1-2 みのり2
「みのりちゃん、現状!」
非常ベルをかき消すほどに響く声で司令が叫ぶ。それに我に返ったのか、静まりかえっていた周囲の所員が慌てて動き出した。
「はい!」
返事をする間ももどかしく、自席の機器を操作する。街内はいたるところにカメラが備えられていて、この場に居ながらにして街で起こる全てを知ることが出来るようになっていた。その中から警報を発したカメラを探し出す。
「南区に未確認物体出現、モニターに出します、準備よろしいでしょうか」
それが予測された存在であれば、軽はずみにその姿を映す訳には行かない。司令の指示を仰ぐ。
「全員、対精神攻撃防御!」
「精神防御と言われても……」
所員の誰かがつぶやく。避難訓練を真面目にやらないタイプだ、絶対。
「散々訓練でやったでしょ! とにかく気をしっかり持つの! ……全員、いいわね? みのりちゃん、お願い!」
「モニター出ます……出ました!」
切り替えると共に、司令室正面に備えられた大画面モニターにその姿を映し出す。
それは、巨大だった。周囲の木々と比較してみればわかる。20mか30mか。人間が認識できなくても、日常生活に問題のない程の巨大さ。それが、悠然と歩いている。
でも。
問題は、「そこ」ではない。
司令部全員の息を呑む音が響いた。一瞬遅れて、気の弱い所員の幾人かがえづく音がする。その場の誰もが動けなくなっていた。
人間の想像の域を軽く凌駕するその異形、まるでファンタスティック・リアリズムの絵画のような『ありえない』存在。そこから与えられる印象は、恐怖である以上に直接的な『絶望』。
外見は、異様に長い四肢を折り曲げるようにして歩く、四足の獣。しかし、四つ這いになっている人間を思わせないこともない。
そうとしか言いようがない。形容が出来ない。人間の言葉では、人間の想像から発することの出来る言葉では、表現の仕様がない。
人間の……少なくともまともな人間にはそれを認知できないほどの異様の姿が、町を歩いていた。その全身を黒い霧のようなものが……瘴気としか呼べないものが覆っていた。
二年前。『予言の女神』という政府組織がひとつの予測を出した。
『災厄』。
そう呼ばれる敵性体が、首都圏山間の町に現れると。
それは全ての人間に『絶望』を与えるのだと。
「な……何をやっているの!!」
最初に我に返ったのは司令だった。声を張り上げることで拘束を振りほどき、皆に正気を取り戻させるために机をバンバンと叩く。
その音に、所員達が動き始めた。
「いい、ここは『コーカサス』なのよ!? 人間のために神々の王に刃向かい続けたプロメテウスが、三万年の永きに渡って磔され、肝臓を抉られ続けるという絶望を耐えた、その場所なの! ここにいる全員、その覚悟は出来ているはずです。こんな『見た』だけの絶望に耐えない所員はここにはいないと信じます!」
流石司令、一瞬で全員の心を立ち直らせた。勿論、『災厄』がそこに存在する以上、完全に『絶望』を廃する訳にはいかないのだけれど。
「ふむ、精神攻撃の遮断は出来ているはすじゃが、それでもこの威力か」
「むしろ、だからこそこの程度で済んだんです。遮断対策がされていなければ、その姿を見ただけで司令部は麻痺していたでしょうから」
『災厄』のこの精神効果は、すでに『預言』されていた。そのために基地全体に対精神攻撃処置がされている。
「みのりちゃん、くわしい状況は!?」
「目標、街方角へと進行中、いずれ民家の集中する地帯へと達します」
自分の意見は挟まず事実のみを述べる。オペレーターとして教え込まれた行動。
いよいよ始まったのだという想いが体と思考を堅くする。
だが。今はしなくてはいけないことがある。その思いのみが報告を続けさせる。
「第一種警戒態勢発令! 山田さん、緊急非難勧告放送を! 関係機関には後日、私から説明をします。同時に、逃げ遅れた住民の救出班を出動、『災厄』を直接見た人は自力では逃げられないはずだから! 対精神装備忘れないように! それと「『機体』」を緊急起動させます! みのりちゃん、起動し次第補佐開始出来るよう準備、植村中尉を呼び出して搭乗するよう連絡を!」
司令の指示はすばやく、そして的確だ。ただ、
「司令、植村中尉は本日自宅待機です」
「って、あーもう、こんな時に限って! 誰よ、そんな命令出したの!」
「司令です!」
その場の全員が口をそろえて叫ぶ。逆上していた司令も一瞬止まった。が、そんな場合ではないことはここにいる全員が知っている。
「……今はそんなこといいの! 中尉の自宅ってどこだっけ!?」
「目標の反対側、ほぼ同距離です!」
「つまり、目標はここと中尉の自宅の真ん中辺りにいるってことね。……ということは、到着を待って出撃するよりも途中で合流するほうが早いか。どこか合流地点になりそうな場所、ないかしら!?」
山の迫るあの辺りには広い場所はあまりない。唯一あるものといえば。
「近くに公園があります」
私の言葉に、即座に司令が反応した。
「地図出して! ……そっか、南区ってみのりちゃん家の側だっけ。彼は大丈夫?」
今朝、公園に行くと言っていた勇人の顔が思い浮かぶ。逃げていてくれれば良いけれど、それをする性格ではないことも良く知っている。
「彼ではありません。それに、今は私事を言っている場合ではありません。地図、出ます」
