庭さんも理解してくれた。ここから一緒に探してほしいと伝える。既に得た目撃情報を元に捜索を開始したい。貴族街へ走っていく小さな白い犬の情報があっても、貴族街を他国の侍女という立場で一人歩くことには抵抗がある。だからこの国の人間であり、神殿関係者であり、騎士として体を鍛えている桜庭さんに同行してほしい。
急な頼みだ。それでも心配する心は伝わったのか、彼は了承してくれる。次の彼の休みに合わせてそこを歩く。待ち合わせ場所も決め、一歩前進だ。そう安堵し、食事の続きと目的のない会話を楽しむ。自分の犬探しなんて個人的なことをわざわざ頼みに来るのだ。その時に親しく見えなければ不自然だろう。しかしこれは杞憂なのか、桜庭さんも私との交流を楽しんでくれているように見える。
「林さんもお酒好きなの?」
「結構好きかな。あんまり強くはないんだけどね。」
「気を付けてね。君の同僚も心配するよ。こんなに魅力的なんだから。」
緋炎も一緒に何度か飲んでいるが、ただの同僚より親しく見えたのだろうか。私的な時間にも二人で飲みに、と考えると親しいか。学友でもある。地上での関係だけを取っても他より親しいと言える間柄だ。彼も同じピアスを着けていることには気付かれているだろうか。地上ではそこに深い意味はなくとも、お揃いの装飾品というだけで何らかの意味を見出すことはできる。
美味しく楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまう。もう夕食は終わり、店の外に出た。昼間以上に夜は冷える。このまま帰って温まるのも良いが、もう少し飲んで温まるのも良い。ただし桜庭さんは明日も仕事。あまり遅くまで付き合わせては悪い。
「全然。林さんさえ良ければ是非。」
朝早いというわけではない、一日くらい平気、私と飲む機会なんて逃せない、と積極的に答えてくれる。私と飲む機会くらい王国滞在中はいくらでも作れるが、こう言ってもらえるなら誘いやすい。美味しい物と楽しい時間は人を近づけてくれるのだ。本題は既に終わっている。残る時間は純粋に友人として過ごせば良い。それが自然な逢瀬にも繋がるだろう。
次は予約制の店ではないもっと気楽な所にしよう。桜庭さんは平の神殿騎士、私も侍女とお互い高い身分の人間ではないのだ。そう桜庭さんお勧めの酒場へ案内してもらう。裏路地というほどではない小さな路地の一角にその静かな酒場は佇んでいた。
お店もそう大きいわけではない。一方で酒の種類は豊富だ。蒸留酒、醸造酒、カクテル等々と一ヶ月毎日通っても全種類飲み切ることが難しそうだ。それなのにどれも興味をそそられる品名になっており、一度ずつ飲んでみたくなってしまう。神話に因んだ名前などもあり、この酒に纏わる逸話を聞くだけでも楽しめそうだ。売り出す時も神秘的な雰囲気を含ませれば興味を持ってもらいやすいだろう。酒にそこまでの関心を抱いていなかった人も引き込めそうだ。よく考えられている。
「お商売でもしてるの?いや、そんなわけないか。侍女だったもんね。」
何かおかしなことでも言っただろうか。酒も《豊穣天使》では作っているが、品名や販売は《春一番》商会に任せている。見方は一般人のものと変わらないはずだ。
今日は会話を楽しむことが中心。まだ事態も解決していないのだ。軽い酒だけに留めよう。
次の休日、桜庭さんと待ち合わせ、ペットの捜索を開始する。歩く場所は貴族の邸宅ばかりが並ぶ場所。私たちが迷い込んだように見えるだろうか。二人共身なりは整えているため、歩いているだけで捕らえられることはないはずだ。
歩いて行けば、テールマン伯爵邸の付近にも差し掛かる。事前に示し合わせた通り犬の姿の緋炎は伯爵邸の門番とじゃれ合っている。彼からも私たちが見えるだろう。左耳のピアスが確認できれば私は彼を指差し、彼を呼ぶ。いよいよ作戦の本番だ。
「あっ、白炎ちゃん!」
