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世界樹の御子  作者: 現野翔子


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二兎を追えるように

《林檎》視点

 約束の日はすぐにやって来る。知花ももう自分の友達と遊ぶこともできるため、一葉様もそちらの心配をせず、私との討伐に集中してくださる。忘れ物はない。細剣の状態も再確認した。他の属性に見せかけるための術式も複数所持した。いざとなれば一葉様なら隠したいという私の意思を尊重してくださるだろう。それでもできることなら使わずに済ませたいが、緋炎と二人の時も魔術を使った。そう簡単に討伐を終えることはできないだろう。

 待ち合わせた校門に来てくださった一葉様も短刀を携えているが、主な攻撃手段は魔術。学校にいる時よりも緊張を表に出している。ただし体はしっかり鍛えているようで、か細い令息とは異なることが服の上からでも分かる。小さな武器でも護身には十分と言えるほどにしているのだろう。

「お待たせ。じゃあ行こうか。」

 ただ遊びに出かけるだけとでも言うように手を差し出される。緋炎よりも大きな手は私の手を完全に包みこんでしまう。これが年齢の差がもたらすものか。緋炎もまだこれから成長するだろう。大きさは一葉様のほうが大きいが、質は緋炎のほうが戦う人の手だ。剣を使い込んで発生する硬さが一葉様の手には足りない。基本的には守られる側に立つ、皇子様の手なのだろう。

 たまたま周囲にいた令嬢令息の視線を一身に浴びつつ、町から離れていく。人気のない場所へ、代わりに野生の動物や暴走召喚物の多い場所へ。わざとらしく笑みを浮かべ、私に触れてくるなんて周囲に見せびらかしているつもりか。口元だけで笑うそれはいささか不気味でもある。何か意図があってのことなら邪魔したくはない。そのため人影が見えない、声も聞こえない距離まで待ち、そのことを問いかけた。

「君にとっても都合が良いんじゃないかな。だって、君は俺の特別だってアピールしたいんでしょ?」

 手を繋いでのお出かけ、二人きりの逢瀬。どちらも皇子という立場上、避けるべきことだ。地上の権力は世襲される。次期皇帝は皇女殿下だが、皇子のお相手でも皇弟の妻になることはできる。つまり権力に近づける。私の行動が権力欲によるものと気付かれても不思議はない。それならばなぜ、彼は今日の討伐に同行してくれたのだろう。危険を避けるべきでも何でも、自分たちが向かう必要性を否定できた。

「私相手ならいいと思ってくれたんですか?」

「どういうこと?」

 違うのか。本当に心当たりがないような表情を浮かべている。それならこの行動はただ誤解を招くだけ。少なくとも周囲に噂される程度は許容しているようだが、実際に私とそういう仲になることを受け入れたわけではない。一体何のつもりなのだろう。それとも心当たりがないふりが上手なだけだろうか。

 疑問を解消する前に、今回の目的の一つである暴走召喚物に遭遇する。小さな体に凶悪な牙、鞭のように撓る耳のような物。影だけなら兎にも見えるが、動きは攻撃性に満ちており、可愛らしい兎さんには似ても似つかない。その場で耳を振り回す姿は私たちを煽っているようでもある。それが一、二、三匹。この小ささから今まで見逃されていたのだろう。

「話は後、だね。行くよ!」

 表情を引き締め、二人とも得物を構える。ただし一葉様は咄嗟に敵の攻撃を防ぐためのものであり、攻撃手段は魔術。そちらに兎が行かないよう私は気を引くよう努めなければならない。不足しないよう、いざとなればその身を守れるよう、私も術式を準備する。最初に用意するのは地属性に見せかけた術式。一葉様の属性に合わせる形にすれば、使った場合も言い訳の相手は一葉様だけで良い。

 未だ煽る兎のような召喚物はその耳でこちらの目を惑わす。あれは煽っているだけではなかったようで、細剣で一突きしようにもその心臓を狙いにくくしている。しかしそれに惑わされることなく一葉様は的確に土の槍を地面から生えさせる。それは十分に効力を発揮しており、躱す召喚物たちの動きを制限してくれた。魔力の動きを奴らは察知できるのか、一葉様に注目が集まり、こちらへの警戒が疎かになる。今だと突きを繰り出せば最初の一体を仕留めた。しかしそれを喜ぶ間もなく、召喚物が次は自分たちの番だと言わんばかりに一葉様に飛びかかる。幾つもの攻撃は躱し切れず、鋭い牙がその身に近づいた。

