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世界樹の御子  作者: 現野翔子


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蛍は鬼に

《林檎》視点

 様々な問題を抱えつつ、心配事を抱えつつ、何一つ解決できないまま時は過ぎる。幸い、地下探索計画は一部実行されたものの何も見つかることなく過ごせている。連絡は既にした。しかしこのまま何事もなく、とは行かないだろう。私もこの学校で過ごせるのは残り一年を切った。《紅炎》と地下の人々の関係は良好だが、楽観ばかりもしていられない状況だ。そろそろ卒業後のことも真剣に考えなければならない。果樹園は順調でも、その身分のまま地上で活動することはない。《豊穣天使》の果実は表に出せる物ばかりではないのだ。また、地下調査計画の進捗もどうやって把握するか問題になる。今は学校で一葉様を通して把握できているが、卒業後はそうもいかなくなる。その点も《果実姫》に相談しよう。《秋風》に協力してもらえれば千秋家の跡継ぎという立場を利用して把握することも可能だろう。そう思案していると柘榴の印の入った手紙が先生から渡された。ピアスを着けていない彼は何も知らないのだろう。

「差出人の分からない手紙だ。不審だから受け取らないことを勧めるが、本人に確かめないわけにはいかない。どうする?」

 柘榴の印は新しい《果実姫》からの手紙だ。地下で榴と書くわけにも、地上で見る物に《果実姫》と書くわけにもいかないため、以前の名前の《柘榴》からその果実の柄を名前の代わりに描いてくれることになっている。兄からの手紙だと受け取り自室で確認すると、《天空の安らぎ》で話そうとだけ書かれている。急いでいたのか、忙しいのか。いずれにせよ私にできることをするだけだ。これは私からの相談どころではない自体が起こっているかもしれない。

 指示に従えば、《果実姫》だけでなく《秋風》と《蛍火》、それぞれの右腕らしき人物も待っていた。《鬼火》ももうお年だと聞いている。こうして集まることも辛いのだろうか。いや、よく見ると《蛍火》のピアスは両耳に着いている。つまり《鬼火》になっている。

「まずは新たな《鬼火》に乾杯。」

 彼女の音頭で杯を合わせる。私はお茶で乾杯だ。今日は《蛍火》が《鬼火》になったお祝いらしい。《果実姫》就任の時も上位者だけでお祝いをしたのだろうか。少なくともその場に私は同席していなかった。そのことを尋ねる前に、お祝いはここまで、と《秋風》は本題に入る。

「いよいよ勢力拡大について話し合える状況が整った。」

 現状確認から始められたそれは自己紹介のようでもある。まずは《秋風》。彼女はこの現上位者三人の中で最も早く上位者の地位を受け継ぎ、地上でもいずれ領主の地位を受け継ぐ千秋風香だ。右腕の《影》御影(みかげ)(そう)は職業斡旋や情報屋を営んでいる。それに次ぐ配下は《春一番》商会の経営者《地底湖》花守(はなもり)秋水(しゅうすい)。他、彩羽学校の教員や冒険者等として世界各地に飛んでいる配下もいるそうで、だからこそ《秋風》は物と情報の流通を掌握できている。

 続いて《鬼火》。地下の治安維持を担い、孤児院も経営している。あまり地上には進出していないが、地下の治安が保たれてこそ、私たちの基盤は揺るがない。本人は《春一番》商会の一従業員として鳴海(なるみ)春仁(はるひと)を名乗っており、皇家や二条家にも出入りしている。その右腕は《蒼炎》蒼井(あおい)玲二(れいじ)。地上での活動はあまり行っていないのか、名前のみの紹介だ。《鬼火》の活動内容の問題もあり、地上に出している人は少ない。四辻彩芽となった《虹》くらいだ。

 最後は《果実姫》。彼は兄妹のように育った林榴。《豊穣天使》の代替わりまでは地上に伝えていない。右腕は私《林檎》。これから地上で職を得て、多くの人と、特に一葉様ともっと親しくなる予定だ。情報網の一つとしては《暁光》小原(おはら)(ひかる)も挙げられる。彼も兄のような人で、公国の騎士をしており、周囲とも上手くやれているようだ。他には皇国で活動する葬儀屋の一つも《果実姫》の配下だ。

