代償
三学期ももう最終日。成績表が渡され、学年末試験の結果も掲示される。点数のある科目は順位まで出てしまうが、俺の結果はあまり良くない。順位の出されない武術と音楽なら最高評価なのだが、筆記試験のみの科目は一部落としている。幾つかなら落としても卒業できるが、二度も同じ授業は受けたくない。来年からは座学ももう少し力を入れよう。果穂さんも俺と同じように座学の成績は振るっていない。彼女は新しい人間関係に新しく知る礼儀作法も学んでいた。授業外に覚えることが多かったため仕方ない。
「そうですよね、仕方ないですよね。私たち、武術と音楽の成績は良いですもん。」
「俺も勉強に付き合うから、ほら今から復習するよ。」
一葉に教えてもらいつつの時間になるのか。今はあまりやる気が出ない。彼も真面目一点張りの学生ではなかったはずだ。それなのに何故こんなに差が生じているのだろう。武術と音楽の成績評価に差のある点が唯一の救いか。座学も科目によっては同じくらいだ。俺も一葉も知花と過ごす時間があった。勉強に費やせる時間にも大きな差はなかったはずだ。その上、一葉は一華様のお願い事のために時間を取られることもあった。その点を含めればむしろ俺のほうが時間に余裕はあったのではないか。
「勉強が好きじゃないから授業中に覚えちゃうんだよ。何度も同じ話聞きたくないでしょ?ほら、集中する!」
それができれば苦労はしない。好きでないから集中が途切れ、一度では覚えられなくなる。入学前は稀に会う程度だった花一郎様ともほぼ毎日会い、ほとんど毎回お小言も聞かされた。それらの礼儀作法についても的外れなものばかりではないため覚え直す必要があり、勉強以外にも頭を使うことが多かった。そのせいで授業内容が頭に入らなかった。今年でそのお小言にも慣れたため、来年はもっと覚えられると期待しよう。
自分への言い訳を作りつつ、果穂さんと抗議もしつつ、教科書と向き合う。上に立つ人間の頭が残念では従う人間も不安だろう。いくら何事もなければ兄が領主となり、いざとなれば弟もおり、今の領主軍を支えてくれている人の子もいるとはいえ、最初から任せきりにするつもりはない。気合を入れ直し、と考えていたのだが、今日は休む日にしようという果穂さんの提案に乗り、二人で彩羽の町に出かける。集中して勉強するためには休憩だって必要だ。
傷跡の薄れた彩羽の町はもうほとんど暴走召喚物の影響はないように見える。一部はまだ布や薄い板で補強されているが、それだけだ。人々も戻って来ており、傷ついた家屋ではあるが住める状態になっている。ほとんどの店では商売が再開された。傷跡こそ残っているが、活気のある街並みだ。ついでに知花への入学祝いを買って行こう。味やぬいぐるみの好みも生まれている。気に入る物を選んであげよう。そう仮店舗で営業されている本屋に足を踏み入れれば、風香先生と樹さんも本を選んでいた。結局、樹さんは風香先生といることにし、よく自宅にも泊められるそうだ。召喚物たちと仲良く一緒に寝られることを喜んでいるため、これで良いのだろう。
「飛鳥様と果穂さんも買い物ですか。俺も新しく必要な物があって。風香先生が用意してくださっているんです。」
「こちらの要求で必要になったものだ。こちらが用意して当然だろう。」
風香先生も学校や研究所にいる時とは異なる軽装だ。既に幾つかの店を回っているようで、片手に布袋を提げている。一方の大空さんは荷物もなく身軽だ。見ている先は魔力や魔術関係の本。授業でもそれらについて学んでいるはずだが、聖属性と判明してさらに必要になったのだろう。他とは一線を画す性質を持っているため、今までの資料だけでは不十分だったのかもしれない。こうして売られている書物でどれほど参考になるか分からないが、その辺りは風香先生も考えてくれているだろう。
俺たちの目的は知花への贈り物。彼女は魔力関係なら感覚で分かるため、ここにある本は興味がないかもしれない。話している時もあまり楽しそうではなかった。伝承などのほうが目を輝かせて聞いてくれていた。昔話集も良いだろう。どれが良いだろう。妹のいる樹さんに助言を貰いつつ、数冊選ぶ。俺の予定が他にないか確認され、ないと答えると何故か風香先生の自宅に誘われた。彩羽の教師や研究者の寮ではなく、郊外に小さな家を購入して住んでいるそうで、どんどん町中から離れていく。迷いはしないだろうが、暗くなってから一人で歩くことは避けたい場所だ。
