救いの手は掴まれた
《鬼火》視点
地上での用事を済ませ、地下へと帰還する。自宅に《花》の姿はない。散歩に出かけても問題はないが、少し心配ではある。そう近所を探してみれば、彼女を誘う男たちがいた。《鬼火》の物に手を出せばどうなるか、彼らが知らないはずはない。そう隠し持った短刀をその体に突き立てる。
「そういうことは相手を選ぶんだな。」
この地下で配下に手を出され、黙っている上位者などいない。《秋風》もその肉片が残らないほど切り刻み、《果実姫》も家畜の餌にするだろう。それにも関わらず言われて初めて上位者の意味を知ったかのように、奴らは怯え始める。一人への危害だから一人の命で償うとも言った。随分と軽い代償だ。見つからなければ何も対価を差し出さない、見つかれば自分たちが狙った程度だけの犠牲。それも既に死んだ人間を生贄に捧げる、実質何も差し出さないという宣言だ。この地下の支配者がそんな甘い発言を許すものか。
指笛で配下に合図をする。これで少しすれば捕らえに来てくれることだろう。その間も黙って許してやるつもりはない。命で償うなら、一人一人がその命を差し出してくれなければ。そう短刀を投げつける。恐怖でまともに足も動かない人間などただの的だ。死にはしなくとも自力で立ち上がれず、攻撃も加えられないなら無害だ。そう《花》を抱き締めた。
「怪我はないか。」
震えて声も出さずに涙を流す。怖かったことだろう。地上でこんな目に遭ったことなどないはずだ。襲ってくる輩がいても護衛が傍にいる。こうして刃物を突きつけられる状況など用意されるはずがない。膝も擦り剥いている。逃げようとして転んだか、引き摺られたか。いずれにせよ手当ての必要がある。消毒して、布を巻いて、と説明だけ先にしてあげよう。
落ち着かない《花》を宥めている間に、ようやく到着した《狂犬》にここの片付けを頼む。短刀も回収してもらおう。今度詰め所に寄った時に返してもらえば良い。今は《花》を連れ帰ることが優先だ。
「僕は掃除屋じゃないんですけどぉ〜。てか皆使い物にならないじゃないですか。ちょっとくらいは残しておいてくださいよ。僕の玩具がなくなっちゃうでしょ!」
彼女には理解できない発言だろう。彼の言葉をこれ以上聞くことも彼女にとっては衝撃的で、受け入れがたいものが続きそうだ。そう返事も適当にし、彼女を抱き上げる。しかし体は強張ったまま。何かを言いかけては止め、と俺を見つめている。先程の光景には言いたいことも多いだろう。地上では到底許されることではなかった。言い淀む彼女に促し、その内容を聞き出す。
「あんな、軽い調子で、物みたいに、」
上手く言葉が出てこないほどの衝撃。それが地下の秩序だ。あの危険が彼女を襲う心配はない。彼女の身はこのピアスが守ってくれる。大丈夫、大丈夫、と抱き締め、声を掛け続ける。俺が《鬼火》だ。この地下の支配者の一角、上位者|《鬼火》。俺の物に手を出した時の罰は知られている。相手がたとえ《秋風》の配下でも《果実姫》の配下でも今回のような報復は容認される。自分でも同じことをするからだろう。
不安の消えない彼女に手当てを施す。年少の子の世話なら孤児院で慣れている。気休め用の薬も塗ってあげた。何もしないより治ると思えるだろう。しかし彼女は手当ての間も不思議そうにその様子を見ていた。
「仕事じゃないのにどうしてこんなにしてくれるの?」
彼女にこうして接する相手は皆仕事だからという理由のみだったのか、彼女が彼らの仕える心に気付かなかったのか。彼らと言葉を交わしたことのない俺には判断が難しい。この理由を教えることも難しい。彼女の心を捉えるためとも言えるが、協力してもらえるようにと言えばただの打算になる。窺い知るほどに同情的になってきている自分がいることも確かだ。
一言で説明できず、長く説明しても彼女の望む言葉にはならないだろう。そう答える代わりに今後の予定を説明する。彼女が次に地上へ行くのは来週。皇女からの協力は既に取り付けた。待ち合わせ場所への道も確保している。予定時刻に俺たちがそこに行けば、彼女が二条家の主人だ。
怪我など忘れたように彼女は表情を明るくしてくれる。今なら食事も十分に取れるだろう。しかし気分が上向くことと食欲は一致しないらしい。
「食事なんて要らないくらい元気だよ。」
