1-3 アシア1
『搭乗者確認……再起動スタンバイ……』
センサーが搭乗者を確認すると同時に、それまで休眠状態だった意識が半覚醒状態へと移行しました。
私はゆっくりと瞳を開けます。
そこにいたのは見たことの無い人。各種センサーで走査。そのいずれもが知らない人だと言っていました。
『搭乗者生体情報登録なし……貴方は当機の搭乗者として登録されていません。速やかに機体から降りてください。警告に従わない場合、強制排除されます……』
私は警告を出しました。こういった場合のためにそう教えられていたからです。
「あれ? 女の子が乗ってる?」
その人は全く見当違いのことを言ってきました。
『私は当機、『プロメテウス』のサポートのためのナビゲートコンピュータです。性別などは存在しません。……再度警告します。搭乗登録者以外が当機に乗ることは許可されておりません。速やかに機体から降りてください』
「でも女の子の声だろ?」
『女声なのは、搭乗者の精神的な影響を考慮した結果です。それよりも搭乗登録者以外が……』
「つまり、女の子の声の方が、乗ってる奴の気分が良いって事だろ? だったら本当に女の子だと思った方がもっと気分が良い!」
理解不能です。少なくとも、現在私にわかる語彙ではその発言の意図を把握できません。その言葉を理解することを放棄し、最優先事項を繰り返すことにしました。
『搭乗登録者以外が当機に乗ることは許可されておりません……速やかに機体から降りてください……』
「この状況でそんなこと言ってる場合じゃないだろ! とりあえずあの野郎をぶん殴んなきゃ街が大変なんだよ!」
どうやら、降りてくれるつもりはないようです。あともう一度同じことを言って、それでも降りてくれない場合には強制排除するように教えられていました。
でも、強制排除すると、その人は怪我をしてしまうかもしれないということも教えられて知っています。私は人間を守るために生まれました。それなのに、人間が怪我をするかもしれない行動をするというのはいいことなのでしょうか。
その時、基地からの通信が入りました。正規の搭乗者がいない場合、基地からの指令を最優先するように教えられています。ですから、私はすぐに通信を繋ぎました。
「アシア、スタンバイ状態確認したわ。何があったの」
基地からの映像が流れて来ました。この人はみのりさんという方です。基地からの指示を伝えてくれる人だと記憶にあります。
「みのりか?」
操縦席に乗っている人が、みのりさんの映っているモニターに向かってそう言いました。
「……勇人?」
「おう、こいつなんとかしてくれよ。この状況で乗らせないとかって強情でさ」
「まさかとは思ったけど、本当に乗ってるなんて……ごめん、ちょっと待ってて。アシア、強制排除は少し待って」
『了解』
強制排除という行動は状況から言って明らかに人間を守るという命令よりも優先されますが、だからといって人間に怪我をさせてはいけないという判断も有効なのです。そのような事態は回避されるに越したことはありません。
すぐに画像が変わりました。映った人は高松司令でした。基地の最高責任者です。高松司令が操縦席の人に向かって言いました。
「話は聞いたわ。貴方が勇人君ね。私は司令官の高松です。その機体とこの基地の一切を預かる……まぁ責任者って事ね。現場にいる貴方が一番良くわかっていると思いますが、今街は危機的状況にあります。そして、現状を何とか出来るのが、貴方の乗ったその当機だけであることも、わかってもらえると思います」
「ああ、勿論。だから乗ったんだけど」
言いながら、操縦席の人は足元のペダルを踏んだりしていました。もちろん動かないように固定されているのですが、機体の動作と関係が無い程度には動きます。そう言う余分に動く分を遊びというのだと記憶で知っていました。
「そうね」
そう言って、高松司令は笑いました。記憶では苦笑という笑い方ですが、それとは微妙に違うようです。
「率直に聞きます。……貴方は、命をかけることができますか? もしかしたら死ぬかもしれない……いえ、この際はっきり言います。性能のわからない敵に、操縦訓練も受けていない、それどころか兵士ですらない貴方の操縦するその機体。勝てる見込みは先ずありません。それでも、……死んでもこの街を守るのだと、その覚悟はありますか?」
高松司令は真剣な表情になって言いました。私には人間を守るという命令がされています。それが出来ない事、人間が死ぬということは最悪の事態だということになっています。
「無い」
その人は、すぐにそう答えました。死なない、というのは私の判断の中では最良の選択です。それを聞いた高松司令は少しだけ黙っていましたが、すぐに言いました。
「わかりました。ではすぐにその機体から降りてください。降りたからと言って安全は保障できませんが、再起動した以上、敵は敵対戦力であるその機体を狙ってくる可能性があります。そのまま搭乗しているよりは安全だと思います。それまで機体が無事だとは思えませんが、こちらから操縦者を送って……」
「勘違いしないでください。乗らないとは言ってないです」
そう言いながら、操縦席の人はレバーを握った腕を動かし始めました。レバーは筒状になっている一番奥にあって、この筒は腕の動きを細かく走査しているのです。
「え……でも今、戦う覚悟はないと」
