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世界樹の化身と御子

 俺たちが二年生になると同時に、知花も一年生として授業を受けるようになった。今は順調に友人を作り、授業にも付けて行けているようだ。放課後、楽しそうにその日の出来事を教えてくれる。短期間の詰め込みでも一年生として授業を受けられるほど知識が入ったようで、楽しく日々を過ごせてくれていた。今日の放課後もまた果穂さんの秘密基地で待ち合わせ、三人で遊ぶ時間を迎える。

「樹も今日は元気かな?この前はね、会いに行ってもお昼寝中だから駄目って言われたの。」

 知花も樹を気に入っている。瘴気に穢れた世界樹の化身と瘴気を浄化できる聖属性を持つ御子という点が影響しているのだろうか。それとも単に人柄か。確かに彼は落ち着く、話しやすい雰囲気を纏っている。

 気分の赴くままに話題は転換していく。あっちへこっちへ飛ぶ彼女の思い付きは世界樹のことにも至り、唐突に行きたいと言い始めた。転移術のためには花梨の協力が必須と説得しようとすれば、一人で連れていけると気合を入れる。深呼吸一つする間に視界は世界樹の麓に移った。こっちこっちと駆けていく。学校や友達との交流が楽しくとも、こうして世界樹に帰りたくなることもあるのだろう。最近体調が悪そうだったが、元気そうに走り回ってくれて安心だ。しかし少し落ち着くとまた苦しさが戻ってきたようだ。

「前より苦しいの。ねえ、御子はどこ?御子がいたら楽になるの。」

 胸を押さえる知花。何か変わったことがあったわけではない。それとも何かあっただろうか。今この瞬間に関しては分からないが、昨年度末から今年度に掛けての変化は実家からの手紙でも聞いている。大陸の王国と公国が交戦中。海に隔たれている皇国に危険は及ばないだろうが、王国から留学されているフローラ様は不安だろう。詳しい戦況などは届いていない。フローラ様は把握されているかもしれないが、当然他に言うことはない。

 意味がないと知りながら知花の背中を擦る。果穂さんも希少と言われる自分の属性も役に立たないと悔しそうだ。知花の空気は世界樹の同じなのか、野生の栗鼠や小鳥なども寄ってくる。その中には人間も混ざっていた。世界樹の島への立ち入りが許されている花梨と結子さんだ。

「私たちに瘴気の問題を解決することはできない。ただ御子様に協力できるだけ。知ってることを教えるくらいならできるよ。」

 お二人の知識では、御子は瘴気をその身で受け止めることができる。体の中に取り込み、取り込んだ瘴気を少しずつ浄化していく。しかし体に瘴気を受け入れれば体調に支障を来したり、精神が不安定になったりする。心穏やかに過ごしているうちに浄化されていき、再び瘴気を受け取ることができるようになる。それを繰り返しているうちに世界樹から瘴気が取り除かれる、という寸法だ。

「一緒にいたいな、御子と。ずっと苦しくて、もっと苦しくなっていくのは嫌だよ。」

 御子の居場所は見当がつく。授業終わりの日中は風香先生の研究室によくいるそうだ。知花を樹さんに合わせることで体調がより悪くなってしまうかもしれない。それなのに花梨と結子さんだけでなく果穂さんも会わせるつもりだ。御子よりも世界樹の化身の立場のほうが上、そう主張する結子さんに反論できず、彩羽島への帰還を受け入れた。

 知花の願いを叶えるため、急ぎ彩羽へと転移する。休む花梨を結子さんに任せ、果穂さんと共に研究室の呼び鈴を鳴らした。出てきた風香先生にも世界樹の化身の訪問は歓迎される。お茶にも誘われた。知花ももう捕まる心配はないと堂々と廊下を歩く。研究室に入った途端、出迎えてくれた樹さんに抱き着いた。

「会いたかったよ!あのね、なんだかとっても苦しくなってたの。でも、樹に会ったらまた元気になってきた。」

 無邪気な知花に樹さんは優しい抱擁で応えるが、顔色は悪い。転ばないよう体を支えれば、以前より痩せてしまっている。瘴気を取り込む余裕などないのではないか。そう引き離そうとすれば本人によって否定されてしまった。

「心配しないでください。今はほとんど召喚前と変わらない体調ですよ。」

 そんなわけはない。声の力が以前より弱っており、顔にも色がない。一瞬見ただけでは分からなかったが、触れれば服の大きさが合わなくなるほど痩せていると分かった。知花の突撃によろめいた。明らかに召喚前と同じ体調ではない。呼吸も苦しそうなものに変わってきた。世界樹の瘴気が化身を通じて取り込まれてしまっているのではないだろうか。そう知花を引き離そうとすれば驚いた表情をさせてしまった。しかし驚いただけで離れてはくれない。少し強く注意すれば固まってしまう。心苦しいが説明は後だ。樹さんがふらつき始めた。

