1-4 アシア2
目の前すぐに、『災厄』がいます。『殺人』と呼ばれる個体です。私は補助役であってプロメテウス本体とは別なのですから、実際には私の目の前という訳ではないのですが、プロメテウスの目は私の目なのです。やはり、感覚としては目の前というべきでしょう。
『殺人』は、こちらを見詰めたまま動きません。戦術的に言うと、様子をみるという行動です。
「うーん、さっき見たときも凄かったけど、こうして正面から見ると、また凄いな」
「すごい、ですか?」
「おお、凄いぞ。なんか悪い夢見てがばっと起き上がったら、夢に出てたバケモンが目の前にいて、再びギャー、って感じだ」
よくわかりません。でも、凄いという言葉の使い方は分かりました。
それにしても、マスターは冷静です。人類史上初めて『災厄』と交戦しようというのに。自らの命がかかっているというのに。
血圧・心拍数正常。いえ、戦闘状態ですから数値自体は高いのですが、正常の範囲内です。
対『災厄』戦用であるプロメテウスには、精神攻撃遮断処置が十全にされています。それでも、あの異様な姿を見て冷静でいられるというのは、精神構造がかなり頑健に造られているということでしょう。
『マスター、対象は『災厄』の中の『殺人』と呼ばれる個体だと思われます』
「『殺人』?」
『はい。あの姿を見て耐えられなかったもの、それを耐えてもあの瘴気に触れたものは、強烈な殺人衝動にかられ、殺し合いを始めるでしょう。幸い、現在までに致命的な影響を受けた人間はいないようです。被害の出ないうちに倒しておくべきです』
「よくわからないけど分かった!」
マスターの体が走るという信号を出しました。プロメテウスがそれを感じ取り、走るという動作を始めました。凄いです。初めて乗って走れた人ももちろんいません。
迎え撃つ『殺人』。プロメテウスよりも先に、『殺人』の長い腕がこちらへと攻撃をしました。マスターは機体をわずかにひねって回避。その距離、約2m。機体の大きさを考えると、ほとんど紙一重です。でもマスターは言いました。
「やっぱり自分の体とは感覚が違うな、ちっとズれてる」
これだけ微妙な操作をしているのに、まだ十分ではないようです。そのマスターに、みのりさんから声がかかりました。
「勇人、相手は人間じゃないのよ? どんな武装があるかも分からないし、想定外の動きをする可能性もあるわ。余裕の無い戦い方をしてると、対応出来なくなるわよ」
確かに、折りたたんだままでは短く見えていますが、『殺人』の四肢の長さは異様です。それがどのような動きを見せるのかは、今のところ分かっていません。
「ん、言われてみれば、確かにその通りだ。気を付ける!」
マスターは表情を引き締めなおすと『殺人』に向き直りました。そこに『殺人』の攻撃。マスターはまたぎりぎりでかわしました。
「さっきから考えてたんだけどさ」
「はい」
なんだかマスターは余裕です。
「『さっちゃん』ってどうだろう」
『……はい?』
思わず変な声を出してしまいました。それくらい、マスターの言葉は唐突だったのです。
「いやさ、『殺人』なんてあんまりいい名前じゃないだろ? だから、頭のさをとって『さっちゃん』」
『……はぁ』
こんな時に、マスターは一体何を考えているのでしょうか。
多分、こういう時に使うので間違っていないでしょう。
凄いです。
そんなことを言いながらも『殺人』の攻撃を避け続けていたマスターが、おかしな顔をしました。
「? 今動きがぶれたぞ! なんかしたか!?」
マスターが言いました。すぐに先ほどの動作を確認します。
『オートバランサーが作動しました。操作外の動きは動作補正のためです』
「ごめん、俺バカだからよくわからない」
またこの言葉です。どうやら簡単に説明してほしいという意味らしいと記憶しました。
『オートバランサーです。転倒やバランスを崩すことを避けるため、自動的にバランスを保つ機能のことです』
「ようするに、勝手に動くってことか?」
『簡単に言えばそうです』
「そんなもの使われると感覚が狂う! 切ってくれ!」
「ゆ……勇人くん、流石にそれは無茶よ!?」
慌てた様子で司令が言いました。みのりさんを通さずに直接言うのは、驚いている証拠でしょう。