「今だと《林檎》と《紅炎》の就職先や結婚相手の話もできる。《林檎》、《紅炎》のことも併せて説明を。」

 就職先は未定だが、侍女や侍従を想定している。それによって家の中に入り込み、情報を得るつもりだ。最初は信頼を得るための行動に集中するため、大したものは得られないだろうが、これは長期的に見る必要のあることだと理解が得られる。

 結婚相手として狙っている人は、私は一ノ瀬一葉様、《紅炎》は万城目結子様を想定している。私は一葉様と随分親しくなれた。数年に渡って二人での逢瀬を許してもらい、他の令嬢に見せつけるような言動も見られる。地下の調査計画があることも聞いた。もちろん調査が実行されるようなら調査隊の一員として推薦できるというもので、どの程度現実的に進められているものなのかまでは聞けていない。まだ部外者である私には詳細を話せないのだろう。一方で緋炎と結子様の仲は一切進展していない。私と緋炎の仲を誤解されていたせいだろう。これは一葉様ともっと親しいと示せれば改善するものだ。

「皇子の次、万城目家まで飛ばした理由は何だ?」

 二条花一郎様は私の狙える相手ではない。緋炎もあまり積極的に交流しようという姿勢を見せていない。三ツ谷彼方様も難易度が高い。弟妹の信頼を先に勝ち取らなければならないが、既に関係はあまり良くない。そんな相手に認められるような努力をするくらいならより高位の一葉様一人に絞ったほうが心証も良いだろう。他に関しても同様だ。緋炎のお相手と考えても、四辻彩芽様は《虹》として《鬼火》の配下であり、彼女以降も親しい人は少ない。その中から比較的接点のある相手を選んだ形となる。最も接点のある万城目花梨様は婚約者のある身で、一ノ瀬一華様は《紅炎》の隣に立っている姿が想像できない。

「なるほど。ひとまずはそれで行こう。《鬼火》の体も空いているな。誰か落とせそうか。」

 二条花一郎様と《鬼火》は十歳差。花一郎様が十六歳にも達していないことを考えると、恋愛対象とするには問題がある。上流階級であればそういったこともあるのだろうか。しかし《鬼火》は思案を始めた。権力を得るためには相手の年齢などどうでも良いのだろう。

「花一郎にはまだ早いかもしれないな。慕ってくれてはいるが、ってところだ。」

「だろうな。関係性を変えるきっかけを探してもらおうか。《果実姫》、《林檎》にも頼み事をして構わないか。良い隙が見つかるかもしれない。」

「ええ。俺としても《林檎》には地上で色々頼みたいことがありますから、そのついでに。」

 花一郎様は話しかけにくい雰囲気のこともあるが、入学当初よりは関係も改善している。少し頑張れば何か話してくれるかもしれない。今も祖父母や父母との関係性は良くないままだろうか。そこが付け入る隙になりそうだ。

「《果実姫》や《鬼火》は配下をさらに地上を出す気はないのか。」

 私たちだけが関わりを持とうとするより、他にもいたほうが成功率は上がる。お好みの相手が混ざっている可能性も高まるだろう。うっかり地下のことを話してしまいそうな人も、地上を避けたがっている子も出せない。選定には細心の注意が必要だ。その上で《果実姫》は《六華》なら地上に出られるが、既に相手が決まっていることを伝えた。

 《鬼火》も自分の配下の名を挙げて検討している。今なら調査隊に志願させることで覚えを目出度くできるが、本人の意欲か素行に問題のある人ばかりらしい。人材に余力が多いわけでもないため、出せる人は少ないそうだ。

「そういう《秋風》はどうなんだ。自由にできる人も多いだろ?」

「出せる者はほぼ出しているな。」

 最も地上に出ている人員は多いだろう。それには地上でも大商会と評される《春一番》商会の功績が大きい。そのおかげで流通と情報網を《秋風》は把握できている。既に彼女の網は張り巡らされているのだ。それに加えて地上の良家としての情報も持っているため、既に彼女に大きく頼る形となっている。《果実姫》の果実も《鬼火》の地上での立場も、彼女の協力があってこそだ。