「離したくない!だって苦しいのなくなるもん。軽くなるの、一人は絶対嫌って気持ちもちょっとだけなくなるの。もう寂しいのも苦しいのも嫌なの!」

 瘴気は体への影響だけでなく、心への影響もある。世界樹の瘴気は知花の瘴気。その彼女が楽になる。やはり樹さんに瘴気は転移している。風香先生も対処の必要を感じてくれたのか、緊急の用件だと結子さんを呼び出してくれた。今は果穂さんの秘密基地で花梨に付き添って休んでいるはずだと果穂さんが迎えに行ってくれる。

 果穂さんが結子さんを連れて戻る間に樹さんを休ませる。知花が抵抗した時間の分だけ樹さんの体調は悪化した。今は自力で立っていられないほど疲れを見せており、床に横になっている。肌掛けを被せてあげても小さな返事しかできないほど苦しそうだ。一方の知花は元気を取り戻している。風香先生も近づかないよう警戒してくれているため、俺は樹さんの容態に集中できる。苦しそうな呼吸は少し静かなものになり、会話はできる状態になった。無理をしてほしくないため、あまり話しかけないようにはする。水が飲みたいなら体や湯呑みを支えることもする。夕食までには歩ける程度にまで回復してほしいが、難しそうなら背負って連れて行こう。

「御子関連の話は無闇に他人に伝えられない。だから私が自宅で面倒を見ているんだ。いくら十六夜家の子といえど、余計な手出しは控えていただこうか。」

 厳しい言葉にこれからへの提案もできなくなり、沈黙に包まれた状態で果穂さんたちを迎えた。花梨も転移酔いは治ったようで、ふらつくことなく自力で歩行されており、すぐに樹さんの様子にも気が付かれる。事情を説明すれば、お二人とも難しい顔をされた。御子召喚すぐに報告しなかった風香先生を信用できないことには同意する。一度は事実を伏せた人だ。樹さんも御子としての心構えがあるわけではない。今までお世話になった、学費等の支援を受けている身では自己主張も難しいだろう。

「ここに御子がいるという事実を広めたくない。君たちも黙っていてくれ。」

 御子は瘴気を浄化できる。それが一番の能力だが、それ以外にも何かあるらしい。そのために奪い合ったことも過去にはあるとか。だからその存在は秘しておきたい。その上、樹さんの御子としての能力がどの程度なのか確かめられていない。風香先生が結子さんを呼び出した理由は樹さんの体調の変化などを案じたものではなく、御子としての能力を試すためだった。

「世界樹に連れて行ってほしい。彼の力が十分なら浄化の術を教えてやってほしい。」

「お言葉ですが、浄化を真剣に考えるなら御子の身を案ずるべきです。この私、万城目結子に御子の身柄を渡すべきでは?」

 教師と学生という立場の違いを認識させないほど、凛とした態度で結子さんは風香先生に立ち向かう。万城目家の二人は味方だと思って良い。風香先生は御子としての利用価値しか見ていない。樹さんが倒れても気に留めないかもしれない。既に知花に触れて座っているのがやっとの状態になったのだ。世界樹に行って能力を試す余力などない。

 樹さんを世界樹に連れて行こうとしている人は風香先生一人だ。結子さんも花梨も浄化の術に関して説明し、説得を試みる。浄化の術は他の魔術のように術式を描くわけでも詠唱があるわけでもなく、理論も何もない。気合や気持ちで何とかする、のような大雑把な話だ。誰に聞いてもこれ以上詳しくなることはないと今ある情報を全て渡してくれている。それでも、と風香先生は引かない。成績まで絡め、脅すように転移術の発動を求める。風香先生の必死さを感じ取ったのか、それが自分にとっての利益になると分かったのか、知花は転移術を発動すれば良いのか確かめた。既に元気のない樹さんを今すぐに世界樹の下に連れて行き、瘴気をその身に宿せるか試すつもりか。それなら知花と触れ合ったことで証明されている。さらに負担を掛けるつもりか。彼が浄化の術を使えると分かれば、既に体調の悪い彼に浄化させるのだろうか。

 酷いことをしていると風香先生は自覚していないのだろう。だから樹さんのほうを顧みず、楽しそうにも見える表情で世界樹の下へ行こうとしている。転移術も発動されてしまった。目の前から風香先生、知花、樹さんの三人の姿が消える。知花は風香先生を止めない。このままでは樹さんの身が危ない。花梨も焦っている。指示しなければ咄嗟の行動はまだ難しいのかも知れない。

 急ぎながらも確実に術式の用意をし、結子さんと果穂さんも一緒に転移する。視界が一瞬にして変化し、倒れた樹さんが目に入った。また呼吸は荒く、脈も速い。

「飛鳥様、御子様の様子は如何ですか。」

 少しふらついている結子さんも心配そうに声を掛けるが樹さんの目は覚めない。花梨も咳き込みながら這い寄っている。そんな様子を見聞きできるはずの風香先生は自分の服を整え、樹さんの頬を軽く叩き、声を掛けて起こそうとした。その上、自力で座ることも難しい花梨に世界樹への案内を求める。今の状況が見えていないのだろうか。体調が戻ってからでは駄目なのか。こんな体調では浄化云々どころではなく、いつ意識が戻るかも分からない。

