3-1 高松司令1
「うー、疲れたぁ」
んー、と伸びをする。堅く強張った肩と背中に血が流れてくるのが分かる気がする。
今いるのは専用の執務室。流石に極秘扱いの報告書をみんなのいる司令室で作る訳にはいかない。そのために、専用の執務室が用意されているのだけれど。
「執務室なんていらないから、事務仕事なくしてくれないかなぁ……」
無理だと分かっている事をつぶやいてみる。空しくなった。
やれやれ、と肩をさする。事務仕事は不得手なのだ。特に報告関係とかは、意味がある事だとは思えない。それで戦いが有利になる訳でもなく、それで所員たちの士気が上がる訳でもない。所詮はお偉いさんたちの自己満足なのだ。
「ま、不安だっていう気持ちもわからないじゃないけどねー」
不安なのは、みんな同じなのだ。次は負けるかもしれない。その結果どうなるのか。何が起こるのか。
でも。安全な場所にいるお偉いさん達等は正直な話、どうでもいい。基地にいる私達ですらまだいい。
負ける事、イコール命の危険、という勇人くんはどうなのだろうか?
「……『私には、貴方を無事に帰還させる責任があるの』、かぁ」
脱力。椅子の背もたれに身体をあずける。
その言葉に嘘は無い。
勇人くんにも、それ以外の誰にも犠牲になどなって欲しくは無い。しかも、今、プロメテウスと勇人くんを失うことは出来ない。その事により、更に被害は大きくなるだろうから。
でも、もしも。
敵が最後の一体であれば。あるいは『災厄』を倒せるだけの戦力の目処がついていて、そして勇人くんを失うに値するだけの成果……例えば多数の犠牲を防ぐなどの名目があれば。
……私は、勇人くんに『死ね』と命令することを躊躇わないだろう。
「口ではカッコいい事ばかり言って、心の中じゃそんななのか。……最低だ、私」
それが現実だとわかっていても、二人を救うためにひとりを切り捨てるのが『責任者』の役目だと分かってはいても、それでも割り切れるものではない。
椅子をぎしぎしと軋ませながら、空を仰ぐ。
でも、ここから見えるのは閉塞された天井だけだった。
気が滅入る。でも、実際に空が見える場所では、空を見上げることは出来ない。
眩し過ぎるのだ。
「コーヒーでも、飲むかなぁ」
立ち上がり、執務室を出る。誰か呼べはコーヒーくらいはすぐに持ってきてくれるが、そこまでして貰うのは気が引けるし、何よりコーヒーを飲みたいというよりは気分転換をしたいのだ。もっとも、休息室まで行ってコーヒーを啜ったくらいでは気が晴れないことは分かっているけれど、それくらいしかできる事はない。
でも、執務室を出てすぐ。
「……あのー司令?」
背後から声をかけられる。勇人くんの声。驚いた。今一番聞くのが辛い声。
「ん、なぁに? 何かわからないことでもあるの?」
努めて明るい声で、動揺していない風を装いながら振り向いた。勇人くんはなにやら困ったような、戸惑ったような表情をしていた。むしろこちらが戸惑う。
「えーっとですね、最近、何故かみのりの機嫌が悪いんですけど……」
「あー、まぁ、ねぇ」
それは見ていればわかる。勇人くんは、いつ死ぬかわからないと言っていい状態なのだ。しかも前回のあの無茶具合。それで機嫌が良くなる訳はない。
「で、色々考えてみたんですけど……全然理由とか思いつかなくて。直接聞くのは怖いし、仕事の事で何かあったんなら、司令なら何か知ってるかなって」
面食らう。わからない訳がない。みのりちゃんの態度は、あんなにも分かりやすいのに。
「えーっと……本気で、わかんない?」
「はい。さっぱりです」
きっぱりと言う。むしろ気持ちが良いくらいだ。でも、この分かりやすい状況でもわからない人に、どうやって説明するべきか。
「例えば、そうねぇ……もしみのりちゃんがプロメテウスの操縦者だとしたら、どうする?」
「そりゃ止めさせますよ。みのりにそんな危ない事はさせられませんから」
「じゃ、その操縦者になった勇人君に対して、みのりちゃんはなんて思ってるかしら?」
「えっと……んー……わかりません」
あえて言ってしまおう。駄目だ。この人は駄目だ。本格的に駄目だ。これに今まで付き合ってきたみのりちゃんの苦労を思って目頭を擦る。
「貴方が思うのと、同じ事を思っている筈よ。<ruby><rb>機体</rb><rt>プロメテウス</rt></ruby>に乗るのは危険すぎる。今すぐにでも止めて欲しい。でも君が<ruby><rb>機体</rb><rt>プロメテウス</rt></ruby>に乗りたいっていう気持ち、それから<ruby><rb>ここ</rb><rt>コーカサス</rt></ruby>の人間として、すぐれた操縦者を辞めさせる訳にはいかないっていう思いとで板ばさみになってるのね。だから、機嫌が悪いくらいは我慢してあげないと」
