一生あなたを愛します
人怖系のホラーです。
貴方に会えるだけでいい――
今を大事にしたい、先などどうでもいいと言っていた愛人に、妻との離婚を迫られるようになったのはいつからだったか。子を欲しがる妻を避け、愛人に逃げたのに、こちらもまた面倒なことになった。それでも関係を断ち切れず、妻との離婚など考えていないなどと言えるはずもなく、どうしようか悩みながら帰宅すると、自宅のリビングで愛人の桃華が死んでいた。
包丁を手に呆然とする妻の瑠美。
常に超然とした妻とは思えない無防備な表情。
誰が殺したのかは一目瞭然だった。
とにかく警察を……と震える手で携帯を取り出そうとすると、妻が包丁を投げ捨て、
「侑ちゃん、わたし、奥さんに殺されちゃった!」
と俺の胸に飛び込んできた。それから矢継ぎ早に、桃華が瑠美の身体を乗っ取ったらしいこと、それについての経緯を告げられた。
俺との離婚を求めて家を訪ねたら、妻は不倫を知っているが離婚はしないと言ったそうだ。逆に貴女と別れたがっていると嘲られ、逆上して包丁を持ち出し、揉み合いになり刺されたらしい。そして自分の死体を見て、妻の身体を乗っ取ったと気がついたというもの。
そんな馬鹿なと思いつつ、妻が震えながら俺を見つめる表情は、愛人の桃華にしか見えなかった。なにより、あのプライドの塊のような妻が俺の浮気を知っていて黙っていたことや、俺に泣きついてきたこともありえない。
「本当に……桃華なのか? 死んで妻に取り憑いた?」
こんな話、普通なら誰も信じないだろう。ありえないことだ。けれど妻の変わりようもありえない。
「……どうしよう、私、奥さんの姿になったら愛されなくなっちゃう」
逡巡する俺に、涙を浮かべながらすがる妻。どの仕草も桃華のものだ。信じられないが中身が桃華なのは本当らしい。
「……いや、俺は桃華がどんな姿になっても愛しているよ」
そんなことを言っている場合ではない、人が死んでいるんだぞと思いながらも、本音ではホッとしていた。震える妻を強く抱きしめ、この先どうしようか頭を巡らす。
その間も、この身体は桃華の持つ柔らかさはないとか、そういえば妻に触れたのは数年ぶりだとか、どうでもいいことを考えていた。
――あの頃は瑠美の傲慢さに不満を感じていたが、今ならありだ。元から顔は好みだし。
桃華の死体は家の床下に埋めた。
桃華は身寄りもなく、いなくなっても気づかれないと妻(中身は桃華)に言われ、本人がそう言うなら、と埋めることにした。
それにこの家は資産家の義父から結婚祝いにと建ててもらったもの。だから愛着のない家の床下に死体を埋めることに、なんの感情もわかなかった。
「アパートを引き払って、荷物も処分しましたから」
あとから妻(桃華)から報告を受けても、少し引っかかったが、まあいいかと聞き流した。
死体遺棄という罪を犯してはいるが、実際に人を殺したのは自分ではない。もとから他人事ということもあり、日常に戻るのはあっという間だった。
桃華は妻と比べても遜色ない家事能力があった。妻ほど几帳面ではないし、料理もレシピを頼りにしたものだけれど、不満はなかった。夜の生活も、背徳感が加わったからか妻を相手にしても問題なく抱くことができた。
けれども。日常に慣れ、なんとなく刺激がほしくなるのも早かった。元から俺は1人の女性では満足できない男のようだ。
「侑くん、浮気してるでしょ!」
ある日、口紅のついたワイシャツを目の前に突きつけられ、俺は笑ってしまった。俺が浮気をするときは、相手に化粧を落とさせる。それは桃華もよく知っているはずなのに。
「きっと満員電車でつけられたんだよ。桃華も可愛いヤキモチやくんだな。それに忘れたのか? 俺がことに及ぶときはいつもスッピンにさせただろ」
「え……あ、そう、そうだったね」
狼狽える様子に少し引っかかりを感じたが、ごめんなさいと抱きつかれたら、すぐに忘れてしまった。
♢ ♢
最近、家出少女を拾った。
親に見放されていて、知り合いの家を転々としているらしかった。
見目が良かったから衣食住の世話をするかわりに、彼女には身体を提供してもらうことにした。浮気というよりつまみ食いのつもりだった。
その少女が、我が家のリビングで死んでいた。
「どうしたら私だけを愛してもらえるのかしら」
目の前の衝撃に動けないでいると、妻の声とともに、屈強な男たちに体を押さえつけられた。
「でも悩むだけ無駄だったみたいね」
その口調は桃華ではなく、妻のもの。そこでようやくある事実に思い至り、血の気がひいた。
妻は、はじめから――
「やっと気がついた? 私が女優の卵だったこと忘れたの? 私の舞台を観て声をかけてきたのが出会いなのに。なんだか寂しいわね。でも久しぶりに役になりきれて楽しかったわ。なりきるだけの手本はたくさんあったし」
そう言って大型テレビのスイッチをいれ、流れ始めたものは、桃華が殺される前の、俺と桃華の逢瀬。桃華の部屋にいくつもの隠しカメラが設置されていたようだ。
「貴方の純粋さが羨ましいわ」
そう言って、桃華が妻の身体を乗っ取ったという嘘を信じ、騙された俺が瑠美を抱くところを流し始めた。見ていられなくて目を背ける。
「貴方の気持ちがどうであれ、私は愛されて嬉しかったの。でももういいわ。ずっと欲しかった愛の証も手に入れたし、あなたはもういらない」
お腹に手を当て、幸せそうに微笑んだ妻。
俺はひとことも発せないまま、彼女の後ろ姿を見送った。
それから俺は、どこかに監禁された。
これは妻の指示か、妻の知らないことなのかはわからない。けれど泣いても叫んでも誰も助けにこないことくらいはわかる。
死なない程度の食料を放り込まれ、壁に埋め込まれたモニターから、浮気現場や、愛人の名を呼びながら妻を抱く姿、何も知らない間抜けな自分が繰り返し大音量で流される。目や耳を塞いでも無駄だ。時間の感覚はなく、もう何年も経った気すらする。己の糞尿にまみれた暗く狭い室内で、俺の人生は終わるのだろう。
どんな最期でも受け入れるしかない。
全てを諦めたと思っていたが、最期と考えた途端、このまま独りで逝くことが恐ろしくなった。
まわりに誰もいなくても、いると思おう。俺は手を伸ばし、そこに妻を思い浮かべる。
「ごめん……瑠美、ごめん。こんなクズな俺を愛してくれてありがとう」
心からの謝罪を呟き、俺は目を閉じた。
♢
目覚めると、監禁部屋ではなかった。
陽のあたる清潔な部屋。
ふかふかのベッド。
空腹や痛みはなく、穏やかな目覚めだった。
ゆっくり視線を横に向ければ、瑠美が柔らかい笑顔で手を握っていた。
「わかればいいのよ」
俺は死んだ方が幸せだったのではという思いを捨て、一生あなたを愛しますと声にだした。
読んでいただきありがとうございました。