「司令の言う通りです。オートバランサー無しでは、立ち続けることもできないと思われますが」
「こっちは微妙な感覚で動いてるんだ! そんなもんで勝手に動かれたら、避けられるモンも避けられない!」
無理を言います。でも、マスターの言うことは聞かなければいけないと教えられています。
「わかりました」
私はオートバランサーを切りました。でも、バランスを崩して倒れるのは予想できますので、倒れる寸前に入れなおして受身くらいは取れるように準備します。
再び『殺人』の攻撃が来ました。マスターはそれもかわして、そのせいでバランスを崩し……ませんでした。微妙な脚の動作と手の振り、それだけでバランスを立て直していたのです。
「……どうした、アシア?」
『……いえ。失礼しました、マスター』
私はびっくりしていました。私にびっくりという感情があるとすればですが。とりあえず、これからは暫定的にプログラムやデータにない操作や命令を受けた時に使うことにします。
「勇人、避けてばかりじゃ駄目よ。こちらから攻撃しないと」
その中でみのりさんが言いました。そうです。『災厄』を倒すのがプロメテウスの役目です。そのためには攻撃をしなくてはなりません。
『マスター、避けてばかりではいずれやられます。戦ってください。攻撃を』
「いいや。俺は戦わない!」
「……はい?」
「俺は戦わない。目の前に居るのは敵じゃない。俺の行く手を遮る、壁だ! だから、俺は戦わない。俺がやるのは戦いじゃない。俺がやるのは目の前にある壁をぶち壊すこと!」
理解不能です。私は起動したてであまり知識はありませんが、多分この人のことはずっと理解不能でしょう。
「だとしても、その壁とやらを破らないといけない訳でしょ?」
みのりさんが言います。きっと、マスターの扱いになれているのでしょう。これからはみのりさんの言動を記録して、参考にさせて貰う事にします。
「いや、今ふと思ったんだけどさ、殴ったらコイツだって痛いだろ?」
「そういう問題じゃないでしょう? それに、ソレが生き物かどうかだって分からないんだし」
「だとしてもさ、あっちに乗ってる奴が怪我するかもしれないじゃないか?」
確かに、『災厄』自体が生物ではなくて誰かが搭乗しているのだとしたら、この巨体で攻撃し合ったら怪我くらいはするでしょう。でも、それはマスターも同じです。このまま攻撃を行わずにいれば、いつかマスターの方が怪我をしてしまうでしょう。自分の怪我よりも相手を心配するマスターに、私はまたびっくりしました。
「……アシア、『殺人』内部走査して」
みのりさんが言いました。プロメテウスには、『災厄』の情報を知るための機能があります。その中には生命感知機能もあるのです。
『分かりました……これ、は?』
「どうしたの、アシア?」
みのりさんが聞いてきましたが、私は走査結果の分析を優先しました。
再分析の結果、生命反応とは微妙に違うと結論。
「……失礼しました。『災厄』より、生命反応は検知できません。対象は無人機、もしくは我々の概念での『生物』ではないようです』
「つまり、コイツって生きてる訳じゃないから、徹底的にやっていいってことか!」
『殺人』の攻撃を避けながら、マスターが聞きました。
『肯定です』
私が答えるのと同時に、マスターは機体の体をひねった状態から左拳を『殺人』に叩きつけました。
『殺人』の表面に亀裂が走ります。
でも、プロメテウスの被害の方が大きかったようです。左手の指が全て折れて吹き飛んでしまったのですから。
「……勇人、プロメテウスは格闘戦用には出来ていないのよ。腕がもたないわ」
「いや、指が吹っ飛んだのは驚いたけど……拳を、殴る以外のなんに使えってんだ!」
むしろ壊れるところがなくなって清々したという表情で、マスターは左拳を相手に叩きつけ続けます。まだ無事な右手を使わないのは最後の理性でしょうか。でも、このままでは左腕自体が壊れてしまいます。
『右腰に武装があります。それを使用してください』
私はマスターに伝えました。本当はもっと早く伝えておくべきだったのかも知れませんが、びっくりしてしまってそれどころではなかったのです。
「ドリル?」
