意外な仕事
《林檎》視点
木々を彩る紅葉が落ち、凍てつく風が吹くようになった頃、沙汰は下った。結論から言えば、私たちの主張は概ね受け入れられた。これは《時計》の機転あってのことだろう。手足に拘束された痕があったと証言してくれたのだ。眠っている所を拘束してしまえば老人でも二人を殺害することが可能だと認められたのだ。悲鳴は気付かなかったと押し通した。一部何も知らない使用人が夜中の悲鳴について証言したが、皆気付くだろうとそのまま眠ったとも言っており、翌朝の悲鳴を聞いて特に報告する必要はないと判断してくれた。何も事情を知らない人の証言だ。全員が全員そのまま眠ることを選んでもおかしくない。結果、老執事だけが罪を被ることになった。もう彼は二条邸に生きて帰って来られないだろう。
それに関連してか、一ノ瀬邸に花様は呼び出された。しかし会う相手は皇帝その人。その場には一葉様もおられ、背後には緋炎も控えている。
「先日、導師と会ったそうだな。」
導師は世界的な権威。皇国では然程信仰を集めているわけではないが、丁重な扱いが必要な、敬意を払わなければならない相手とは認識されている。そんな導師と先日、一葉様は会って話す機会を持ったそうだ。そこから、ローデンヴァルト王国との友好を深めようという話になったとか。
「そこで、君たちにお願いしたい。」
一葉様の推薦だと言う。王国には学友のフローラ様もおり、特に花様は積極的に交流されていた。そこを買っての打診だ。一葉様と花様が親善大使として向かわれる。その付き人として緋炎と私も同行することになるだろう。大陸にも興味はある。特に王国には何の伝手もない。《人形士》が向かうことはあるが、あくまで部外者の立場だ。定期的な連絡がこちらに入るわけでもない。自分の目で見てみることも必要だろう。
それなのに花様は渋る。老執事が抜け、その下の者が全体を統括する執事に昇格したのだ。もうすぐ引退するつもりで準備をしていたという話はあったそうだが、それでも周囲からの噂もある。花様が領地どころか皇国を離れることは避けたい。今行くことは難しい。そんな言葉から今回は名誉なことだが断るのかと思えば、私だけ向かわせるとの返事だ。もう私が常に傍にいる状態でなくとも仕事できる体調なのだろう。そうだとしても不思議な返答ではあるが、上の人たちが決めたのなら私はそれに従うだけだ。
二条家のことは私の心配することではない。花様が春仁様と二人で大丈夫と言うなら彼女の指示に従い、ローデンヴァルト王国に向かう。準備をし、一時的に一葉様の部下になることも共有する。そして何ら問題なく出立の日を迎えた。皇帝から、一葉様、その付き人として緋炎と私が同行することを命じられている。名誉なことでもあるのに緋炎はこれに少し気になる点があるそうだ。私が一葉様に指示したと疑っているのだろうか。確かに王国での知り合いが増えること、私自身が王国をこの目で確かめられることは利益だ。それでもわざわざ頼むほどではなく、二条家で事件が起きている今することでもない。行けるならついでに知り合いでも増やそうか、王国の雰囲気を肌で感じようか、あわよくば未だ行方不明の御子の手掛かりを掴めないか。その程度だ。
ローデンヴァルト王国に向かう船の上、簡単に王国について再確認する。現王は若くして王となっているが、その原因は先王が先のエーデルシュタイン公国との戦争で戦死したこと。その現王の直属騎士の一人がフローラ様の兄君。もしかしたら今回挨拶する機会もあるかもしれないとのこと。それから最も欠かせない情報が導師のこと。建国以来常に王の傍らに立ち、王国に本拠地を置く神殿で崇められる。それにも関わらずあまり神殿には寄り付かないとか。気軽に市井を歩き、何者にも縛られない。この世で最も自由な方と言われている。