「《大地よ、思い出せ。創世のあの時を》」

 世界の記憶。それは変化の術の時に知った感覚だ。応用すればどの属性にも見せかけられる。語りかけた地面がかつての姿を一時見せてくれる。この場所はかつてもう少し空に近かったのか、召喚物を貫くように飛び出した。直撃は一匹だけだが、もう一匹も警戒して距離を取ろうとする。その機会を見逃すほど一葉様も未熟ではなく、その手の短刀を突き刺した。この召喚物も焼けば食べられるだろうか。召喚物を食べたという話は聞かないが、今度こそ試してみたい。前回緋炎と出掛けた時は止められ、他の召喚物に見つかってしまったこともあり、試せなかったのだ。

 生きた動物を捌いた経験には乏しい。そんな私でも上手く処理できるだろうか。まずは血抜き、それから皮を剥ぎ、後は何だったか。調味料も持ってきていない。魔術で取り出す癖がついてしまっている。時属性の仕掛けを施した鞄の中に入れたままだ。

「え、それ、食べるの?本気で?」

 召喚物を食べるという前例はない。わざわざ喚び出したのに殺害することは忌避され、得体のしれない物を口にいれることにも抵抗があるのだろう。敵として戦ったならその首を持ち帰ることはあっても、食料とすることはない。今までは誰も食べようとしなかっただけだ。食べてはいけないなんて説明は受けていない。味に興味を持った人がいないなんて不思議だ。

 下処理の段階で躓いている間に、一葉様に強く止められる。彼も召喚物を口にしたくない人らしい。私だけ食べようかと思っていると、腕を掴まれ、彼の傍に引き寄せられた。

「そんな場合じゃなくなっちゃったね。」

 顔を上げれば、先程の兎型召喚物と似た物たちが私たちを囲んでいた。また食べ損なってしまう。あの召喚物たちは群れを作るようだ。召喚物が群れを作るなんて聞いたことがないが、それは召喚者の手を離れた状態にならないからか。

 私も一葉様も戦闘の熟練者というわけではない。多対一という状況にも慣れてはいない。ひとまずこの囲まれている状況をどうにかしなければ。一点突破。それが今できる最善かと思いつつ、狙いを付ける時間もくれない召喚物たちをどう殺そうか。今はまず時間が欲しい。

「《木々よ、思い出せ。過去の栄光を、繁栄していたあの時を》」

 この地域がもっと自然豊かだった時があることに賭けた術だ。それは成功し、背丈の短かった草が生い茂り、兎のように小さな召喚物の足を奪う。完全に動きを止めることは難しくとも、通り抜ける隙を作ることはできる。一葉様の牽制と私の一突きで逃げられる。追い詰められる状況は初めてなのだろう彼の手を引き、ひとまずその場を離れる。奴らは高い場所には登って来られない。そう踏んで、高い場所を探す。早く見つけなければ。私の魔術は地形を変える物ではない。一時的に、世界に過去の姿を思い出してもらっているだけ。すぐにあの草たちも我も返り、現在の姿に戻るだろう。

「高い場所?ああ、ごめん。俺が作るよ。」

 戦闘時の判断は未熟。それでも必要だと言われるだけで自分が作ると言える程度には余裕がある。今はあの兎のように小さな召喚物から逃げられれば良いと出力も調整している。危険な状況に陥っても混乱状態には陥っていない。多少冷静さを欠くことは仕方のないことだろう。

 一方的な位置を確保しての攻撃。こうなれば攻撃方法は魔術一択となるが、それはあの召喚物たちにも分かっているのか、数発食らっただけでこの高台を避けていく。殲滅の一助となるために来ているのにあまり役に立てなさそうだ。あの数だって囲まれなければ勝てる。そう信じ、周囲に召喚物がいないことを確認して高台から降りた。もっと町から離れる方向に行ってみよう。暴走召喚物は出現当初にも多く討伐された。継続的に討伐に向かっている人だっている。そんな中で生き延びている召喚物は討伐しようとする人間たちから逃げ切れている。人間が危険であることを学んでいるなら町からは離れる方向に逃げていることだろう。

「さっきの話の続きだけど、敵の多い君が立場を安定されるために高位の人間とお近づきになりたいって意味で、俺の特別になりたい、ってことかと思ったんだけど、君は違ったかな。」