 水面下でのさらなる協力はこうして相談することで可能になる。しかし地上での協力には注意が必要だ。千秋先生が突然学生の一人を贔屓するようになっては問題であり、特定の商人と交流を深めるようになっても不自然。地上での接点は得る努力をしないほうが良いだろう。その他、彼らの配下たちとも特別関わらない方向に決めた。名前と特徴を共有し、邪魔しないようにだけ気を付ければ十分だ。

 また相談したければ《秋風》に手紙を出す。著しい進展があった場合も同様に。そう約束し、別れを告げた。今日は沢山頭を使ったから、帰って整理しないと忘れてしまいそうだ。《紅炎》にも伝えて良いと《果実姫》から許可は得られた。上位者の集まりで結子様を狙おうという話になった、と。できなければ仕方ない。彼女が乗り気でなかったらどうしようもなく、そもそも緋炎が彼女の好みでなければ断られるだけ。そのために幾つもの筋を用意しているのだ。現状は私が一葉様と仲良くなることが最も現実的か。また時間を作ってもらおう。


 早速勢力拡大に動き始める。彩羽学校で急に変わった動きをするわけにはいかないが、今まで通り周りを見ることはできる。多くの同級生たちには特段変わったことがない。六年生にもなれば長期休み明けでもいつも通りだ。親族の集まりに出て、少し楽しかったことや愚痴を言うだけ。しかし中にはもう少しで卒業だと意識し始める人もおり、花一郎様もその一人のようだ。一方、同い年のはずの海里様はまだ子どもらしい一面を見せている。こんなにも違いがあるのかと思うほど表情も振る舞いも異なる。今はそれに遥様を加えた三人、花一郎様と他二人という二対一という構図で言い合いをしている。二条と三ツ谷という高位三人の言い争いだからなのか、周囲も止めようとしない。心白様と花梨様の言い合いなら皆微笑ましく見守っているのに、この三人の言い争いは緊張感を持って距離を保っていた。

 内容は人の上に立つ者としての矜持や重圧に関するもののようだが、詳しくは分からない。三人とも興奮しており、花一郎様は珍しく特に声を荒げている。悪い血が入っただとか、怠惰な女を寄越しただとか、とんでもない悪口だ。

「君たちはいいね、気楽でさ。」

 激しさの中にも哀しみの混ざる声で花一郎様が呟く。次期当主か、上に兄姉がいるから自分にはその役目が回ってこないか。その差が花一郎様は羨ましいのだろう。それに毒気が抜かれたのか、遥様も海里様も一瞬黙った。しかし先程までの熱は冷めていないようで、気を取り直したように花一郎様を睨みつける。

「自分の家の問題を私たちのせいにしないでよ!」

 強気に言い放ち、二人は小さな体から大きな足音を立てて去っていく。花一郎様も机を強く叩き、教室を出ていった。それぞれの家の問題は分からないことも多い。変に口を出さない方が良いだろう。花一郎様は気分が落ちている時に一人で静かにしたい人だろうか、それとも誰かに傍にいてほしい人だろうか。分からないが、誰かにいてほしい人なら今が親しくなれる好機だ。そう彼女を追いかける。

 意外に足の速い花一郎様が向かったのは人気のない木々の隙間。俯いて顔を隠しているのは誰にも今の姿を見られたくないからだろうか。声をかけようか迷う姿だ。

「何?笑うなら笑えば?かの二条家の次期当主が、卒業間近になってもこんなに弱いなんて、って。」

 自虐の言葉に自分自身が傷付いている。彼女は慰めてほしい人なのかもしれない。しかしこうして他人を慰めた経験に乏しい私には難しい。否定してほしいのだろうか、笑い飛ばしてほしいのだろうか。事情も分からないのに迂闊なことは言えない。知らないのに弱いと思わないなんて言っても上滑りするだけではないだろうか。そう思いつつ、沈黙に耐えきれず、私には弱く見えていないと伝えた。しかし信じてもらえていないのか、欲していた言葉ではなかったのか、表情は暗いままだ。

「果穂はいいね。継ぐ物もなくて、気楽でさ。」

 話したことのある果樹園のことだろう。結局何も継げていない。私ではなく《柘榴》が継いだ。果樹園と、より大きなものを。地上では話せないことだ。私はその補佐役になった。花一郎様のように暗い顔をせざるを得ない状況になった覚えはない。嫌ならなりたいと言わなければ良く、そうすれば期待の視線すらなかったことだろう。継ぐと言い始めたのは私であり、選ばれなかったのはより相応しい人がいただけのこと。私にも他により相応しい役割があり、それを与えられている。