彼はテールマン伯爵邸に入る。私は桜庭さんを置き去りに彼を追う。背後から桜庭さんが、貴族の家だ、入ってはいけない、と叫ぶ声が聞こえた。勿論そんなものは無視だ。しかしその声に反応する人もいる。たまたま近くを通っていたフェリクス様だ。この後、桜庭さんが事情を二人に説明する手筈になっている。その際に私は門番に少しだけ反撃しつつ、屋敷の中に足を踏み入れる。ここだけ切り取れば完全に犯罪だが、御子さえ見つければ大事にしたくないテールマン伯爵によって、この件は不問にしてもらえるはずだ。
私だってこれでも地下の上位者の右腕。ただの門番程度、簡単にあしらえる。そのための術式だって施している。そう白炎を追い続け、一つの扉の前で立ち止まる。ドアノブに飛びかかることが大空さんのいる部屋だという合図。追いつかれる前にその扉を開く。開く瞬間を見られることくらいなんてことない。全ては御子の存在が解決する。
貴族の屋敷への侵入を見かければフェリクス様たちも無視できない。門番だって緊急事態だと拒むことを忘れる。先に私が侵入しているのだ。それどころでもない。そうしてフェリクス様に取り押さえられる前に、さらに奥にある扉を開ける。
「御子様!?どうされたのですか、何をされたのですか!酷い、こんなに怪我をされて。」
私は皇国の御子の姿を知っている。だから一目見て声を上げても自然。そう大袈裟に叫べば、フェリクス様もその人物を確認する。彼には一見分からないかもしれないが、仮に大空さんが御子でなかったとしてもこの仕打ちは許されない。衰弱した人物の保護を優先し、私を捕らえることは後回しだ。
騒ぎに大空さんは目を覚ます。白炎が彼の寝台に飛び乗る。御子の安全のため私は近づけないが、王の騎士であるフェリクス様が彼の存在と容態を確かめている。テールマン伯爵家から連れ出すには十分だ。ただし私が大空さんの信頼を得るためにすることがある。幸い彼は白炎の頭をずっと撫でてくれている。御子様、と呼びかけ、その小さな犬が私のペットであることを示せば繋がりは得られるだろう。
「君が、この子の本当の飼い主なんだね。ありがとう、とても救われたよ。」
交流したことを忘れてしまったのだろうか。しかし皇国にいたことをテールマン伯爵の前で言うことは避けたい。そう黙っていると、彼は白炎を返してくれる気がないようで、横になったまま抱き寄せた。これなら私が彼の傍に留まる理由にもなる。お礼も言われた。覚えていなかったとしても、これから近づくには十分だ。しかしこのままの同行は難しいかもしれない。御子の安全を確保したフェリクス様が私に厳しい目を向けた。
「他人の住居への侵入は犯罪だ。たとえ他国からの賓客であってもな。」
謝罪と理由を伝えることもただこの家の人間に見せるためだけのもの。行方不明だった最愛のペットを見つけ、何も考えていなかっただけ。平身低頭、許しを請うも一時的に拘束される。ここで無罪放免はむしろ不自然だ。その状況も御子の一言で一変させられる。私に手錠を課し、フェリクス様は大空さんに保護する旨を伝えているが、それがどこまで信頼されるだろう。特別彼を信頼する理由はない。今この場で助けてもらったという事実はあるが、表面上偶然だ。彼が偶然見つけられた理由は白炎にある。そしてその犬は私のペットだ。
戸惑った様子の彼は白犬を抱き締める。当然だろう。人間に酷い仕打ちを受け、助けを呼んでくれたのはその犬。神殿の人間に裏切られた後でもある。千秋先生との揉め事もあった。誰を信じるべきかすぐには決められないはずだ。そんな彼に抱き締めているその犬は私のペットだと教える。その上で私の所に来るかと誘う。私の所にいればその子とも一緒に居られるのだ。来なければ私は当然自分のペットを連れ帰る。こんな言い方は脅しのようだが、言わなければ当たり前の行動だ。いくら相手が御子でも簡単に最愛のペットを手放せるわけがない。それも何日も行方不明だったペットなのだ。一瞬たりとも手放したくなく、今この瞬間、御子の腕の中にあることが既に譲歩と言える。