船上での数泊の後、無事大陸に足を踏み入れる。顔色の良くない一葉様はすぐに休ませてもらったほうが良いだろう。船には慣れているはずだが、大海原で何泊もすることはなかった。これには体が慣れていなかったのだろう。宿の心配は要らない。今回は賓客としての扱いのため、離宮の一つを貸し与えられる予定であり、港まで迎えも来ている。もっとも、離宮に着くまでの間にも数泊が必要になるが、その宿の手配もしてくれている。私たちがしなければならないことはない。緋炎が多少の世話をするくらいか。国王とその婚約者に面会するまでの間に街の様子を自分の目でも確かめたいと一葉様は言っていたが、この様子ではそれも難しそうだ。私たちが代わりに感じてほしい。そんな頼みを聞く形で、喜んで港の酒場を呑み歩く。
酒は舌を滑らかにしてくれる武器だ。情報収集の常套手段の一つ。酔っ払いたちの相手をしつつ他国からの客ということで、この国について教えてもらう。良い気分になって自国自慢から始まり、現王への称賛と未来の王妃への期待を語る。何でも現王の婚約者候補として最も有力な令嬢がフローラ・フィヒター様で、もうすぐ婚約発表されるのではないかと噂されているそうだ。よほど国民から慕われているらしい。国家への反逆心はなく、小さな不満はありつつも概ね満足している。
「ラインハルト陛下、万歳!フローラ陛下、万歳!」
深酒をしているようだ。フローラ様はまだ陛下ではないどころか婚約者にもなっていない。同じ話を繰り返し始めたため、今日の調査はここまでにして、私もこの時間を楽しむことに専念しよう。王国の酒も美味しい。皇国では自分の果樹園の果実酒ばかり飲んでいたが、たまには違う酒も良いものだ。もっとも、これも果実酒ではある。ただし甘味は普段飲んでいる酒のほうが強い。何かを食べながら飲んだほうが楽しめそうで、飲みすぎは防げるかもしれない。
「飲みすぎんなよ。誰が連れて帰ると思ってんだ。」
寝てしまうのは緋炎のほうだ。私は酔っても良い気分になり、少し足元が怪しくなるだけで、その場で眠ってしまうことはない。一度眠ってしまってからは気を付けているようで、今はもう水を飲んでいる。追加で頼んだ酒もすぐ届き、少々渋みはあるもののこちらも美味しい。酔った舌にも分かる味で、ゆっくりと呑み進められる。飲み込んだ後にも味が残り、飲み過ぎを抑えてくれそうだ。こちらの酒はその辺りを考えて開発されているのだろうか。
肴も美味しい。皇国とはまた違った物だが、味のメリハリがはっきりしている点は同じ。特にチーズやバターの味付けの物がこの店には多く、それがこの酒と非常に合っている。酒と一緒でなくとも美味しいだろう。それなのに緋炎はどこかを見ていて、食べる手が止まっている。美味しいのに食べないのだろうか。そう勧めれば心ここにあらずの様子で、適当な返事をした。聞いているのかと問い詰めようとすれば、ちょっと行ってくると席を外してしまう。そのうち戻ってくるだろう。その前に私が食べ切ってしまっても、残しておいてくれとも言わずに行ってしまった彼が悪い。どうしても食べたければもう一度同じ物を頼めば良いだろう。酒と肴を楽しんで時間を過ごしていると彼に呼び寄せられた。その席にはもう一人男性が座っている。濃い紫の髪と桜色の瞳が印象的だ。
「初めまして、お嬢さん。桜庭葵だ。よろしくね。」
皇国の人だ。同郷ということで緋炎も話したくなってしまったのか、様々なことを聞いていく。私たちも自分のことを話していく。その中で桜庭さんの仕事の話も聞けた。数年前から王都の神殿に勤めているそうで、色々と苦労があるようだ。白で統一された静謐な空間は心が洗われるような、落ち着かないような気分になるとか。遊びに行く場所でないことは確かだろう。
王都で会うこともあるかもしれない。そう別れを告げ、今夜の偵察は終了だ。良い出会いが会ったと明日、一葉様にも聞かせてあげよう。