 秘密の共有をすればもっと親しくなれるだろうか。友人としてでも親しくなり、好みの異性や夫に求めるものを知ることができれば機会を得やすい。それでも彼女の立場を思えば迂闊に地下の話はできない。返事をできない私に花一郎様も興味を失くしたように俯いた。彼女に必要なのは心の整理をする時間か、気分転換か。落ち込んだ状態で一人考え込んでも良い答えなど出ない。より暗く深く沈んでいくだけ。寄り添ってくれる人がいるなら別なのだが、彼女にはそんな人がいるのだろうか。その名前には鳴海春仁さんが今も挙がるのだろうか。勇気を出して、彼女にそれを問いかける。

「花一郎様には信じられる人はいますか?」

 私にとっての《紅炎》、頼りになる《果実姫》、支えてくれている《六華》、見守ってくれている《果実婆》、遠くで力になってくれるつもりの《暁光》。地上の人物なら私の魔術使用を目撃したのに黙ってくれている一葉様、時属性を知っていて隠してくれている飛鳥様。そして願わくば《果実姫》にとっての私。花一郎様には伝えられる説明では、彩羽学校でできた友人の紅井緋炎、兄の榴、果樹園で共に育った小原光、助けてくれている一葉様、などだ。

 簡単な質問のはずなのに花一郎様は考え込んでおられる。私の信じられる相手を聞く余裕はなさそうだ。彼女にとって家族は信じられる相手ではない。学校の友人すらその中には入れてもらえない。私も地下のことを話せる相手は限られるが、彼女も似たような秘密を抱えているのだろうか。

「難しいですか?」

 視線が揺れる。そんなにもいないなら質問を変えようか。こうして聞かれてなお鳴海春仁の名が出てこないなら、もっと別の攻め方をする必要がある。学校外で会える、家の人以外の大人という聞き方でもしてみようか。そう問いかけようとした時、花一郎様が口を開いた。

「鳴海春仁様なら、信じられる、けど、」

 語尾が小さくなっていく。それでも辛うじて聞き取れた言葉は、そんなに頼れない。それは頼りにならないからか、外部の人間に頼ってはいけないという意識からか。どちらなのかによってはまだ可能性はある。

「頼りになる人だよ。大人で、格好良くて、立ち向かい方を教えてくれる人。できなきゃ駄目なんて言わない人。だけど、そうやって頼ってちゃ駄目なんだ。会いたいなんて言って、彩羽に呼び寄せるなんて、できないよ。」

 好印象は十分稼げている。彼が交流を持とうとすれば彼女に近づける。この事実を彼に伝えたい。彼に会えると花一郎様にも教えてあげたいが、林果穂と鳴海春仁の交流はない。地下でこっそり伝えるしかないだろう。会いに来る理由や彩羽に来る理由は《鬼火》自身が考えるだろう。

 今は心苦しいが、残念だね、と言葉少なに返す。私にできることは気分転換を装い、彼女の想いを聞き出すことだ。信じられる人の話なら気分も上向くのではないだろうか。

「優しくて、話を聞いてくれて、余裕があって、目を合わせてくれる人。」

 そうたどたどしく続けられる話は次第に熱を帯び、時系列もぐちゃぐちゃに、彼との思い出話を聞かせてくれる。彼女の好みを覚え、好きそうだからとお勧めしてくれる。以前の会話を覚えてくれている。二条花一郎という人形に相応しいかどうかではなく、彼女が好むかどうかで選んでくれる。何を好きでも否定せずにいてくれる。何が好きか尋ねてくれる。好きな色、好きな香り、好きな味。二条花一郎に相応しいかどうかではなく、目の前の少女が好むかどうかを気にかけてくれる。

 話している間、彼女の目は輝いていた。声色も明るく、本当にその時間が好きなのだと教えてくれる。長くなりそうでも最後まで聞いてあげよう。その人のことを話すだけでこんなにも気分が上向くなら、聞き手にくらいなってあげる。そう思っていたのに、我に返った彼女は話を止めた。話しすぎたと言葉を打ち切った彼女にこれ以上話す気はなさそうだ。一人の時間がほしいとも言う彼女に別れを告げた。