彼は私の提案を了承した。その犬といるために私の傍にいる。頭が回っていそうになくとも、理解が浅くとも、現状を認識できていなくとも、御子が頷いた事実はとても重要。そして彼はふらつく足で寝台を下り、フェリクス様を支えに私のほうに近づこうとする。私の罪はあくまでテールマン伯爵邸への不法侵入。それも悪意ある動機ではなく、御子に危害を加える危険性は低い。何より御子自身の行動を一体誰が止められようか。そんな御子様にお体に障ると言いつつ、私が連れ帰ると主張する。フェリクス様も渋々といった様子で御子の意思を優先し、私たちの離宮に連れ帰ることを了承した。ただし私の拘束は解いてくれない。
ここですべきことはもうない。御子が離宮に行くことは決定された。大空さんもそのことに安心したのか、体力が限界に達したのか、フェリクス様の腕の中で意識を失った。それでもテールマン伯爵は言葉での抵抗を試みる。御子に聞かれると都合が悪いという認識があるのか。御子の意思が最優先なら意識を失ってからの交渉は無意味だ。
「神殿から預けられた御子様です。いくら国王陛下専属の騎士様と言えど、許容致しかねます。」
「そうか、ならば御子虐待の容疑で拘束しよう。証拠など御子様の証言だけで十分だ。詳しい調査は専門の部署が行う。私の拘束は一時的なものだ、安心すると良い。」
御子は彼らのために事実を隠したりしないだろう。それが彼にも分かったのか、それ以上何も言うことなく、私たちを見送った。
離宮に戻ると早速私は形式的な尋問を受け、結局御子救出の功績と帳消しという形になった。御子には治療が行われるが、一般的な治癒術で急激に治すというわけにもいかない。あれは患者の体にも負担を掛ける。弱っている状態の人間にそんな術を施しては死が近づくだけだ。栄養のある物を食べ、ゆっくり眠り、本人の回復力に頼ることとなる。世話はこの離宮の人々が主に行うだろう。同性の緋炎のほうが交流はしやすいかもしれない。それでも私も話す機会がほしい。他の人との交流も欠かせないが、大空さんと話す時間くらいは作れる。彼は今、私たちの離宮にいてくれるのだから。
ここでの生活は非常に都合が良い。フェリクス様も御子の様子を気にしているが、毎日様子見に来ることは難しい。信頼を勝ち取るには傍にいる私たちが有利だ。緋炎のおかげでもあるが、少しずつ話せる時間も長くなってきた。何より、再召喚されないよう彼に紅いピアスを着けた。詳しい話はもっと体調が改善してからにすべきだろう。
「この子、林さんのペットだったんだね。」
「そうなんですよ〜、可愛いでしょ?」
過ごしているうちに大空さんの置かれた状況を聞き出すこともできた。瘴気を体に取り込みすぎると様々な悪影響があることも確かめられた。今の体調不良はそれだけが原因ではないだろうが、しばらく地脈花に近づかないほうが良いことも確かだ。怪我も治りきっておらず、目も見えていないまま。可愛いという反応も自分に擦り寄ってくれている事実や柔らかな毛並み、鳴き声から感じ取ったものだろう。しかしここに来てから大空さんにはその犬が紅井緋炎だと教えたのに、完全に犬扱いだ。中身が同性だからあまり気にせずにいられるのだろうか。異性だったならもう少し体を撫でることや自分の懐に入れることに抵抗を感じたのだろうか。
話ながらも大空さんは中身が緋炎の犬の体に顔を埋めている。《豊穣天使》で作った特製の石鹸を使っているのだ。それはもう極上の肌触りだろう。地上の王国では手に入らない物をわざわざ持ってきているのだ。本物の犬と違って噛まれる恐れもない。犬扱いに苦情を入れられることはあっても、あくまで人間の理性で基本行動するため、よほどのことをしない限り怪我をさせられることはない。