その武装を見て、マスターはつぶやきました。ドリルです。とがった先端、溝の掘られた表面。動力部のおさめれられた胴体部分。データにもあります。間違いなくドリルです。
「そうじゃ、ドリルじゃ! ドリルは良いぞ。抜群の破壊力、本体の出力の影響をほとんど受けない安定した攻撃力、鉛玉にはない重厚感。ドリルは男のロマンじゃ!」
博士が熱っぽく語ります。戦闘とは関係ありません。
「ドリル! いいね! 確かに男のロマンだ!」
マスターもそれに呼応します。『殺人』の攻撃を避けながら。すごく器用です。
「……それはともかく、そろそろ攻撃してくれないかしら?」
みのりさんが冷たく言います。途端に二人が黙り込みました。ヘビににらまれたカエルという状態です。博士は開発部門の責任者で司令と並ぶくらい偉い人のはずですが、どうやらみのりさんの方が偉いらしいです。
「……ゴメンナサイ」
ふたりが声を合わせて謝りました。どうやらお話は終わったようです。
『ではマスター、ドリル装着します』
機体右腕の操作をマスターから一時譲り受けて、私はプロメテウスの右腕にドリルを装着しました。こういったルーチンワーク的な動作は私にも出来ます。人間で言うと、小脳反射というものです。
一拍置いて装着したドリルが稼動をはじめます。すぐに回転数は最大まで上がり、うなりを上げ始めました。
「これだよ、これ!」
その音を聞いたマスターが叫びました。ドリルがよほど嬉しかったのでしょう。
『殺人』の攻撃が来ます。マスターはプロメテウスの膝を折ってしゃがみ込んで回避しました。そのまま左手で『殺人』の腕を払ってバランスを崩させて、その腹部に右手のドリルを突き上げるように突き込みました。
「ハイパー・ドリル・クラッシャー!」
マスターが何か叫びます。『殺人』の装甲は一瞬だけ抵抗しますが、ドリルの貫通力が勝りました。それはすぐに砕け散り、敵性体内部にドリルが食い込み、そのまま内部構造を破壊しました。それに伴って『殺人』内部エネルギー量が増大。
『マスター、『殺人』周囲の時空波増大、亜空間転移するものと思われます。巻き込まれないように距離をとってください』
「よくわからないけどわかった!」
私が告げると、マスターはドリルを引き抜き、『殺人』を思い切り蹴り飛ばしました。
『殺人』は数m吹き飛び、その腹部に開いた穴に吸い込まれるようにして、姿を消しました。
後に残ったのは、僅かな空間の歪みのみ。しかしそれもゆっくりと小さくなっていきました。
「消えた? なんで!?」
『おそらく証拠隠滅のため、だと思われます』
「証拠隠滅か。残った機体を分析されたりするのは困るって事か?」
『或いは、そこまでしてでも正体を隠したいのか』
「でも、消えちゃうってのはすごいな」
「ま、出現時に亜空間ポケットを使っていたしな。その能力があったとしても不思議ではないじゃろう」
「……ごめん、バカだからよくわからない。でも相手が消えたってことは、これで終わったってことか?」
マスターが聞きます。私は『殺人』がいた位置を中心にエネルギー反応を走査しました。当然のように反応無し。空間の揺らぎの残滓でしょう、僅かにエネルギー反応が残っていましたが、それも次第に小さくなっていきました。
『そのようです。お疲れ様でした、マスター』
私が答えると、それを聞いていた司令室から歓声が上がりました。大騒ぎです。
「……ところで、勇人。何、さっきの」
そんなことは気にする様子も無く、みのりさんだけは冷静です。
「技の名前だよ! かっこいいだろ!」
「ありきたり。直接的過ぎ。ダサい。10点。優良可なら不可」
「キツっ!」
「それよりアシア、『災厄』がどうなったか、反撃の余力がないか、走査して」
取り乱すマスターを気にせずに、みのりさんが私に言いました。
『はい、すでに終了しています。敵性体エネルギー反応なし、反撃の余力は……』
その時、ほとんど消えかかっていたエネルギーの残滓が、急に拡大を始めました。
『『殺人』消滅地点の残留エネルギー反応拡大、空間の歪みが大きくなっています』
私がそう告げると同時に、それまで大騒ぎだった司令室が慌しくなりました。みなさん切り替えが早いです。さすがプロです。その中で司令が叫びました。
「ごめんなさい勇人君、もう一度臨戦態勢に! アシア、どうなってるの!?」