数日をかけ、馬車で王都近くの離宮に到着する。馬での移動は慣れているはずなのに、馬車で移動し続けた一葉様は少々お疲れの様子だ。安全のためあまり窓も開けられなかったことがより疲れさせたのかもしれない。城下も歩くには事前に伝え、警護の問題を解決する必要がある。外出できるのは早くても明日になるだろう。その代わり充実した庭や設備が離宮には用意されている。休憩を兼ねてその散策を行い、夜には緋炎と二人、城下に出掛ける。今夜は桜庭さんと約束しているのだ。王都への到着予定日を伝えると、また会って話そう、店も予約しておくと言ってくれたのだ。
待ち合わせ場所は王都にある公園。そこから案内された先は高級な飲食店だった。個室に入った桜庭さんは興味深い話を始める。数年前に現れたという浄化の力を持つ御子の話だ。大空さんなのか、別の御子が大陸にいるのか。
「現れたって話が出た当初には時折庭に出て、酷く寂しそうにされていたんだけど、ここ一年ほどお姿を見かけることもなくなっていて。」
御子の話はあまりしてはいけない、特に導師には伝えるなと指示されているそうだ。一般の神殿騎士には通常隠され、御子の意思で抜け出した時にだけ姿を見ることができる。外見上の特徴を聞けば、小柄な少女ということで、おそらく大空さんとは別人だ。ただし小柄に見えたのは座っていたからで、立てば背が高い可能性はあると言う。そうだとしてももう少年とは言えないだろう年齢のはずだ。まさか少女には間違われないだろう。
その御子が大空さんであれ別人であれ、手中にあるのに隠す意味は分からない。いや、千秋先生も隠そうとしていたか。それでも神殿という宗教施設において、その敬愛するはずの導師にも隠せ、特に隠せ、というのは不自然に思える。その上、隠せと言われていることを出会って間もない、国外の人間である私たちに伝える点も疑問だ。一方で彼が嘘を吐いているようにも見えない。神殿が導師に知られると困るような悪巧みでもしているのだろうか。事の真偽をここで付けることは難しい。真偽不明として導師に伝えることくらいならしてみても良いか。そこで確かめてもらおう。私たちとしては興味深い話を聞いた、という情報だけを共有する。本当に何かあったなら導師に恩を売る形にもできるだろう。事実確認に協力する過程で御子を手中に収める機会も得られるかもしれない。何も危険を侵す必要はない。ただ一言伝えれば良いだけだ。
「王国内で召喚したという噂もあって。王国では如何なる召喚も固く禁じられているのに。」
ますます興味深い。神殿が導師の禁じている召喚を行い、導師から御子を隠している。仔細を聞きたいと言うだけで、桜庭さんは安堵したようにさらに話してくれた。
神殿騎士の試験に合格し、何事もなく日々を過ごしていた。そのうち、厳重に守られた区域があることに気付く。そこには新人どころか彼の教育係を担う先輩騎士も、そのさらに先輩の騎士も立ち入りを許されない。王国の生まれでもない桜庭さんは導師や神殿への信仰心が薄いらしく、その中を何度も覗き込んでいたそうだ。なぜ神殿騎士になったのかという疑問はあるが、それについては何も尋ねず、話の続きを促す。
立ち入り禁止区域に侵入した桜庭さんは御子の姿を見た。木に凭れ、虚空を見つめていた彼女は寂しそうだった。大きさの合わない白い布地に身を包み、肩回りだけでなく全体的に華奢な体に見えた。弱っているような体で振り向いた彼女は自分に手を伸ばしたが、他の神殿騎士が迎えに来てしまい、何もできなかった。その時の彼女の様子は助けを求めているように見え、御子という信仰対象ではなくただの人に感じられた。
