プロローグ 春は出会いの季節というけれど
--フォルトゥナ王国の王都にある『聖リンベル学園』のとある廊下にて--
寝癖とは無縁そうなハニーブロンドの髪に、透き通ったエメラルドグリーンの瞳。
『容姿端麗』という言葉を具現化したような長身の男性が私に問いかけた。
「き、君の名前は?」
「…アメリ・ブラウンです。」
そう答えた瞬間、首筋にチクリと痛みが走る。
「いたっ…」
(え、何…首を噛まれた?どういうこと…?)
突然の出来事に頭は真っ白。どんどん視界もぼやけていく。
そんな私を見て、彼は満足そうな笑みを浮かべ呟いた。
「見つけた。僕の番…」
(…番?この人は何を言ってるの…)
どういうことか尋ねようとするけれど、頭が真っ白で上手く言葉が出てこない。
彼は完全にパニック状態の私の前に跪き、さらに言葉を続けた。
「私の名はニコラス・オーウェン。君のことは私が幸せにすると誓おう。」
そんな言葉とともに頬に何か柔らかいものが触れる。
「え…」
「また改めて連絡するよ。」
彼は私にそう告げると、背を向けて颯爽と立ち去っていった。
「ほ、本当に何なの…」
私は彼の後ろ姿を見ながら小さく呟く。
そして自分の頬に手をあて、ふと気づいた。
(さっき頬に触れた柔らかな感触は…あの人の唇…!?)
頬に触れた正体に気づいた途端、一気に全身が熱くなっていく。
きっと熟したリンゴのように赤くなっているに違いない。
「しばらく教室に戻れなさそうね。」
そう思った私は、近くの階段に腰かけ先程の状況を整理することにした。
そもそも何故こんなことになっているのか。
それは遡ること1時間前…
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日直だった私、アメリ・ブラウンは日誌を提出するため職員棟に向かっていた。
「今日は新作が出る日なのよね。楽しみっ♪」
この後、友人とカフェに行く約束をしていた私は上機嫌で廊下を進む。
入学して2週間、両親に説得され渋々入ったこの学園での生活も徐々に慣れてきた。
思っていたより授業は楽しいし、人見知りな私にも友人が出来たのだ。
私が生まれたブラウン家は、臆病で内向的という特性を持つリス獣人の家系で研究者や文学者を代々輩出し、その功績から子爵という爵位を賜っている。
しかし種族の特性上、なかなか社交の場に顔を出すことがないため貴族の間では『隠れた種族《unknown》』と呼ばれているらしい。
そんな環境で育った私も例に漏れず臆病で人見知りなうえ、自分の敷地から外に出たことがない。
そのため、今まで私は家族と屋敷にいる使用人としか関わったことがなかったのだが、そのことを心配した両親が「交友関係を広げ、ついでに結婚相手も見つけてこい。」と、この学園に放り込んだ。
知り合いが1人もいない学園に放り込まれ不安しかなかった私だが、奇跡的に友人が出来た。
今日、一緒にカフェに行くのもその友人である。
友人は優しくて面倒見がよく、私のことを沢山甘やかしてくれるし女神のように美しい。
私には勿体ないくらい素敵な友人だけど、出会えてよかったと心の底から思っている。
友人と出会わせてくれたこの学園に感謝をしつつ、担任の研究室がある階へ続く階段を上ろうとした時、丁度階段を下りてきていた人とぶつかってしまった。
私はぶつかった拍子にバランスを崩し尻餅をつく。
だが、それよりも自分の不注意でぶつかってしまった相手が怪我をしていないか心配になった私は慌てて声をかけた。
「ご、ごごごめんなさい!!私、考えをしていて前を見てなくて…お、お怪我はありませんか…?」
「あぁ、大丈夫だ。私のほうこそ申しわけ…なっ…!!」
不意に途切れる言葉。
やっぱり怪我をさせてしまったかもしれないと不安になった私は、恐る恐る顔を上げる。
そこには『容姿端麗』という言葉を具現化したような長身の男性が立っていた…
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…そして冒頭に戻り今に至る。
改めて状況を整理してみると、とても濃い出来事が起こった気がする。
(噛まれたこともキ、キスをされたことも驚いたけど…また連絡するってどういうこと?)
どれだけ考えてみても一向に答えは見つからない。
「1人で考えても仕方がないわね。カフェで相談しよう。」
そう考えた私はゆっくりと立ち上がり、担任がいる研究室へ向かう。
そして日誌を提出し、友人が待つ教室へと戻るのだった。
この出会いが人生を大きく変えるターニングポイントになるとは…この時の私は知る由もない。