モニター上の目標体に重なるようにして、周辺地図が表示される。基地と目標体位置と公園、中尉自宅にマーキングがされる。目標体の前に短い矢印が示され、その進行方向と長さで速度が分かるようになっていた。
「……そうね、目標体進行方向からずれてるし、広さも申し分ない。わかったわ。『機体』を公園に移動、植村中尉と合流の後に『災厄』と交戦に入ります!」
自分のなすべきことを見つけ、行動を始めた所員たちに指示を飛ばしながら、司令は博士に聞いていた。
「博士の意見は?」
「そうじゃな。預言に間違いがなければ、あれは『殺人』と呼ばれる個体じゃろう。他の『災厄』達よりも効果は小さいが、もっとも分かり易い『絶望』じゃ。行動が直接的な分、早く対処せねば、被害は広がるじゃろうな」
「……あの大きさで『殺人』ですか? いえ、私も聞いていましたが。あれなら『殺戮』でもいいのでは……?」
「いやいや、奴等の本分は直接的な行動ではない。『災厄』とはそれを呼びよせる『災厄』それ自体の名。奴が殺人を犯すからそう呼ばれるのではなく、奴が存在することにより殺人が起こるのじゃ。奴の影響を受けた者は己の殺人衝動を抑えることは出来んだろう。……奴が人気のあるところまで出た時点で、殺し合いが始まるぞ」
司令が息を呑む。軽く考えていた訳ではないのだろうが、事の重大さを改めて教えられたのだ。
「機体、及び植村中尉の状況は!?」
「出撃班、公園に到着しました! 『災厄』から約1kmの位置に前線本部を設置、続けて機体、起動準備に入っています」
「植村中尉、公園近くへ到達、まもなく出撃班と合流する予定です」
「『災厄』の進路が住宅を逸れていたのが幸いしたわね。もっとも、あの辺りに民家はまばらだけど。……これならなんとかなりそうね」
司令がふうと嘆息した。初めてでしかも予想以上に早い、準備の整っていない状態での実戦だ。それがなんとか準備が整って一息ついたのだろう。
「ところで山田さん、『災厄』の進入経路は?」
当然センサーは町の中にしか無いわけではない。周辺に設置されたセンサーは全てここからの操作が出来るようになっているし、『災厄』の可能性のあるものについては国内全域から情報が送られてくる事になっている。そのどれにもかからずにいきなり町内に現れることは、事実上不可能なはずなのだ。
「それが、いずれのセンサーにも補足されていません。いきなり出現したとしか……」
「いきなり出現って、あの質量が急に出現する訳無いでしょう?」
「いや、そうとも言えんぞ。山田君、データを出してくれたまえ」
博士に言われて山田さんがサブモニターに立体図を出した。複雑に入り組んでいて、見ただけでは何を示しているのかわからない。
「これは『災厄』が出現した直後の時空波、電磁波、重力波を表したものじゃ。見ての通り『災厄』の出現地点を中心に乱れが」
「博士。緊急時ですので手短に」
司令が遮った。司令部一同ほっと安堵するのがわかる。
「……そうか。つまりじゃ、亜空間ポケットを使ったのじゃろうということじゃな」
「亜空間ポケットですか?」
「かなり乱暴じゃが、要するに潜水艦のようなものだと思えばわかりやすいじゃろ。潜水艦が水に潜る様に、『災厄』は空間に潜っていたのじゃな。潜ったり浮いたりする時は波を立てるが、潜っている間は波も立たんから、水上からはわからんという事じゃ」
「つまり、出現を予測するのは不可能ということですか?」
「そう言うことじゃ」
「対処療法しかないということですか」
そう、司令が安堵のため息を吐いたその瞬間だった。
「『災厄』、速度上昇及び進路変更しました! 時速200km超えています! 目的地、公園の模様!」
「200……!? あの重量で!? っ、機体は!?」
機体の管理は私の担当だ。その状態確認し、司令の叫びに答える。
「起動準備まもなく終了します。しかし、植村中尉まだ到着していません」
「植村中尉、『災厄』の進路上にいます!」
私とほぼ同時に、植村中尉と交信していた山田さんが叫ぶ。
「っ……植村中尉及び出撃班を至急離脱させて! とりあえず安全地帯へ、その後に再合流します!」
司令の指示を受けて出撃班に指示を出す。しかし。
「りょうか……っ、植村中尉よりの連絡、途絶えました!」
「……!」
山田さんの報告に司令が息を呑む。でも、それで終わりではなかった。
「突撃班、撤収準備間に合いません。目標体目前」
「……っ、機体投棄を許可します! 人命優先で!」
「しかし、司令」
機体を失う事がどういうことか、基地の全員が知っている。その全員の気持ちを代弁して私は意見しようとした。でも。
「どっちも失うよりマシでしょう!?」
もっともだった。司令部に緊迫した空気が流れるが、この場で出来ることなど何も無い。
「はい」
「完全に裏目か……どうする、機体無しで?」
「……? 『災厄』、公園内にて速度落としました。歩いている……状態です」
新しい報告に、司令部全体の雰囲気が変わる。どちらかというと、戸惑いの雰囲気。
「機体に向かっているの?」
「いえ、方向がずれています。機体に向かっている様子はありません」
殺気立っていた司令室内に、ひとまず助かったという安堵が降りる。
「とは言え、今の方向転換もあるし」
でも。その中で私はモニターの中に見慣れないメッセージが流れているのを見つけた。実際に見るのは初めてだが、それが何を意味しているのかは知っていた。この状況ではありえない内容。
「司令、アシアのスタンバイ状態移行を確認しました」
「……え?」