御子を手中に収めることは大きな意味を持つ。権威的な意味もあれば、救世のために尽力していると示すこともできる。雑事に煩わせることなく、瘴気の浄化に専念させる。そうできるだけの環境を整えた功績を誇示できる。御子の覚えが目出度いならできることも増えるだろう。そうと決まれば救出作戦を立てるための情報共有だ。大空さんなら行方不明の間のことも聞きたい。万城目家と十六夜家への連絡も必要だろう。見れば分かるが、私も緋炎も彼も使用武器は剣。彼も神殿騎士なら戦力として期待して良いだろう。彼は魔術も不得手ではないようだが、水属性では少々相性が悪いか。共闘するなら私の属性も必要なはずだが、私たちの隠したい様子を感じ取ってか、聞かずにいてくれた。
次は御子自身のこと。とはいっても情報は少ない。適性属性は当然だが聖属性。御子だけが使える浄化の力も行使できるそうだ。一般の人どころか神殿関係者にも滅多に姿を見せず、運良く見られても声を掛けることはできない。現在は神殿から与えられる教育を享受しているとの話になっているそうだ。本人は寂しそうにしていた、桜庭さんに手を伸ばした、ということだが、直接話をしたことはないと言う。接触できる人が限られているそうだ。神殿側としては懸命な判断だろう。良いように使いたいなら余計な情報は与えるべきではない。私たちもそれを利用させてもらおう。御子は何も知らない。現状に不満を抱いているのなら、外からやってきた救いの手に縋るのではないだろうか。
情報を共有でき、協力者が増えれば現実的な作戦も立てられる。ここからが本番だ。そう前向きな姿勢を見せれば、桜庭さんは感極まった様子を見せた。
「二人共、ありがとう。俺の心の棘が抜けそうだ。」
一見しただけの御子をよほど心配していたのだろう。自分一人でも助けるつもりだったとして、神殿内部の情報も教えてくれる。神殿騎士という立場を最大限に活かしての調査だ。もちろん見つかれば処罰は必至。何かあった場合の備えも用意しておこう。御子一人のために自分の職を賭けられる人なら地下に取り込むこともやぶさかではない。内部構造もある程度までは私たちも見学という名目で調べられるだろう。その際に自分たちの目でも確かめさせてもらおう。彼の情報はそれだけでなく、神殿騎士の巡回当番やその道順についても含まれている。これらは御子を連れ出すに欠かせない情報だ。
連れ出した後は闇夜に隠れ、人混みに紛れて町を後にする。御子は荷物ということにしても良い。小柄な少女ならそれも可能だろう。ただし荷物と言い張れても目立ちはする。日常生活で持ち運ぶ大きさではないのだ。神殿騎士の立場でこれもどうにかならないだろうか。
「難しいな。事前申請が必要になる。勿論、中身のほうも。」
残念だ。そうなると御子を連れて、顔を見られないよう気を付けつつ速やかにその場を離れる必要がある。この町に隠れて滞在するという選択肢もあるが、監禁場所が変わるだけの結果に終わるだろう。そこで私たちの出番だ。御子を国外に連れ去る。そうすれば王国から追うことは難しい。私たちが連れ去ったという確証がないのに追求すれば外交問題になる。確証を握られれば皇国側が不利。見つからないように同行させれば良いだけのことだ。当然事前に一葉様に相談するつもりでいる。一葉様も御子を手中に収めることの重要性は理解するだろう。
そうなると問題は道中の安全だ。御子の不在に気付けば奴らは確実に追っ手をかける。私たちなら守り切ることも不可能ではないが、証拠を握らせてはならず、全面的に敵対すべきでもない。まだこの国でやることもあるのだ。その間は隠れて待ってもらう必要がある。ただ桜庭さんは一刻も早く御子を連れ出したいだろう。
「導師様も召喚を好まれない。御子様への仕打ちも認められないだろう。導師様の協力も仰げないかな。」