「一理あるな。眠っていては体感も分からない。目覚めるまで待ってからにしよう。」

「それなら、休める小屋が、ここにはあります。」

 自分も休息が必要な体調だというのに、花梨は頑張って座り、方向を指示してくれる。無理に立ち上がろうともしているが、結子さんに止められた。小屋があるなら二人ともそこで休んだほうが良い。そう樹さんを抱え、花梨のことは果穂さんに任せる。案内は結子さんに頼み、すぐさま世界樹に触れさせたそうな風香先生を無視して進んだ。

 結子さんの案内してくれた小屋は広くないが、二人で横になって休むには十分な広さがある。樹さんの呼吸も徐々に落ち着き、今は静かで規則的なものだ。数日こちらで過ごし、また体調が悪くなると分かった上で転移しなければならない。万城目家に頼んで船旅にしてもらおうか。転移術よりは体調も悪化しないだろう。花梨にとってもそのほうが負担は少ない。結局彼女自身は転移術を使用しなければならないが、自分と風香先生の二人だけにできる。知花に彼女たちを連れ戻ってもらうことも頼めるか。

「連れて帰ってほしいの?みんな一緒に転移させてあげられるよ。」

「まだ待ってくれ。御子の力を試せていない。」

 試せる体調ではないことが見えていないのだろうか。目覚めるまで待つつもりはあるようで、小屋を出ていった。御子を残して帰るわけにはいかないと花梨も結子さんもここに留まることを選ばれる。どちらかだけでも帰り、一刻も早く事態を報告してほしいが、結子さんとしては花梨を一人にすることも不安なのだろう。

 風香先生が小屋を一周しては様子見に戻り、と繰り返す音だけの時間が続く。花梨も仮眠を取っている。知花によって転移した人の体調は問題ない。この状態を見て、風香先生は何も感じないのか。やはり彼女には任せておけない。俺も実家に相談し、御子の安全確保に努めよう。

 じっと待つ時間が落ち着かないのか、果穂さんもそわそわし始めた。俺がついているため、果穂さんには少し散歩に行ってもらっても構わない。そう伝えている間に花梨は仮眠を終わらせた。

「お水入ります?近くに川か池でもあれば、私が煮沸して飲める状態にできます。」

「川か池?いいよ。私はもう十分休んだし、一緒に行こう。」

 果穂さんが一緒ならと結子さんも二人を見送った。人が減って静かになった小屋で、樹さんが目を覚ます。パチパチと瞬きを繰り返し、ぼんやりした視界から周囲を認識する。現在地も思い出した。風香先生もすぐ戻ってくるだろうと伝えれば不安そうな表情を浮かべる。無理はさせないと伝えても断りきれるか自信を持てないようだ。

 水を持って戻ってきた果穂さんから湯呑みを受け取り、味を確かめる。魔術で細かく振動させて煮沸消毒を行った、自分でも毒見したと説明してくれたが、受け取った物をそのまま御子に渡すわけにもいかない。俺も念の為毒見をし、味も匂いも問題ないことを確かめる。何の変哲もない水の味、というか味のしない液体だ。樹さんにも渡すが、元気にはなっていないため湯呑みの底は離さない。ゆっくりと喉を潤すが、世界樹の島の水も特別な力を持っていないようで、樹さんの様子は変わらない。

「樹、目が覚めたのか。なら世界樹へ行こう。」

 何度も様子見に戻ってきていた風香先生が樹さんを見つけてしまった。手を伸ばして連れ出そうとするが、そんなことをさせるわけはない。知花に触れただけでも大きく影響を受けていたのだ。直接世界樹に触れた場合どうなってしまうのか分からない。まだ力は上手く入らないのか、自力では抵抗できていないが、その代わり俺や結子さんが守る。御子は探し求めた人物なのだとしても、目の前で苦しんでいても何も感じないのか。そんな訴えも届いた感触はない。

「瘴気の浄化方法を簡単に教えてやってくれ。」

 伝授できるような方法はないと繰り返されるが、心の持ちようのようなものは伝えられる。心穏やかに過ごすこと、健康的な生活を送ること、愛されていると自覚すること。それらが瘴気の浄化には必要。自宅から離れ、こんな仕打ちを受けて、そんな心持ちになれるのだろうか。風香先生の下では難しいだろう。健康的な生活は管理されても、その他が壊滅的だ。

 俺たちの話の間も知花は大人しく聞いてくれていた。しかし突然視界が一変し、果穂さんの秘密基地に移る。傍には樹さん、知花、果穂さんの三人。樹さんの顔色も悪くない。やはり知花の転移は負担が少ないのだ。

「果穂も心配してたし、樹も不安そうに飛鳥のこと見てたから。駄目だった?」

「いや、ありがとう。助かったよ。風香先生にこれからもお世話になるかはちょっと考えなきゃな。」

 御子という点を伏せるにしても手助けする人は他にもいるだろう。知っている人に限定しても万城目家は確実に手を貸してくれる。俺も実家に連絡できる。両親も御子であることを広めるようなことはしない。今は風香先生の魔の手から逃す方法を考えよう。

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