 《鬼火》に伝えてあげたい。しかし私から直接連絡を取る手段はない。そのため、千秋先生を訪ねる。彼女を通せば早く連絡できるだろう。花一郎様が会いたがっている。その一言だけでも伝われば良い。交流のある学生が会いに行くこと自体は不審ではない。彼女が招き入れてくれることもいつものこと。それでもここで地下のことは話せない。それとなく伝える技術が必要だ。

「花一郎様の悩み事を聞いて差し上げたかったんですけど、私では力が及ばなくて。鳴海春仁っていう商人さんのことを信頼しておられるようなんですけど、どう探せば良いのか分からないんです。」

 地上での名を互いに把握している。目標はこの前共有した。《秋風》は私の発言の意図を分かってくれる。きっと彼にも伝えられる。絶好の機会を彼らが逃すはずはない。優しい子だと表向きの褒め言葉を私に寄越し、千秋先生は安心すると良いと話を終わらせてくれる。後は彼らに任せれば良い。私は花一郎様が安心して鳴海春仁を待てるよう、何かの癒しを与えよう。彼に関する話を聞くのも良いが、人間が相手では警戒心も働き、羞恥心も芽生える。今日がそうだったように、思い出したように口を閉ざし、気分転換の手伝いもさせてくれなくなる。ただし、相手が人間なら、だ。人間でなければそんなことにはならない。幸い私には変化の術がある。白猫の姿で会いに行けば、彼女も心を開きやすいかもしれない。明日以降、会いに行ってみよう。

 花一郎様を気にかけるのも良いが、私の本命は一葉様。花一郎様にかまけてそちらを疎かにしてはいけない。ついでに花一郎様のことも相談してみよう。話題の一つにはなるはずだ。そう研究所を出た足で音楽室に向かった。

「話しかけてくれれば良いのに。いつも君はそうだね。」

 そういう彼も私が来ても気にせず歌い続ける。知っている歌なら私も一緒に歌えるが、一人で歌いたい気分のこともあるだろうと結局黙って聞いているだけになる。それも心地良くて好きだ。地上の曲を知る機会にもなっている。

「今日はどうしたの?」

「特に用があるわけではないんですけど、ついでに聞きたいことがあって。」

 一番の目的は親しくなること。度々こうして会っているため、何も用がなくても一緒に過ごしてくれる。そうして距離を縮めてきた。話題は何でも良い。その時の思い付き、一葉様も楽しく話してくれそうな内容、私も一緒に楽しめるもの。媚びを売る人間には慣れているだろうと私も色々考えているのだ。一方的に楽しませてあげる、でもなく、一方的に利用してやる、でもなく、一緒に楽しい会話をしたい。それが媚びとの差になるだろう。

 下心には既に気付かれている可能性もあるが、それを指摘される前に本題に入る。花一郎様のことを気にかけてくれと言ったこともあるのだ。彼女関係の相談になら乗ってくれるだろう。隠したいだろう彼女の弱った姿を一葉様は知っているだろうか。

「二条家の内情になるから詳しくは知らないけど、おかしな点は外から見てもあるね。その家の方針と言われればそれまでだけど。」

 まずは当主に関して。今も花一郎の祖父が当主であることはおかしくない。そろそろ子に継いでも良い年齢だが、本人がやる気に満ちているならまだまだ現役の人だっておられる。一葉様の目に不思議に映るのは次期当主が孫の花一郎様になっていること。通常は親から子、そしてそのまた子へと受け継がれていく。祖父母から孫へと一代飛ばすことは基本的にない。死によって分かたれたならその限りではないが、花一郎様の父母は健在だ。それから彼女の名前。偉大な曽祖父の名から取っているとのことだが、それでも女の子に一郎なんて名前は通常付けない。

 情報は増えそうにない。彼女が信頼できる人として名を挙げた鳴海春仁、地上での彼はどんな印象を持たれているのだろうか。そう尋ねてみると、彼は二条家だけでなく皇族の人々にも顔を知られており、少なくとも一葉様から見れば好印象を抱くような人のようだ。花一郎様と会うよう頼めるだろうか。一葉様と協力して会える状態にしたなら、友人のために尽力した二人の学生、という形にできる。

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