召喚を嫌う理由は、召喚される側に拒否権がないこと、選択肢もないこと、脅して従わせることも簡単になってしまうこと。全てを捨てさせ、全てを搾取し、自分たちにとって都合の良い駒にできる。それが導師は嫌いらしい。丁重に扱い、それが結果として召喚された者にとって良いものとなっても、結果論に過ぎない。家族や友人、故郷が恋しくなることだって考えられる。その可能性を無視して、彼らの意思に反して全てを賭けさせる点が、導師の最も嫌う部分だ。そのような理由から召喚は嫌うが、召喚対象には同情的。被害者であり犠牲者。そう見るのだ。
一葉様に相談し、導師に面会を申し込もう。国王にも伝えるかどうかは一葉様次第。協力を得られればある程度なら黙認してもらえるだろうが、確保した御子の身柄を求められるかもしれない。その点をどう判断するかだ。
次の行動を決め、桜庭さんと別れる。離宮へと戻れば、早速相談だ。眠っているようなら明日でも良いが、御子監禁の話が本当なら事は急を要する。ここではあくまで皇子とその侍従と預けられた侍女。態度や言葉遣いには気を付けなければならない。
緋炎から繋いでもらえば、幸い一葉様はまだお休み前だった。桜庭さんからの話を要約して伝えれば迷ったような様子を見せる。やはり国王に伝えるかどうかは迷うところか。連れ帰ってしまうのも良いが、教えて御子を引き渡し、恩を売るのも良い。
「隠して見つかった時が一番まずいから、伝えようか。明日会えるし、その時に伝えよう。導師様はいないかもしれないけど。」
翌日の面会。得られた機会を無駄にはできない。私たち三人は王宮へ向かい、御子の件を伝えるため、私も国王の待つ部屋へと向かった。御子の件がなければ私や緋炎が国王との挨拶に同席することは難しかったかもしれない。
国王と、その傍らに立つ人物が導師。導師のはずなのだが、どう見ても《公爵》にしか見えない。ともかく、国王とは学校での関係性もなく、地下での繋がりもない。失礼なことをすれば何の見逃しもしてもらえないだろう。そんな緊張感の中、互いの自己紹介は始まった。
「初めまして、星合燐だよ。」
一葉様に対しても初めましてと言った。皇国には来ていないことになっているようだ。両耳のピアスも地下の上位者であることを示している。驚きつつもここでそれは追求できない。国王の隣に導師は立ち続けているという話もあるが、その行動全てを把握しているわけではないのか、それとも表向き初対面とすることに同意しているのか、何の反応も見せない。一葉様から紹介される形で、今回伝えたいことの説明も任された。このために同席しているのだ。そう桜庭さんから聞いた御子の話を二人に伝える。この現状は事実なのか、彼らに確かめたい。
「御子、だと?見つかったのか。」
何も知らないらしい。以前皇国にいたことも伝わっていない。行方不明を伝えないのは大きな失態だからか。御子を失うことは世界の損失。そんな不祥事を自分から外には伝えない。世界にただ一人しか見つかっていなかった御子がもう一人見つかったのか、それともこちらから召喚されたから皇国の御子がいなくなったのか。召喚対策も保護した御子には行おう。
神殿の御子が皇国の御子と同一人物かは不明。現状、共通点もない。皇国の御子は男性、王国の御子は少女という話だ。一方、同一人物であれ、別人であれ、御子が存在するなら隠されていることは確定し、召喚されたかどうかも調べる必要は生ずる。王国では召喚が禁じられているのだから。もちろんローデンヴァルト王は私たちの話を鵜呑みにはしてくれない。神殿に調査の手を伸ばすことにも様々な障害があるようで、その点も一瞬渋って見せるが、続く言葉は色良いものだった。
「導師が神殿に立ち入るのに一体誰の許可が必要か。導師が客人をもてなすと言っているのに、私が止められる道理もない。」
つまり導師が直接私たちを案内してくれる、と。導師の意思であれば王は口を挟めない。それをわざわざ私たちに教えてくれた。笑みが零れそうだが、必死に耐える。ここは自我を出すべき場所ではない。