気が逸って空腹に気付いていないだけだろう。それとも緊張と環境の変化で食欲がなくなっているのか。いずれにせよ食べやすい物にしてあげたほうが良い。彼女はどんな物が好きだろう。そう買い物に出ると伝えると、彼女は焦った様子で俺の腕を掴んだ。置いて行くつもりなどない。そう微笑み、手を引いていく。目指す先は商店街。地上とは少し異なる雰囲気なだけで、人々のやり取りや生活自体はそう大きく変わらない。細部を見ればよく似ているが別の種類の果実も野菜もある。そういった物に興味はあるだろうか。
見つめる彼女は返事することも忘れている。一つ食後に剥いてあげよう。そう持たせてみる。剥かれる前の状態を見ることも珍しいのかもしれない。これも見た目は少し毒々しいが、甘く美味しい物だ。まずはこれ、と他にも食材を購入し、自宅へと帰る。調理している間も小さな子どものようにじっと見つめていた。そしていざ食べると、もっと良い物を食べているだろうに、極上の料理を食べたかのように喜んでくれる。
「美味しい!おかわりしたい!」
お腹が空いていないと言っていたことが嘘のようにぺろりと平らげてくれる。食後の果実は、と聞いた言葉はもう聞こえていなさそうだ。安心しきった微笑みで眠ってくれていた。
緩やかで穏やかな一週間。これは嵐の前の静けさだ。彼女が跡を継げば、しばらくの間は忙しく、周りは騒がしくなることだろう。その覚悟は彼女にもできている。そう約束の場所へ連れて行く。儀式の場までの案内は一華皇女。どちらも緊張した面持ちで会場へと向かっていく。花一郎も地下にいる時のような緩んだ表情ではなく、これから二条領主になるという意識で張り詰めている。
儀式の会場。先に待っている相手が現二条領主。しかし一華皇女はそれに見向きもせず、花一郎を抱きしめた。
「花ちゃん!無事で良かったわ。」
一週間も行方不明で心配だとか様々な優しい言葉を投げかけているが、俺には鋭い視線を寄越す。現二条領主は俺にも花一郎にも刺さるような視線だ。しかし彼女はそれにも怯まず、堂々と立ち向かって見せた。
「貴方は今のままの二条家で良いとお思いですか。我が子を守り育めない親で良いとお思いですか。自分の都合を押し付けるだけの者が蔓延る二条家が領民を守れるとお思いですか。」
彼女は彼らの扱いをそう感じていた。しかしその点を深く追求することなく、彼女は次の言葉を続ける。
「鳴海さんとならそれを変えられる。だからその座にいつまでも縋りつかず、次世代に譲るべきです。」
支配されていた子どもではない。もう無力な立場ではなくなった。次は花一郎が従わせる立場になる。それが言葉からも態度からも分かる。あの地下での一週間は彼女にとって良い休養になったようだ。
今の彼女なら共に戦える。そう感じられる頼もしい姿だが、そうやって自立することが彼には面白くないのだろう。
「花一郎、よく聞きなさい。お前は騙されているんだ。その人はお前の味方ではない。子ども一人騙すくらい造作ないことだ。」
今まで彼女の人生を操ってきた人間が何を言っているのか。彼女が彼らを信じられないから今のような事態に陥っている。今更何を言っても彼女は考えを翻さない。彼女の声を黙殺してきた人物と、その声を聞き願いを叶える人物。どちらが信じてもらえるかなど明白だ。
「貴方も自分の目的のためなら身内ですら差し出せる鬼でしょう。」
毅然とした態度で返す花一郎。今まではこんなことを許さなかったのだろうか、彼は驚き、不快な表情を隠さない。皮肉なものだ。地下で《鬼火》の名前を持つ者は頼りにされ、地上のただの人間である彼が鬼呼ばわりされるなど。
怯んだ彼を置き去りに、花一郎は一華皇女に儀式の開始を要求する。しかし一華皇女もこの婚姻に反対した。
「その人は貴女を利用しようとしているだけよ。ねえ、どうか冷静になって考え直してみて。」
一度は認めたからこの場が設けられている。それを直前になって翻そうとしている。その上、彼女の言葉は花一郎が焦り、冷静でないまま事を進めていると批判しているようでもある。親しいのなら花一郎がどんな待遇だったかある程度知っているだろう。自由を求めて、ようやく助けを求めて、ここに辿り着いているのだ。事ここに及んで止めるわけがない。