「そうか、みのりは俺の事を心配してるのか……」
本気で始めて気付いたという表情。ああみのりちゃん、私涙が止まりません。
「それを解決するには君が<ruby><rb>機体</rb><rt>プロメテウス</rt></ruby>を降りるしかない。でもそうなればなったで、君の意思を曲げさせた事を後悔するでしょう。自分の気持ち、それもどうしてそうなのか本人もわかっている筈のことだもの。自分で解決するしかない。だから気持ちの折り合いがつくまではそっとしてあげる方が良いわ」
「いえ、それは駄目です!」
「え?」
「このままじゃみのりだって良い気持ちじゃないだろうし、俺だって嫌です。だから、今、とことん話し合います! ではありがとうございました」
じゃあ、と手を上げて去って行こうとする勇人くんを呆然と見詰める。
「全く……かっこいいんだか悪いんだか」
ため息をひとつ。まぁ、こういう真っ直ぐなのは、見ていて気持ちがいいのは確かだ。
だからこそ、彼に対しての罪悪感は募っていくばかりなのだが。
「ね、ちょっと待って」
「はい?」
すでに歩き始めていた勇人くんは、私の声に立ち止まって振り向いた。
「話しても無駄だと思うわよ」
「何故ですか?」
「言ったでしょ、みのりちゃんもわかってるのよ。それでも納得できないからああいう態度になってるんだと思うの。分かってる事をあらためて説明されても怒らせるだけだわ」
「えーと……そういうもんですか?」
「そう。だから、お姉さんがひと肌脱いであげるわ」
自信あり気に微笑んで見せる。その行為に、少しでも罪滅ぼしをする事で自分が楽になりたいという気持ちが無い訳ではなかったけれど。
「ま、お姉さんに任せておきなさい」
「と、いう訳で! 勇人くんの歓迎会を兼ねた慰安旅行を決行します!」
私がそう告げた瞬間、わっ、と歓声が上がる。それはもう、『災厄』を撃破した時を超える大歓声。
「……は?」
その中で、みのりちゃんひとりだけが違う反応だった。……予想通り。
「司令。もう一度お願いします」
「たから、慰安旅行よ。勇人くんの歓迎会もまだだったし、ちょうどいいでしょう? 夏だから海水浴とか考えたんだけど、こっから海って遠いし、やっぱりここで慰安って言えばやっぱり温泉よね」
勿論、多分に私情が入ってるんだけど。
「な……司令、何時『災厄』が出現するか分からない状況で慰安旅行など」
言い合いでみのりちゃんに勝てるとは思えない。というか、みのりちゃんにペースを取られると迫力負けしてしまうのだ。それを押さえ込むには勢いしかない。
「そうね。みのりちゃんの言う通り、何時『災厄』が出現するか判らない状況だわ。所員は全員常に臨戦態勢、気の休まる時なんてない。だからこそ、全て忘れてリラックスできる時間をつくる事も大切なのよ? まして誰も一人で戦う事なんて出来ないの。例えば勇人君が整備班の人と仲良くなっておけば、整備班の人たちも勇人くんのためにって、今まで以上に頑張って整備をしてくれるかもしれないのよ? それは勇人くんのためにもなるのよ?」
「……司令。ご高説はありがたいのですが、そう言うときくらいは温泉ガイドを手放して貰えますか?」
「……あはは」
笑って誤魔化すが、みのりちゃんの視線は厳しいまま。でも、手ごたえはよかった。なんと言っても勇人くんのため、ってのがよかった。たった今思いついた口からでまかせだけど、確かにその通りだと自分で納得。
「これでも色々考えてるのよ? 海にも行きたいなー、と思ったけど、流石に県外まで行っちゃうと防衛上問題あるでしょ? だから、近場の温泉にしようかなって。勇人くんも前回<ruby><rb>『飢餓』</rb><rt>リーモス</rt></ruby>のせいで底疲れしちゃってて、お医者さんじゃ治らない類の疲れな訳だし、ほら、温泉なら一時間もあれば帰ってこられるでしょ?」
「一時間あれば街は壊滅してます」
「……あうう。で、でもほら、もう予約も入れちゃったし、みんなもこんなに楽しみにしてるし、ね?」
応援を、とぱかりに他の所員たちにふる。他のみんなも慣れたもの、打ち合わせた訳でも無いのに、みのりちゃんに向かって視線で『温泉行きたいよう』『駄目なの? ねえ駄目なの?』とか訴えかけている。みんなやるなぁ。
そして、それを無視出来るほど、みのりちゃんは鬼ではない。
「……わかりました。ただし、緊急時の移動手段の確保と最低限の人員を残す事だけは確実にお願いします」
「ええ、もちろんだわ! やっぱりみのりちゃん愛してる!」
大げさにみのりちゃんに抱きつく。
「まぁ、言い訳がそれっぽかったですから、今回は騙されておきます」
はははっ。ばれてるわ。