行動が制限される王とは対象的に、導師は気の赴くまま行動できる。そう私たちと一緒に部屋を出て、離宮にも同行してくれる。しかしその空気は重い。
「人が言うほど私の権力はない。全部ローデンヴァルトに託したから。」
導師自身は権力を捨てた。同じ者が握り続けると腐敗してしまうから。ローデンヴァルトが腐らないように見張っているだけ。助言を求められた時も思考の助けになるような問いに留めるよう意識しているそうだ。
離宮の一室で早速本題に入る。皇国に連れ出したとして、御子の安全確保が最大の問題だ。監禁場所の変更にならないか、自由の制限が続く事態にはならないか。導師は御子の自由に強い関心を示す。一葉様も王国にいるよりは皇国にいるほうが自由を確保できる、自分たちでは皇国にしか連れ帰れないと伝える。皇国の御子と王国の御子が同一人物なら故郷に帰るだけのこと、別人でも万城目家が上手く計らってくれるだろう。実際には地下の私の領域に連れ込むことも、《果実姫》の配下がいるエーデルシュタイン公国に連れ去ることも可能だが、これは導師にも王国の人間にも伝える必要のないことだ。
完全に信頼してくれた訳では無いような導師だが、私たちが贈り物として持参した果実を出せば、満足そうに食べてくれる。《豊穣天使》の果実なのだ。美味しいに決まっている。私も食べ慣れたそれに舌鼓を打ち、離宮を後にする。
移動方法は馬と馬車。導師も馬に乗れるそうだが、立場の問題があるのか、馬車のことが多い。一葉様も今回は馬車だ。その二人と同乗することも許されないわけではないが、基本はしない。特に神殿へ向かうのに導師と同乗は良い顔をされないだろう。私も一人で乗馬か。今回ばかりは仕方ない。私も乗れないわけではないのだ、あまり気乗りしないだけで。まさか導師と一葉様の前で嫌そうにもできない。そう諦めていると小声で緋炎が同乗を提案してくれた。私たちは護衛ではない。守れるよう動きやすい姿勢を維持する義務はない。有り難く受け入れ、馬車に続いて移動する。
「この後何が起こるか分からないし。はい、あーん。」
私が魔術で加工した鞄から出された果実は《豊穣天使》自慢の逸品。一口大の苺で、魔力を少し補給できる。育てるのに時間がかかり過ぎ、採算が取れないことが難点だが、その点は現在改良中だ。早くに収穫すると青臭さが勝ってしまい、美味しく食べられないという欠点を持っている。
馬上で果実なんて食べるべきではなかったか。周囲からの視線を感じる。それとも緋炎の手から食べたからだろうか。これは私のせいではない。口元に持ってきた人が悪い。そう苦情を入れると、特に甘そうに仕上がっている一個は食べられてしまった。その上、次の一個は私に差し出す。これも美味しくはできているが、まだ品質のばらつきも大きい。まだまだ商品として売り出せる代物ではない。それより私が魔力を補給できても、果実を取り出すために緋炎がそれ以上の魔力を消費してしまっては意味がない。新鮮な果実が何個も鞄から出てくることも不自然だ。この辺にしてもらおう。
小さな口論もしつつ、無事神殿に辿り着く。神殿の中では勿論注目されたが、声はかけられなかった。導師効果だろう。御子の間という場所があるらしく、その近くまで案内されても止められない。御子の間の扉は導師と神官の一部にしか開けられない。しかしその導師もここにいる。何があったか分かるかもしれないと期待して、導師は扉を開く。中に御子はいない。ただ真っ白な部屋に、人間が入るほど大きく真っ白なチューリップの花弁があるだけだ。
「何があったのか、知りたいね。」
導師には私の魔術行使を知られても問題ない。そもそも《公爵》なら属性も知っているだろう。一葉様にも属性を教えている。緋炎にも見られて良い。しかし他の人には見られたくない。そう導師と一葉様に見張ってもらい、この六年間で習得した過去見聞術の準備を始める。練習の際には意識を失ったこともあるためか、緋炎は激しく反対した。それでも強引に止めることはしない。できなかったのかもしれない。前回のように支えてくれるつもりなのかもしれない。念のため何かあった時は頼むと言ってから、魔術を発動した。