「私は冷静よ。一人前だと認めてもらうために、この婚姻は必要。自由を手にするためには、跡を継ぐしかないの。」
冷静に考え抜いた末の結論。しかし一華皇女もあの手この手で花一郎の考えを改めさせようとする。花一郎が領主になっても不都合はないだろうに、熱心なことだ。
「私はただ、貴女にも幸せになってほしいの。これがそれに繋がるとは思えないわ。」
「貴女が決めることじゃない。」
もう既に決めたこと。花一郎も彼女の説得に応じず、一言だけ返すと儀式の間の中央へと進む。俺もその隣を歩き、地脈花の前に立った。ここでの誓いを見届けてもらえれば、婚姻は成立する。
不服そうな空気を感じつつ、儀式は始められる。この場に現れたということは、彼女の意思があれば嘘を吐いてまで認めないつもりではないのだろう。そう早く誓いの言葉を述べる。
「二条花一郎たる彼女を公私に亘り支え続けることを、この大地に誓います。」
「鳴海春仁と共に何時如何なる時も進み続けることを、この世界に誓います。」
同じ言葉でなくとも良い。文言は事前に彼女と相談している。よほどおかしな内容でなければ認められる。それは皇女も共有してくれる認識のようで、不服そうにしながらもこの婚姻が成ったことを宣言してくれる。
「二条花一郎と鳴海春仁の婚姻が成ったこと、彼女は祝福するでしょう。」
彼女とは世界樹のことだが、世界樹の意思など誰にも分からない。この言葉は意味のない儀礼的なものだ。続いての代替わりも恙無く終わった。皇女が認めたものを花一郎の祖父が否定することは難しい。
ここですべきことは終了だ。後はお披露目のための茶会を開催するだけ。そちらの手配はもう二人で協力できる。星見会と称しても良い。各領主に文を出し、場所の手配もする。彼女もやる気に満ちている。しかし皇女はそれに水を差すような発言をした。
「二条新領主、私はただ貴女を心配しただけなの。」
「お心遣い痛み入ります。本日は私たちのためにお時間をいただきありがとうございました。」
用は済んだと彼女はさっさと帰ろうとする。ここからは隠れて移動する必要もない。堂々と馬車に乗り、屋敷に戻る。この後の予定も中で伝えた。忙しくなるだろうが、彼女にも頑張ってもらおう。自分のためなら彼女もやれる。度々休む時間を用意してあげればきっと途中で倒れてしまうこともない。
屋敷で出迎えてくれる使用人たちはご無事で何よりですと出迎えてくれる。心から無事を喜んでくれているように見える人もその中にはいた。庭師もこっそりと建物の影から覗き、安堵の息を吐いている。屋敷全体が彼女の敵というわけではない。彼女自身に余裕ができればそれにもいずれ気付くだろう。
使用人の手を借りて着替え、事前に約束を取り付けている三ツ谷家を始め、その他領主一家の皇都邸へ向かい、挨拶を済ませられた。これからは彼女の二条邸が俺の家にもなる。
「私の領地にも伝えなきゃ。」
既に文を出した。近い内に領地にも代替わりの事実は伝わることだろう。それらを伝えつつの夕食も終え、入浴もそれぞれ済ませる。今日は疲れただろう。すぐに眠ってしまうだろうか。寝る前の日課は侍女に確認した。いつもは白湯を飲んで、それから眠りに就くという。一人に慣れている彼女が俺と二人でも眠れるだろうか。
彼女の態度によっては別で用意してもらった寝室へ向かおう。そんな心積もりで白湯を持ち、夫婦の寝室へと入った。緊張していてもおかしくないが、寛いでくれている。しかし白湯を半分ほど飲んだところで、何かを言いたそうに唇を開いたり閉じたりした。
「あのね、私、少し、嘘を吐いてるの。ごめんなさい。」
嘘の内容は教えてくれない。いや、言おうとはしてくれているのだが、その唇が震えている。無理して教えてくれなくても良い、彼女が言えるようになってから聞ければ良い。彼女はまだ庇護されるべき子どもだ。周りの大人に甘えて頼って良い年頃だ。領主という立場がそれを許さないことはあるだろうが、少なくともこの状況では立場も人目も気にしなくて良い。
言わなくても良いと伝えるように、白湯を飲み終えた彼女の頭を撫で、寝かしつける。寝息も静かで、この距離でなければ息をしているのかと思うほどだ。しかし彼女の閉じた瞼の隙間からは涙が零れている。今までは一人で枕を濡らしていたのだろうか。