着いたその家は確かに一人で全ての家事ができるなら住むこともできそうな家だった。樹さんも勝手知ったる様子で腰掛ける。ここまで荷物少なく歩いただけなのに樹さんは少し疲れた様子だ。
「飛鳥、果穂、庭に案内しよう。」
聞かせたくない話がある、とこっそり言われ、素直に従う。庭には召喚物らしき羽の生えた馬や豚、蛇が寛いでいた。子どもでも簡単に跨げるような柵に囲われてはいるが、馬でも豚でも当然簡単に越えられ、蛇に至っては隙間から外に出られる程度の代物だ。この範囲内が彼らの家と認識されているだけのことだろう。閉じ込める役割は果たせそうにない。
風香先生がこの場所に俺たちを連れてきた理由は彼らを紹介するためではなく、樹さんの容態について話すためらしい。どうして本人の前では話せないのだろう。
「彼は自分で気付く必要がある。君たちには先に教えておきたい。」
召喚術の授業では習わない事、よく調べれば分かる事。そう前置いて説明は始められる。召喚も転移も魔力を手掛かりに物体の位置を変える魔術。自分の足や馬、船を用いて移動すれば長い時間がかかる距離を一瞬にして詰めることのできる便利な技術だが、代償がないわけではない。召喚術や転移術を発動する術者の体にも負担はあるが、位置を変えられた側にも負担がある。樹さんの体調が優れないのもそれが原因らしい。重要なのはここからで、召喚には強制力を伴わせることができる。しかしその方法は召喚物との間に信頼関係を築きにくくなる要因となり、精神や肉体の安定を欠く原因ともなってしまう。樹さんの召喚にはその危険な召喚方法が利用されたため、長く体調不良が続いてしまっているそうだ。だから、召喚術式を見て実行できそうだと思っても決して真似してはいけない。実行した本人が注意できる立場なのだろうか。
「召喚されてから体調不良が続いていることは本人も気付いている。その上で今、何ができるか、どのくらい危険な状態なのか、と勉強中だ。」
勉強しても危険な状態であることには変わりない。その部分は伏せている。分かれば改善できると信じて、樹さんは行動しているそうだ。勉強してどうにかなる問題なのだろうか。しかし果穂さんには何か思い当たることがあるようで、実家に当たれば少し何か分かるかもしれない、と樹さんとの会話を求めた。
家の中では樹さんが横たわっていた。具合が悪いなら無理をさせるつもりはないが、気を遣って体を起こしてくれる。果穂さんも心配そうにはしているものの質問はした。
「皇都で生活していたんですよね。あなたからはこの彩羽はどう見えているのですか?」
「一番驚いたのは術式。見たことないのばっかりで、びっくりした。授業では日常生活に使わない物も使うからね。」
魔術の授業では町中での使用が禁止されているようなものを習うこともある。術式も種類によっては使える状態での携帯が禁じられている。使う必要のない、禁じられているような魔術は知る機会もなかっただろう。術式も魔道具に既に刻まれており、見えないことも多い。授業で習う単純な球を出現させる術式なんて日常生活では使わない。
「仕事とかで使う魔道具の術式でも見ることはなかったんですか?」
「うちは喫茶店だから。お手伝いくらいならすることもあったけど、魔道具は触らなかったし。普通に言葉で説明はしてくれたね。」
あの喫茶店のご夫婦は優秀な人だったようだ。魔道具の術式は詳細を理解できていなくとも使えるのに、言葉のみを用いて説明できたなんて。それも大変なことをしたという空気も出さず、当然のことのようにできた。だから樹さんもそれが珍しいことだと気付いていないのだろう。
「親御さんから何か特別な話を聞いたりはしていませんか?」
何故か果穂さんは自分の耳のピアスに触れる。普段はしない仕草だ。髪を耳に掛けるでもなく、ただ触れただけ。緊張しているのだろうか。その不自然な動きに樹さんは気付いているのかいないのか、特別な話の心当たりを探るが、思いつかないようだ。