「とっても愛されてるんだね、君。」
緋炎も犬の状態に慣れたようで、撫でられながらも寛いでいる。大空さんの魅力のおかげもあるかもしれない。私に撫でられても拒まない。こうして穏やかな時間を過ごせるようになったなら、王国から連れ出す算段もつけられる。道中で神殿派に襲撃される危険も考えられるため、大空さんだけは転移術で連れ出そうか。皇国まで一気に転移するなら、もっと体調が改善し、体力も戻ってからでなければ厳しいだろう。
離宮で大空さんに休んでもらえる期間はそう長くない。猶予は私たちが皇国に帰還するまでだ。その間は《紅炎》が彼にできるだけのことを伝え、犬の姿で傍に付き、休めるよう計らう。そうしてくれている間に私は導師と話す。
「果穂はいいね、緋炎がいて。」
導師に限らず、こういったことを言う人は勿論いる。地下の人間なら忠実な部下がいて羨ましいという意味にも取れるが、地上でそんな話をするだろうか。首を傾げていると導師は言葉を続けた。
「そのうち理解できるよ。いや、大切な人がずっと傍にいてくれる貴女には分からないかな。」
どこか含みのある言葉。大切な《果実婆》は私よりも先に世界樹へと還るだろう。《果実姫》も少し私より早いかもしれない。緋炎は部下として、相棒として、右腕として、友人として、これからも傍にいてくれるだろう。しかしそんな相手などある程度の地位に就けば誰でも抱えるものだ。《果実婆》にも自分の炎がいた。《秋風》も《鬼火》も頼りになる一番の配下を抱えている。私自身、《果実姫》にとって一番の配下だ。導師は何もいないからだろうか。得ようと思えば得ることができる。地上ではローデンヴァルト王がいる。それは配下と違うのだろうか。
私の疑問には答えられないまま、御子の様子を尋ねられる。傷は少しずつ癒えている。命の危機はないが、転移に耐え得る体調とまでは言えない。目はまだ見えないままだ。私たちの帰還予定日もまだ先。大空さんにも離宮で休んでもらう日々が続くだろう。
「少し協力してほしいことがあるんだ。神殿のことを調べてほしい。」
導師の権限で侵入できても一人で調査は難しい。王国の人間では神殿内部に口を出すと問題になる。そこで私の出番だ。導師と交流を深めるという名目でも、ローデンヴァルト王国に本拠地を置く神殿について知るという名目でも良い。御子の虐待が疑われる神殿について調査したい、ということらしい。
本題が終われば他愛ない話題が続く。情報交換だけと疑われることは避けたいのだ。一刻も早く調査に向かいたい気持ちを抑え、王国の空気感を知ることも大事と割り切る。
茶会を終え、私は神殿に併設される図書室へ向かう。文化を知りたい、空気を感じたい。一般公開の書庫なら特別な許可など必要ないため、ここから召喚関係の調査を始めよう。勿論、隠したい情報はここにないだろう。しかし彼らが想像しない情報の欠片を持っているこちらは上手く線で繋げることさえできれば、新たな糸口を得られる。成果が見えなければ少し危険を冒すことになるかもしれない。それまでしばらくの間は借り受けている離宮を拠点に動くこととしよう。
地上での調査は順調、一方大空さんの容態は進展を見ない。そんな中、事態は急変する。神殿騎士や神官の一部がこの離宮を襲撃したのだ。当然警護によって撃退されたのだが、御子を救出するのだと叫んでいたという点が気にかかる。武力を以て取り戻すことも厭わない姿勢を相手は見せた。長くこの場に留まらせることは危険かもしれない。早く連れ帰りたいが、今の彼の体力では長距離の転移は難しい。体調が悪ければその影響も受けやすく、距離が長いほど転移酔いも激しくなる。王都から最も近い国外はエーデルシュタイン公国。公国には《果実姫》の配下、彩羽学校の先輩でもある《暁光》がいる。そちらを頼らざるを得ないか。《秋風》も彼の体調を二の次にした前科がある。私の配下に任せられるならそのほうが良いが、彼が御子の担当になるとは限らない。それでも公国と王国は一時休戦中とはいえ敵対国。所在が知られても送り返されることにはならないだろう。武力を以て取り戻そうとすれば戦争が再開されるだけ。動きは慎重にならざるを得ない。