 言葉の端々に身分を意識させるものがあることもあった。その仲間入りしたいと思う人だっていることだろう。高位を得たいのなら高位の人間の好感を得ることも道の一つだ。覚えを目出度く、何かあった時に頼ろうと思ってもらえる存在になる。確かにその方法もあり、それもある意味では特別と言えるだろう。てっきり未来を見据え、私なら皇子の妻として迎えるに十分な素質があるという意味かと思ってしまった。

「妻として、ねぇ。」

 含みのある言葉。少なくとも急に覗き込んで来るその行動の意味は分からない。目を合わせることで分かることもあるからだろうか。彼は私の何を知ろうとしているのだろう。一瞬目が離れたかと思えば、次の瞬間には木の幹に押し付けられる。何のつもりか問う隙もなく頬に触れられた。こんなに間近で目を合わせることもないだろう。真剣な表情から落胆の色に変わった。何を期待していたのだろう。

 体は離れ、話題は皇子の妻としての務めや未来の皇弟の妻としての勉強に変わる。皇子の妻はただの一葉様の妻ではなく、国のことを共に考える職務上の相棒でもある。自分たちや家族、友人のことだけでなく、民のことを考えなければならない。外交儀礼に関わることもある。礼儀作法は当然、交流先独自の文化についての勉強も必要だ。迂闊なことをすればありもしない噂を広められる恐れもある。今の私のような行動は許されなくなる。

「大切な人を守るためには力が必要ですよね。」

 地下の民と言えどずっと地下にいるわけではない。それぞれ地上での立場を持っている場合もある。遊びに出かけることだってある。しかし誰もがその立場を得られるわけではない。地上に出たい者が出やすいように、地上に居場所を無くした人を地下に保護できるように。私自身に力がなければ、そんなことはできない。その詳細を地上の皇子に伝えるわけにはいかない。今地下にいる彼らの中には地上から逃れた者だっているのだ。《彩》は彼から隠れたいだろう。見つかれば不信感を抱かれる。地上の彩芽にとっても、弟妹を彼女に託した《彩》にとっても不都合が生じかねない。

 探るような目付きは居心地が悪い。それでもここで退くことはできない。私は《果実姫》と共に大勢の配下を背負っているのだ。歴代《果実姫》のように彼らを守ることが上位者の務め。実質の権力が《王》にも《公爵》にもない以上、上位者が王のようなもの。一葉様も将来的に責任ある立場になるかもしれないが、私は既に上位者の相棒なのだ。彼と協力しつつ、地下の秩序を維持していく。皇子の妻としての責務など臆するようなものではない。

「君は、誰から上に立つ者としての教育を受けたんだ?」

 統治する側としての心構え。それを彼らは学んできている。似た内容を地下の上位者やその候補者も学ぶ。それは本を読んでの学習でも、上位者の講話を聞く学習でもない。ただ彼らの背を見て、配下の者たちと触れ合い、地下の秩序をその肌で感じ、自然と知っていくものだ。私や現《果実姫》にとっての先代であり、《蛍火》にとっての《鬼火》である。《秋風》もきっと先代の背を見て感じ取ってきたのだろう。地上で教師を務めつつ、将来的には千秋領主と言われつつ、地下でも上位者を務める。地上の領主と地下の上位者の違いは彼女が最もよく分かっているだろう。

 誰からもそんな教育など受けていない。これは嘘ではないが事実でもなく、事実は教えられない。しかし黙り込むことは誰かから教わったと答えるも同然となる。人の上に立ち、領主という立場になることのない私がそれを教わっていることは不自然だ。だから一葉様も真剣な目で私に追求している。

「親しくなるために知ろうとすることはおかしなことですか?同じ学年の人からだって聞けますよ。」

 本当は学校で学んだわけではない。彼らの行動から上に立つ者としての心構えを学ぶことは難しい。それでも話を聞く機会は作れる。一葉様の見ていない所で私が聞いている可能性は残っているのだ。

「そっか。君には隠し事が多いんだね。」

 信じてもらえないまま、この話題は打ち切られた。距離を縮められただろうか。むしろ不信感を植え付けてしまったような気もする。突き放されたような感覚もある。一方で避けるべき二人きりでのお出かけが認められた特別感もあり、不思議な心地だ。少なくとも拒まれはしなかったという点を収穫として、この日の討伐は終いとした。