「実家のことはあまり考えたくないな。今は帰るわけにもいかないし、ね?」
特定の二点間を行き来できるよう作られた転送装置を使えば、彩羽と皇都も一瞬で往復できる。しかしそれも転移術のように体に大きな負担を掛けるものだ。船もあるが、転移術ほどではないが体に負担は掛かり、時間も掛かる。体調が改善するまで皇都に戻ることは難しい。帰れないと分かりつつ思い出すのは寂しくなるだけなのだろう。
「君の実家はどうなの?遠い?」
「《豊穣天使》は所在を隠しているので、返事はできません。」
「ああ、そうだったね。従業員も全然見つかってないって話だったのに。ごめんね、忘れてた。あんなに美味しいんだから隠し事が多くて当然だ。」
従業員であることも基本的に隠しているのだろうか。あれだけ流通させられるということは従業員も多いはずなのに、今の所判明している従業員は果穂さんと榴さんの二人。どちらも口が硬く、所在はやはり隠されたまま。情報の管理をよほど徹底しているようだ。美味しさとは関係ないだろうが、仕事に関することなら話せなくても当然だろう。
自分の秘密に関する話題になってしまったからか、果穂さんは樹さんの新しい本に関する話に変えた。ここには時属性を知っている人しかいないからか、魔術関係の話題でも饒舌だ。樹さんも聖属性を隠す必要がないと、警戒心なく全て話してくれる。二人とも家の外から誰かが聞いているかもしれないことなんて考えないらしい。少々心配になる無防備さだ。
「聖属性の、樹さんの魔力ってどんな感じなんですか?」
「まだ上手く操れなくて、分からないんだ。授業も召喚されてからはあまり出られていないし。成績表は風香先生から貰ったけど。」
樹さんは召喚されて以降の体調が思わしくなく、授業も度々休んでしまっている。そのせいで成績も振るっていない。俺と果穂さんと異なる点は芸術と武術の成績も良くないこと。体調不良なのに武術など十分にできるはずもない。元々苦手でもあるため、最低評価だ。選択芸術も音楽と歌うにはある程度体力がいる。今後の授業はどうするつもりなのだろう。
「その辺りは授業担当者とも連携して調整するつもりだ。千秋家の支援する学生だからな。」
この成績で問題ないなら、支援の理由は勉学の優秀さでもその他科目の出来でもない。実家も小さな喫茶店で、特別大きな商会でもなく、何かの伝手を求めてというわけでもなさそうだ。それとも何か隠されていることがあるのだろうか。風香先生も召喚するまで樹さんが御子とは知らなかった。他に理由があるのだろう。喫茶店も酒場同様、情報が集まるのかもしれない。
お茶を飲んで、軽くお菓子も食べて、樹さんは十分休憩できたようで、庭で話そうと誘ってくれた。お気に入りの召喚物たちを紹介してくれるそうだ。
「可愛い子たちだろ。こんなに寄って来てくれるんだ。」
馬は顔を寄せ、獅子は足元に寝転び直し、豚も足に体を擦り付け、蛇は体を這い上がる。随分懐かれているらしい。いつも休んでいる時の様子も教えてくれる。馬や獅子は背中に乗せてくれると言えば、二頭が乗れと言わんばかりに体を下げた。彼らは樹さんを乗せることが好きなのか。今は乗らないと樹さんは断り、代わりに頭や翼、鬣を撫でてあげた。獅子は他にも昼寝の時に枕になりつつ翼を体に被せてくれると言えば、座った樹さんに翼を被せる。よほど樹さんのことが大好きらしい。豚も頭を樹さんの足に乗せている。蛇は最早服の一部のようだ。簡単に首を締められそうな位置に巻き付かれているのに樹さんには恐れる様子がない。自分の腕ほどの太さがある蛇でも十分信頼関係が築けている。
成績や授業、風香先生の召喚物の話などにより会話は盛り上がったが、暗くなる前に帰らなければと風香先生に止められる。果穂さんや樹さんはまだ話し足りない様子ではあるが、また今度にしてもらおう。そう帰ろうとすれば、何故か果穂さんは近々帰省する予定があると風香先生に報告する。《豊穣天使》は千秋領にあるのだろうか。探ることは褒められたことではない。気になっても尋ねることは控えた。