プロメテウスのセンサーがわずかな反応を感じとりました。これは通信の電波です。
『空間固定、僅かな穴を通して通信が入っています』
「通信って、相手は人間と意思疎通の可能な精神構造な訳!? っていうか、アシア、確か無人機だったはずよね!?」
『いえ、正確には『殺人』消失時の空間の揺らぎを利用しているだけのようです。電波微弱な上にジャミングがかけられており、発信源は不明です。もっとも、そうでなくても私の機能では空間の向こう側がどこに繋がっているかは測定しようがありません』
「そうか……わかったわ。とりあえず繋いで」
『了解しました』
司令の言葉に、私は通信を繋ぎました。サザ、と少し雑音が入った後に、ノイズで擦れた声が聞こえ始めました。
「……映像無しで失礼する。まだ、こちらの居場所を知られる訳にはいかないのでな」
モニターには何も映りません。でも、声の質からして若い女性のようです。
「お前は、誰だ」
マスターが問いただします。司令室の皆さんは言葉を挟まず、その通信に集中しているようでした。
「……その声はその機体のパイロットだな。通信を聞かせてもらった。名前は勇人と言ったか。見苦しいところもあったが、なかなかの戦いぶりだったと言わせてもらおう」
「あ、そりゃどうも。……じゃなくて、お前は誰だって聞いてるんだ!」
やれやれ、というみのりさんのため息が聞こえました。色々と苦労しているのでしょう。わかる気がします。
「名乗るのが遅れたな。私は『災厄』の全てにして終着、『絶望』。貴様等の敵だと思って貰えば間違いない」
「何故こんなことをする?」
「言っただろう、私の名は『絶望』だと。全ての人間に絶望を。それが私の存在理由だ」
よく、わかりません。そもそも『絶望』というものがなんなのか、私のデータにはありませんでした。
「なにが目的なんだ?」
「これは異な事を。『災厄』が災厄を撒くのに理由が必要か? 例えば、貴様等は息をするのに理由を求めるか? 同じことだ」
「少し、いいかしら」
それまでしんと静まり返っていた司令部の中で、司令が言葉を発しました。
「……貴方が『絶望』だと言うのはわかったわ。でも、『貴方達』は何者なの? そしてどこから来たの?」
「それに答えることを私は許されていない。いずれ知ることもあろう。もしも、貴様等が勝利を重ね続けることが出来るのならば。……知らない方が良かったと思うかも知れんがな」
「……どういう、意味かしら?」
「言葉通りの意味だが?」
少しの間、沈黙が続きました。司令は言葉の意味を考えているようでした。そして『絶望』という名前の相手は、たぶん司令には興味を持っていないように感じます。
「……勇人。聞けば貴様、その機体に乗ったのは初めてだそうだな」
「ああ、それがどうした」
「今のうちによく慣れておくが良い。次には私が直接出る。つまらない戦いにだけはしてほしくないからな」
「お前が『災厄』とか『絶望』ってもんを持ってくるっていうなら、俺が防いでやる。絶対にだ!」
「そうか。では、楽しみにさせて貰う。また近いうちに会うことになろう。それまでせいぜい腕を磨け」
「待って! まだ聞きたいことが……」
司令が叫びますが、それを気にする様子もなく通信は切れてしまいました。あとには雑音が響くだけです。
『……通信、切れました』
私がそう言いましたが、司令は少しの間黙ったままでした。
「……結局、何もわからないままね」
そうしてしばらく考え込んでいる様子でしたが、すぐにモニターのマスターの方に向き直りました。
「勇人くん、お疲れ様でした。基地に来てください。出来る限りのおもてなしをするわ。アシア、お願い」
『わかりました』
周りを見回して見ると、退避していた出撃班の人たちが戻って来ていました。プロメテウスでの戦闘が始まってしまうと、その気はなくても気付かないうちに踏み付けてしまったりします。だから戦闘中に近づくのは危険極まりないので、操縦者以外は近づいてはいけないのです。
プロメテウスの運搬用トレーラーも無事だったようでした。どうやら歩いて帰る必要は無いようです。今日はいろいろあったので、出来ればすぐに動作確認や最適化をしたいと思っていたので、とても助かりました。