 それからも度々討伐を口実とした逢瀬は続けられた。同時に、討伐以外でも約束が取り付けられた。それは二学期の終わり、家族が共に過ごし、恋人同士も共に過ごそうとする日のこと。そんな今日は雪こそ降っていないが、厚い上着なしには出歩けないほど凍てつく寒さだ。町を住民に混ざって歩き、本物の恋人同士のように過ごす。服だって気合の入った物なのだが、ほとんど上着で隠れてしまった。それを残念に思いつつ、様々な店を冷やかしていく。小物が可愛い、装飾品が美しい、お菓子が美味しそう。小腹も空いてきてしまった。

 美味しいお菓子を食べるのも目的の一つだが、一番は一葉様との交流だ。彼も私との交流に重きを置いてくれているようで、注文したお菓子が届く前に和やかな会話が再開される。

「君のことが知りたいんだ。」

 私のこと。どう伝えれば良いのだろう。誰を見ているのか、大切なのは誰か、何をしようとしているのか。地下のことは言えない。順序立てて説明できない。それでも聞いてくれるなら、と菓子を合間に挟みつつ、私の回りの人たちについて語っていく。

 私は半分兄の榴に育てられた。残りの半分は果樹園の人たちだ。父母のように見守り、様々なことを教授してくれる人がいた。皆で果樹の世話をし、平穏な日々を送っている。多くの人々が楽しみ、活用する果実。甘い果実も野菜のように食べる果実も、密かな活躍を見せる果実も、どれも私たちの育んだ大切な物だ。それを共に育む家族のような人たちも私の大切な人で、その中に今は緋炎も含まれる。彼のことはもう紹介した。彼もいずれはあの中で家族のような関係性を築いてくれるだろう。

「自慢の果樹園なんだね。美味しい果実も面白い果実もあったと覚えてるよ。」

 含みのある言葉はお得意様だからこそだろう。表面上の付き合い、ただの客なら甘くて美味しい、あるいは様々な料理に使える果実を売っている店としか認識していないはず。彼は利用法を知っている客だ。既にそういったものに関わっているのか。

 私の素性が一部気付かれていると分かったところで、今度は彼の話を聞かせてもらう。彼には皇帝たる父親、皇妃たる母親がいる。姉の皇女殿下も同じ学校に通っていた。

「君も地脈花は見たことがあるよね。実はうちの敷地内にもあるんだ。」

 見てみたい。場所によっては見た目が違うらしいと聞いたこともある。しかし世界中に点在するそれを自在に見ることはできず、私も果樹園の傍にある物しか見たことがない。皇居には許可がなければ入れない。そんな場所に生えている地脈花など誰にでも開かれているわけでもないだろう。

 その地脈花に関する思い出話をしてくださる。周囲を海に囲まれた地形のためか、その地脈花は水属性に偏っており、水色や青の要素が強い色合いをしている。透き通った部分もあれば、もちろん他の色合いの部分もある。そんな美しい地脈花を眺めるのが好きで、一葉様は幼い頃、度々姉君と共に勉強を抜け出してはそこに通っていた。美しい花を愛で、歌い、その花弁を拭っていた。地脈花なのだからそんなことをせずとも美しさは保たれるのに、そうと知らずに自分が世話してあげるのだと張り切っていたそうだ。

「馬鹿でしょ?地脈花が何か分かってなかったんだ。」

「いいえ。可愛らしいエピソードじゃありませんか。」

 一葉様にもそんなに可愛い時代があったのか。ほのぼのしたところで、一葉様は地下の話題に戻した。いや、彼としては戻した意識などないだろう。《豊穣天使》が地下にあることを彼は知らない。

「地下で魔力の渦が何度も探知されてるんだ。その調査を進めようかって話も出てて、調査隊を募ろうってなっててね。君さえ良ければ、どうかな。」

 何が待ち受けているか分からない。危険に見合う成果があるかどうかも分からない。手柄を立てる機会の有無も不明。大々的に募集していないとはいえ、集まりは悪く、いつ調査が開始されるか分からない状況らしい。大きな魔力の渦の原因は分からないが、地下では一部古い魔道具も使用されている。おそらく魔力効率なども新しい物より悪い。それらの使用によるものなら、魔力の渦をたどれば地下の生活圏に入ってしまいかねない。原因が他でも、調査中に地下の領域に干渉する危険性もある。反応で元からそこを知っていたとは気付かれたくはない。一方で調査の進展やいつ出発するのかという予定は知りたい。ここは乗り気な姿勢を見せておこう。