「違います。無いのは死ぬ気ですよ。相手の強さがわからないとか、操縦の仕方がわからないとか、そんな事は関係ないです。ここには誰もいなかったからいいようなものの、それでも公園が滅茶苦茶だ。だから、俺はあいつをぶん殴って、説教してやらなきゃいけないんです。その上で、生きて帰ります。そのためには、コイツが動いてくれないとどうにもならないんですが。なんとかしてくれませんか?」
司令は一瞬黙り込みました。それはあっけに取られた表情だったと思います。でも、すぐに笑顔になりました。苦笑よりもずっと明るい表情です。
「わかりました。統括責任者として依頼します。その機体……プロメテウスにて、敵性体の排除をお願いします。アシア、その人を搭乗者として正式に認定します」
司令がそう言いました。強制排除をして怪我をさせる危険は回避されたようです。二律背反から解放されて、私は負荷が軽くなりました。
『了解しました。今までの失礼をお詫びします。私の名はアシア。当機、プロメテウスのナビゲートコンピューターです。貴方を補助し、機体の制御・情報処理等を担当させていただきます。……搭乗者登録を行います。少々お待ちを』
その人が異物から搭乗者に変更されたことによって、私の対人モードが排除から補助へと切り替わりました。
搭乗席にいる人を、各種センサーを使って走査していきます。網膜パターン、静脈パターン、指紋、DNAパターンなどです。
「勇人」
私が登録のための走査をしていると、画面にみのりさんが映りました。冷静な表情をしています。無表情という方が正しいかもしれません。
「……色々言いたいことはあるけど、後にするわ」
人間は、本気で怒ると表情が無くなるそうです。だとしたら、何をそんなに怒っているのでしょうか。
「これからは、私がオペレーターを勤めるわ。聞きたいことや伝えたい事があったら、何でも言って」
「ああ、ありがとう。……でも、みのりがこんなことしてるとは思わなかった、かな……」
対する搭乗者の表情は、微妙に歪んでいます。引きつっている、という状態のようです。
「オペレーターだっていうことは言ってなかったけど、ここに勤めてるって事は言ってあったでしょう? 別に不思議に思うことじゃないわ」
「いや、ただの公務員だと思ってたし。ってーか、ここがこんなことしてるとこだなんて全然思ってもいなかったしなぁ……」
そう言っている間に登録が終了しました。
『網膜・静脈・DNAパターン・指紋登録完了。お名前をお願いします』
「神成勇人」
その名前を、心心に刻みました。教えられたことと与えられた知識以外では初めての記録になります。
『……声紋およびマスター名登録しました。オールグリーン。貴方をマスターとして認識しました。早速ですが、マスター。当機の操縦マニュアルを説明します』
正規の搭乗者のことはマスターと呼ぶらしいのです。それに習うことにしました。
「簡単に頼む!」
『はい。では基本的なことだけ。基本的に、動作は精神感応や脳波を読み取って行う事になります。細かい補助として身体に流れる電気信号を読み取ることもありますが、いずれにしても、実際の動きは必要ありません」
「……ごめん、俺バカだからよくわからない」
バカというのがどういうことかはよくわかりません。でも、マスターが理解できなかったということはわかりました。
『簡単に言えば、自分の体を動かそうとするだけで動くということです。それから、足元のペダルのつま先側を踏み込むことで足裏の車輪による高速前進、かかと側で高速後退です。本当ならば考えるだけで済みますから必要ないのですが」
「それはな、ないと寂しいからじゃ」
それまでみのりさんの映っていたモニターに、ひげのおじいさんが映りました。私とプロメテウスを作ってくれた人です。実際に顔を見るのは始めてですが。
「えと、どちら様?」
マスターが聞きました。
「わしは冥加橋博士。その機体を作った者じゃ。気軽に博士と呼んでくれてかまわん」
「はあ、博士ですか」
そう、博士です。データにある通り、見るからに博士です。白衣を着ているところとかひげなところとか。
「思いっきりペダルを踏み込んでローラーがぎゅるるるん。燃えるじゃろ?」
理解不能です。どう反応すればいいのか教えられていませんでしたので、私は無視して説明を続けました。
「それ以外の細かい動作やその補正については私が担当しますので、自分の身体を動かす感覚で行動してください』
「ん、それならなんとか」
そう言いながら、マスターは腕と脚とを動かしました。急に動かしては機体のバランスを崩して倒れたり、動かしすぎで機体に損傷を与えてしまう場合があります。そういったことを防止するのも私の仕事です。
でも、私が補正するまでも無く、機体はゆっくりと地面に手をつき、そして両足を踏みしめて立ち上がりました。
いくら考えただけで動くとは言え、自分の身体とは感覚が違うものです。急に自分の手足の長さが何倍にもなれば、立ち上がるだけでもかなり難しいでしょう。まして、実際には自分の身体ではないのです。プロメテウスにはオートバランサーというものがついています。倒れないようにバランスをとる機能なのですが、それでも機体のバランスをとり、しかも立ち上がるという姿勢変化はとても難しいのです。
私は搭乗者を迎えたことはありませんが、シュミレーターでの結果が基本知識として登録されています。その中では、初めて乗った一度目で立ち上がることのできた人はいませんでした。
『……立ち、上がりました』
「当たり前だ。立たないでどうする」
『……失礼しました。ではマスター、ご指示を』
マスターの命令は簡単でした。
「決まってる!、こっちの話も聞かずに殴りかかってくるような奴の対処はただひとつ! あのバカをぶん殴って、おとなしくさせる!」