御子を離宮から連れ出すことはできない。いつ神殿関係者が襲撃してくるか分からないのだ。この場で皇国までの転移術式を描くことも避けたい。近い地下の特定の場所なら詠唱のみで転移が可能だが、その場合は地下に転移し、その後もう一度別の地下か公国まで転移する必要がある。今の彼に二度も転移なんてさせられない。やはり公国までの転移をここでする必要があるか。
一葉様にも伝えなければならない。御子はエーデルシュタイン公国に送る。皇国と公国の関係は悪くない。この非常事態だ。《果実姫》の配下がいることも伝える。彼は理解してくれるだろう。
「皇国には世界樹、王国には導師、公国には御子。良いんじゃないかな。」
王国に導師と御子が存在する状態となり、権威が偏ることは避けたい。そんな思惑もあるのかもしれない。一葉様の独断で御子の処遇を決定することにも問題はある。しかし時は一刻を争う。相談のために帰国している余裕はない。同時に早く報告は済ませるべき。御子の安全のためを理由に緊急だとして一時協力を仰ぐ形で、最終の所在に関してはエーデルシュタイン公国の大公と話し合わせてもらっても良い。結局、予定を早めて皇国に帰還することとなるだろう。緊急事態だ。そう伝え、国王に面会を申し出る。迅速に、神殿に見つからないように。急な面会の理由は伝わっているだろうか。導師が伝えたかもしれない。
一葉様が国王に伝えている間に、私たちは離宮でフェリクス様に今後の予定を伝える。やはり御子を国外へ連れ出すことには反対の姿勢を見せているが、安全第一という点に関してはどう考えているのだろう。神殿が御子を抱えていると分かっても介入できず、部外者に御子救出を依頼し、その後の居場所については御子の意思に委ねると決定した。それならば最後まで黙っていてほしいものだ。敵対国たる公国に渡すとなれば反対するだろう。
「神殿勢力は御子に執着を見せています。離宮にまで攻め入ろうとするほどですよ。貴方がただけで逃げ切ることは困難ではありませんか。」
「だけど御子を助けてほしいのでしょう?」
私たちだけでは困難かもしれない。だからせめて協力をするべきだ。避難先は教えない。どこから漏れるか分からず、御子の安全を確保できなかった実績のある彼らに教える危険は冒せない。具体的な協力は離宮に施された転移を禁ずる魔術を消してもらうこと。この決定権がフェリクス様にはなく、国王と交渉している一葉様に頼ることになる。転移すること自体は知られても問題ない。時属性に限らず、花梨様が発動できたように魔術に長ける人物なら発動することが可能だ。術式が見られなければ時属性も行き先も隠すことができる。
戻って来た一葉様から成果を聞かせていただく。国王から許可は得られたそうだ。転移実行の予定時刻も決まっている。やはりどこに避難させるつもりなのかと聞かれたそうだが、皇国でも王国でもない場所とだけ答えた。それで受け入れてもらえたことが不思議だが、今の王国で御子の安全を確保することが難しいと国王には分かっているのかもしれない。地下を知っている導師の助言もあったのだろうか。国王の決定があればフェリクス様も逆らえない。ここからは私たちの仕事だ。
「フェリクスさん、ここからは私たちに任せてください。分かりますね?」