意識が落ちていく。闇に包まれていく。光が満ちていく。チューリップのような地脈花を中心とした召喚術式が紅い光を吸い込む。周囲の大勢の術士が倒れ、姿を消した。術式の中央、地脈花の花弁の中には大空さんが横たわっている。記憶にある通りの姿で、眠るように倒れている。目を覚まし、周囲を観察し、戸惑った表情を浮かべる。彼は地脈花から逃れ、扉へと向かう。その扉を開けようとするが、びくともしない。手が白くなるほど取っ手を強く握り、押したり引いたりを繰り返し、体もぶつけるが一向に開く様子はない。諦めたのか、疲れたのか、座り込んだ。どれほどの時間が経ったのだろう、その扉は突然開いた。彼も力の入らない体でその隙間から出ようとするも神官に止められている。振り切ることもできず、その場に留められた。何か言い合っている。彼は連れ出された。
体が熱くなり始める。扉から戻ってきた彼の服は一部紅く染まっている。その体で地脈花の中に落とされた。焦点の合わない目を瞑り、涙を零す。拭うこともせず、荒い息を吐き出した。
熱が出ている時のような熱さが体を支配する。ぼやけた空間の中で、彼は神官を見上げている。地脈花の中に水が注がれる。彼は口を大きく開け、慌てて花弁の外に出ようとする。しかし神官はそれを押し留め、何かを言い聞かせている。地脈花からは水が零れていた。
焼けるように体が熱い。彼は地脈花の中に眠っている。弱々しい息を吐き、横たわっている。神官が見下ろしても何の反応もない。そんな状態だと言うのに神官は冷徹な表情で何かを話している。嘲笑するように、見下している。彼の様子は変わらない。神官が彼に手を伸ばした。彼の呼吸が一時的に止まった。神官が彼から手を離すと咳き込み、また息をしているのか心配になるほど胸の上下は小さくなる。
全身の熱は冷めない。それなのに手足は冷え切っているように感覚が薄い。呼吸も苦しい。自分の心音が聞こえる。胴体も一部圧迫されている。意識して息を吐けば、徐々に楽になっていく。耳元で聞こえる深呼吸が自分のものでないことも分かる。《紅炎》に支えられ、床に寝かされた。上手く力が入らず、大丈夫と起き上がることも難しい。魔力不足の症状の一つだ。自分の体を構成する魔力に手を出し始めた初期の症状だ。疲れている時などと同様に休めば治る。何も心配要らないが、私の隣に寝転んだ《紅炎》は心配そうな表情を浮かべていた。
「無理する前にやめてほしいんだけど。魔力尽きたらどうするんだよ。」
私と同じように酷く疲れている。周囲には瓶が何本も転がっていた。中に何が入っていたのかは推測できる。この熱い体はきっと《紅炎》の魔力を受け入れた結果だ。過去見聞術を発動中の私は魔力補給用の果汁を自力で飲めない。《紅炎》が私に魔力を注ぎ込み、果汁を飲み、また注ぎ込み、と繰り返してくれたのだろう。
「大量に送り込んだ場合どうなるかなんて分かんねえぞ。」
そんなことを言いつつも握った手から送り込まれる魔力のおかげで、手足の温度も戻ってきた。もう魔力は必要ない。《紅炎》が補給してくれたおかげで枯渇しなかった。私が消える心配はなくなった。後は休めば良いだけ。彼の魔力残量も心配だ。この体の熱が全て彼によるものなら、相当使っている。果汁で補給していたとしても、随分消耗したはずだ。
「そのくらい自分で把握できてる。気にしなくて良い。俺よりお前のほうが大事なんだ。」
彼個人という意味か、立場の問題か。それを問う余力はない。慣れない魔術を使用し、集中力もいつも以上に必要だった。魔力も大量に消費した。魔力ではない温もりを感じながら、眠りに就いた。