「じゃあ出発の日とか人が集まりそうとかあったら教えるね。」

 地下調査の進捗は分かるようになった。後はそれが進む前にどう阻止するかだ。これは私一人ではどうにもならず、地下全体に関わることでもある。まず《果実姫》に伝え、その指示を受けて《秋風》にも《鬼火》にも相談すべきだろう。幸いもう冬休み。すぐに相談する時間は作れる。

 のんびりとしたお菓子の時間も終え、また町の散策に出る。時折擦れ違う令嬢令息から与えられる、刺さるような視線がどこか心地良い。彼らも一葉様の隣を狙っているのだろうか。あえてその手を取って見せれば、より一層視線は鋭くなった。一葉様もこの手を握り返してくれているというのに私を睨むなんて素敵な度胸だ。

「肝が据わってるね、君も。」

「ありがとうございます。拒まない一葉様も同罪ですね。」

 付き合っていると噂されることになるのだろうか。一葉様はこれをどう解決するつもりなのだろう。それとも周囲の反対を押し切るほどの想いがあるのだろうか。とてもそうは見えないが、私の悪戯を拒まない理由も分からない。

 夜に向けた美しい飾り付けの間を抜けていく。様々な色合いの珠や星が吊るされ、今日の雰囲気を盛り上げている。

「果穂さんは今日が本当は何の日か知ってる?」

 導師の現れた日か大陸を救った日かそんなところ。皇国にはあまり関係のない話だ。

「正解。大陸の救世主たる導師様の降臨祭だ。俺らは便乗して遊んでるだけ。遊べる口実を増やしてくれてありがたいね。」

 大陸では導師に感謝を捧げる所もあるとか。大陸の大国たるローデンヴァルト王国から留学に来られているフローラ様は祈りや感謝を捧げておられるのだろうか。導師が大陸を救い、ローデンヴァルト王国を建国したその時から今に至るまで導師は生き続けている。時属性を含む全属性を扱い、もう一つの姿に変化でき、永遠を生きられるとか。こんなことをできる人は他にいない。もう一つの姿なら私も緋炎も変化できる。しかし全属性は扱えない。千年以上生きていることも俄かには信じ難い。いつか本人に会えたなら聞いてみたいことの一つだ。

 明るい今の時間には見えないが、夜空に煌めく星々は一つ一つが世界なのだと言われている。その中に召喚物たちの世界もあると空想される。世界樹から溢れる世界を構成する要素、この世界で言う魔力が他の世界からは光として認識されるのだとか。この世界の親や兄弟と言えるような世界もこの空にはあるのだろう。何でもできる導師はあの世界たちを覗くこともできるのだろうか。

「何でもできるのが本当なら瘴気の問題とか全部解決してほしいけどね。出し惜しみせずにさ。」

 崇められているわりに何もしてくれない。それとも大陸では色々してあげているのだろうか。瘴気の問題は皇国も含む世界に関わる問題だ。それを解決したなら本当の意味で世界の救世主だ。ローデンヴァルト王家とは繋がりが深いとフローラ様から聞いた。彼女なら現在の導師の動向も分かるだろうか。千年も生きているのが本当なら知識だって誰よりも持っているはずだ。今どこにいるのだろう。導師はどんな人なのだろう。

 導師について私が知っていることはごく僅かだ。世界中の人々にその存在を祝福してもらえる人。他はフローラ様から聞いた話や授業で習った話になる。異形が大量発生した大陸で戦い、ばらばらになった人々をまとめ上げ、ローデンヴァルト王国建国に関わった。部族間の抗争激しい大陸西部の諸部族と異なり、彼の国が千年の間ローデンヴァルト家の支配する所となっているのは、導師の後ろ盾もあるからだとか。

「導師様がいなくても皇国はずっとうちが治めてるけどね。」

 ローデンヴァルト王国よりも歴史の長い、それこそ神代の時代から一ノ瀬家が支配している。精霊が存在した時代から変わらずにずっと。その加護があるから大陸が危機に見舞われた時も皇国は平穏な時代を過ごせたと言い伝えられる。一方で地下の歴史は上手く伝わっていない。地上から逃げた者や安住の地を求めた者が今も降りて来るからだろうか。今の平穏と幸福に満足し、自分たちの歴史を後世に残そうとしていないからだろうか。そうだとするなら悪いことではない。その充実を途切れさせないために、私も《果実姫》と共に行動するだけだ。目下の問題は皇国が地下探索を進めようとしていることか。

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