国王が許可した時点でもうフェリクス様には食い下がれない。そんな彼を見送り、転移術の準備を始める。広い部屋を一つ借り、決して誰も入らないよう言いつける。内側から鍵も掛けた。これで外から開かれ、術式を見られる心配もない。転移する人は大空さん、白炎の一人と一匹。転移術の発動は私、補助は一葉様。転移術の発動で疲弊することも考えられるため、余計な荷物になりかねない私は送り出すだけだ。不法入国にもなるため、人の姿で行くことは問題になる。人間が衰弱している大空さんだけなら保護してもらえる。犬の姿でも《暁光》には緋炎が私の配下の一人だと伝わる。犬なら不法入国の問題にならない。大空さんの体力が問題になるが、町近くを狙うため、きっと保護が間に合う。
誰を送るか、誰が私の補助を行うか。それが決まれば床に詳細な術式を描く。集中して術式に魔力を込め、伝えた時刻が来るのを待つ。術式は必要最低限。万一に備え、大半を詠唱で補う。準備の間に一葉様には大空さんへの説明をお願いする。
予定時刻になる。長い詠唱を行い、転移術は発動した。一人と一匹は目の前から消えた。公国でも上手くやってくれるだろう。大空さんは犬の姿でも人の姿でも緋炎を離さない理由がある。どちらも交流があるのだ。傍に居続けることは難しくない。
「果穂さん、無理しないで。なるほどね、これが緋炎の言ってた君の傾向か。」
体に温かな力が流れ込んでいる。内側からも外側からも温められる。これに安堵する前に術式を消さなければならない。そう伝えれば、代わりに一葉様が消してくださる。見ている間にも体は疲れを訴えた。手伝わなければと思うと同時に休みたいという気持ちを抑えられず、一葉様の姿を見ながら横たわる。この体の温かさは一葉様の魔力によるものだろう。
「ゆっくり休んで。他には頼れなくても俺には言ってよ。これでも一応皇子だからさ、できることは他より多いと思うから。」
術式を消し終えた彼に声を掛けられる。確かに一葉様も頼れる人だ。しかし地上では皇子と一領主の侍女。頼って良い関係性ではない。既に転移術の補助を行ってもらった。後は自分で休めば良いだけ。休むために手を借りる必要なんてない。
「ごちゃごちゃ言ってないで休みな。食欲はある?お夕飯までゆっくり寝てて。手握っててあげようか?」
この人は寝室に入り込む気か。それこそ問題だ。手籠めにしたと言われかねない。それなのに当然のことをしているような顔をして自分の寝室に連れ込む。私の寝室に入り込むこととどちらがより問題だろう。本気で抵抗したならこの人は諦めてくれるだろう。一方でこのまま眠ってしまいたい気持ちもある。たった一人と一匹、たった一回の発動とは言え体に負担は掛かっており、今魔力が減っていることも事実。誰にも邪魔されず眠る場所を提供してくれるという意味では有難い。魔力はまだ不足している。一葉様の温かさと同時に、体の中に何かが欠けている空白がある。既に魔力を注ぎ込んでくれているというのに、さらに欲しいなんて言ってはいけないだろうか。
「良いよ。さっきのは応急処置だしね。」
失礼と呟き、口付けられる。これは私が悪い。触れ方は指定しなかった。皇国で見せかけるための動きやいずれ妻となる機会を得るための行動を繰り返していた。何か言うべきのような気もするが、今は魔力が足りていないせいで倦怠感と一葉様の魔力への意識が勝っている。
体に一葉様の魔力が満ちていく。空っぽな部分が埋められているような、欠けている部分が補われるような、全てを委ねてしまいそうになるほどの誘惑を感じられる時間。それらが過ぎ去れば、確かに魔力不足の体は楽になる。緋炎に補ってもらった時のような熱さではなく、眠くなってしまうほど心地良い温かさ。それに身を任せてしまう前に、これが言い逃れの出来ない事実となることを認識する。皇国内でなかったことが幸いだ。一葉様が協力してくれれば隠し通せる。問題は自ら進んで寝室に連れ込んだ人に隠す気があるかという点だ。以前皇国での星見会にも私を連れていき、緋炎に誤解させるためとは言え、人前で思わせぶりな行動を取っている。既成事実を作られても良いかどうか、もう一度よく考える必要がありそうだ。そう思いつつ、疲れ切った体は心地良い眠気に抗えなかった。




